十


「おおっ。ようやく戻られましたか。」

 武雲達が六の鳥居をくぐって山から帰ってくると、那璃千と那祁邇が立ち上がって迎えてくれた。不思議なことに、すぐに山を出てくることができた。あの場所―『その石』のあるひらけた場所に続いていた、道とは言えぬ道を引き返して森の中に戻り、そしてほんの僅かの間歩いただけですぐに大社の屋根が見えたのである。あんなに奥に入っていったはずなのに、方向もわからなくなるぐらいにまるっきり迷ってしまったはずなのに。そして後ろを振り返ると『その石』の場所はもうわからなくなっていた。道が森の奥までずっと続いているだけであった。まったく不思議なことであった。さらにその時武雲は、それとはまた別の違和感をも感じていた。それは鷹勢も同じであったようで怪訝な顔つきをしている。

「何とか無事に帰りました。」武雲が答えた。

「ひどい怪我だ。」

「はい。でも、大丈夫です。」

「で、首尾は?」

「はい。手に入れることができました。天威神槌を。」

「それは……、おお…そうですか………」那璃千は言葉を続けられず、目を閉じて長く深く息を吐いた。

「急いで寮に戻って、武雲殿の手当をしましょう。もう陽も暮れに向かおうというところ。」那祁邇が言った。

「えっ。」武雲と鷹勢が一緒に声を上げた。

「もうそんなときですか?」鷹勢が言った。

「はい。間もなく陽が傾いてまいりましょう。」

 武雲と鷹勢が感じていた違和感はこれであった。自分の過ぎこしてきた時間と太陽の位置とがずれていたのだ。

「もうそんなに……」武雲は不思議そうに辺りを見回した。

「はい。ずいぶんと長い時間、御山の中で過ごされてきましたな。」

「長い?」

「ええ。もう戻って来ないのではないかと心配しておりました。」

「六の鳥居をくぐり抜けて御山の中へと入ってからあの場所に行き着くまでに、確かに途中道に迷いはしたが、それでもまあ半刻ほどであったはず。」

「そのあと俺が光の中に入ってから…」

「再び現れるまでも長い時間ではなかった。」

「いや。俺はかなり長いこと、銀の龍と戦っていたぞ。」

「いやいや。本当に短い間だった。四半刻くらいだったと思う。」

「そんな筈はない。龍に出会うまでにも相当な時間がかかっている。それでも、陽が暮れるほど長く御山の中にいたとは思えないけれど。」

「どうやら御山の中では、時の流れる速さがこちら側の世界とは違っているようですな。」

「………」

「………」

「何はともあれ、寮に戻りましょう。」

 武雲も鷹勢も押し黙ったまま、那璃千達と共にに寮へと戻った。


「さて武雲殿。首尾よく手に入れたその天威神槌剣を、どうか私にも拝見させてはいただけないでしょうか?」

 武雲の傷の手当てが終わったところで那璃千が言った。

「勿論です。是非、ご覧になっていただきたい。」そう言って武雲は、傍らに置いてある自分の剣を那璃千に差し出した。

「これは……」

「はい。私が以前から持っていた剣です。」

「どういうことなのでしょう?」

「この剣に、銀の龍が乗り移り、天威神槌剣となりました。」

「ほぉ、ほぉ、ほぉ。龍がですか、銀の龍が…」那璃千は相槌を打ちながらも得心できない様子であった。「抜いてみてもよろしいでしょうか。」

「どうぞ。」

 那璃千は武雲の剣を鞘から抜きはなって目の前に掲げ、剣をじっと見つめた。

「なるほど、龍の姿が刻み込まれている。」

「前はなかったものです。」

「ふぅぅぅむ。」那璃千は眉を寄せた。眉間に深い皺が現れた。「詳しく聞かせて下さい。」

「はい。」

 武雲はことの始終を詳しく話した。


「そうですか………」短い沈黙のあと、那璃千が言った。「我が一族が守り、祀ってきた山は………、そうですか。」うまく言葉にならなかった。「そうですか。我が一族は……そのように大きな役目を担っていたのでありましたか…」そう言うと那璃千は、再び鞘に納まって武雲の前に置かれている剣に対して深く頭を下げた。

「畏れ多くもこの剣は、我らの祀りし神の御霊みたまの乗り移りし剣。」

 そう言って頭を下げ続ける那璃千の横で、那祁邇も父親に倣って同じように拝礼をした。


 その後の何日かを二人は大社で過ごさせてもらい、武雲の傷が完全に癒えてから、鹿渡への帰路についた。

「那璃千殿、いろいろと有り難うございました。」

「有り難うございました。」

「いえいえ、こちらこそ。あなた方二人のおかげで、私は今まで以上に誇り高く、この社と御山を守り、祀ることができます。」

「武雲が天威神槌を手に入れることができたのは、那璃千殿の一族があってこそ。本当に感謝しております。」

「本当に有り難うございました。」

 二人は最後にと拝殿の前に行って拝礼をした。武雲には妙な感じであった。今、拝礼をしている神そのものが、武雲の背に担ぐ剣に宿っているのだ。そう思うと武雲は厳粛な気持ちになった。

「一の鳥居までお送りしましょう。」拝礼を終えた武雲と鷹勢に那璃千が言った。「お二人の馬はそこまで連れて行かせてあります。」

 武雲と鷹勢、それに那璃千と那祁邇の四人は、一緒になって歩いていった。三の鳥居をくぐって長い石段を下り、二の鳥居をくぐって年老いた大杉の木立のなかの石畳の参道を歩いていった。一の鳥居の下、今まで黙って歩いてきた四人は、互いに向き合った。

「本当に、有り難うございました。」武雲が言った。

「あなた方が望みを叶えられるように、鬼へびを討ち倒せるように、何よりもお二人が無事であるように、この地で、この社でお祈りしております。」

「はい。有り難うございます。」

 武雲は年若い神職から馬の手綱を受け取ると、

「では、さらばにございます。」そう言ってさっと馬に跨った。

「では。有り難うございました。」

 鷹勢も馬に乗り、二人は大社をあとにした。

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