七
周りの山々では木の葉が色づき始めている。鹿渡を発ったのは、始まったばかりの夏であった。陽の落ちるのが早くなり、日に日に足取りは遅くなる。今日も天威神槌のことは何もわからなかった。随分と西へと来たはずであるが、今まで天威神槌のことを知る人は一人としていなかった。陽が落ちていく。今日も野宿だ。二人はいつものように野宿の用意をした。
粗末な夕餉をとり、焚き火に薪をたくさんくべて、二人は寒さしのぎの
―んんぬぅぅーーおぉぉーーーー……―
(ん?狼の遠吠えかな)武雲は思った。
―んんんんーーんんーーぬぅおぉぉーーー……―
武雲は剣を体に引き寄せた。澄ませた耳に気を残したまま、武雲は眠りにと入っていった。
―うぅおおぉぅぅおおぉぅぅーーーー……―
朝餉を済ませた二人が馬に跨がり歩を進めだすと、昨夜と同じ遠吠えが聞こえた。
「また聞こえる。」武雲が言った。
「うむ…」
「何の声だろう?」
「狼か……」
―おおーーんうぅおおぉーーーー……―
―うぅおおぉぅぅおおぉぅぅーーーー……―
しばらく歩みを進めると、またあの遠吠えが聞こえてきた。
「さっきよりも声が大きくなった。」武雲が言った。
「………」鷹勢は何も言わない。だが鷹勢が気を張っていることは武雲にも伝わってきた。
―うぅおおぉぅぅおぅおぅおぉーーーー……―
声はさらに大きくなっていた。
「…武雲。走るぞ。」そう言うや鷹勢は馬の腹をどんっと蹴り駆けだした。武雲もわけがわからないまま鷹勢に続いて馬を走らせる。二人の後、左から騎馬武者が二騎現れて追いかけてきた。さらに右からは三騎が迫ってくる。行く手にも二騎。道に出て、剣を構えこちらに向かってくる。相手は皆、総身すべて黒染めの衣服であり、剣もまた黒塗りの造りであった。先を行く鷹勢が剣を抜き、相手の一騎とすれ違いざま剣を交えた。どさっ。相手が走る馬の背から落ちた。もう一騎は武雲に迫ってくる。武雲も剣を抜いたが、疾走させる馬の手綱と剣とを同時に操ることがうまくできない。武雲は馬首を左に僅かにずらし、かろうじて相手の剣を避けた。
馬を疾走させる武雲と鷹勢の後ろから、黒塗りの剣を振り上げた騎馬武者が追ってくる。
「武雲。このまま馬を走らせろ。奴らは俺が何とかする。」馬の足を少し緩めた鷹勢が、武雲に追い越させながら言った。
「わかった。」
速さを緩めた鷹勢に、右から一人、間近に迫ってきた。がきっ…がこっ…ががっ。三度剣を交えたあと、どすっ、鷹勢が相手の乗る馬を蹴った。馬がよろけて乗り手が振り落とされる。地面に叩きつけられた相手はそのあと身動き一つしなかった。次は左から。がぐっ…ががっ…がずっ…幾度か剣を交え、ずざっ、鷹勢が相手を斬り落とした。鷹勢の剣捌きを思い知った相手方は左右から機を合わせて迫って来た。左から来る騎馬武者は、力任せに、そして間を置くことなく、剣を鷹勢に振り下ろす。がきん…がぎん…がごん…。鷹勢はそれを受け止めるだけだ。右の騎馬武者は鷹勢の隙を窺う。がぎん。左の相手が振り下ろした剣を鷹勢が受け止めたところで、右の相手が鷹勢の向けて剣を突き出した。鷹勢はその剣を身を捩ってかわすと、剣を持った相手の腕を左手で掴んで、相手が剣を突き出した勢いのまま、左の騎馬武者に突き出した。
右の騎馬武者は体勢を崩して鷹勢の馬の上に乗り込んでしまい、その剣の切っ先は左の相手の腹に突き刺さった。
「んぐっ…」左の騎馬武者が馬から落ちる。鷹勢は自分の馬に乗り込んできた相手を左手一本で投げ落とした。
鷹勢のうしろに、さらに数騎、現れた。鷹勢の強さを見て、まだ隠れて追っていた騎馬武者も姿を現したのだ。
「武雲ーっ!馬の足を少し緩めてくれぇ!」鷹勢が後から大声で呼びかけた。
武雲は言われたとおり馬の足を少し緩めて振り返った。
「武雲、これを頼む。」武雲に追いついた鷹勢は、馬の手綱を武雲に預けた。
手綱を委ねた鷹勢は鞍の上でくるりと体を回し、後ろ向きになって鐙に足を乗せ直した。後ろから追って来るのは六騎。手綱を引かれて走っている馬の足はやや鈍い。相手方は徐々に差を詰めてくる。
「武雲っ。道の右端を走ってくれ。」
「わかった。」武雲は鷹勢の馬の手綱を袈裟懸けに掛けた。
騎馬武者たちは、後ろ向きになっている鷹勢の右側からしか襲ってこれない。先頭の一騎が鷹勢に追いついて剣を振り下ろした。がぎん。鷹勢が受け止める。瞬間。鷹勢は返す剣で相手を斬り下ろした。次の一騎も、相手の剣を弾き返し、すぐさま払い斬った。相手は手綱で馬を操りながら斬りかかってくる。この体勢ならば鷹勢が斬られることはない。三騎めが鷹勢の斜め後についた。しかし用心してか、なかなか斬りかかってこない。別の一騎がその外に並んできた。鷹勢のそばの一騎が鷹勢に斬りかかると同時に、外側の一騎は鷹勢を追い抜いていこうとする。鷹勢の馬の手綱を体に掛けて前を行く武雲を斬り倒そうという魂胆だ。がごっ。剣を受け止めた鷹勢は右足で相手の胸を蹴り上げた。
「うぶっ。」
蹴られた相手は馬上から飛んで、その左を抜けていこうとする者にぶつかり、二人ともに地面に叩きつけられ、二度-三度と転がった。
残りは二騎。一騎が鷹勢の横に並ぶや否や、剣を投げ捨てて鷹勢に飛びかかってきた。自らの命を賭して鷹勢を倒そうとしてきたのだ。鷹勢はもんどり打って鞍から落ちる。しかし瞬間、鷹勢は鞍の縁を右手で掴んだ。飛びかかってきた相手はその鷹勢の上を乗り越えて頭から地面に落ちた。鷹勢は鞍を掴んだ右手と鐙に残った左足だけで、仰向けになってかろうじて鞍に吊り下がっている。剣も失った。最後の一騎は、鷹勢の馬に飛び乗ってきた。飛び移ってきた相手は体勢を整える。鷹勢を見下ろし、剣を振り上げた。ずぶっ。相手の喉元に短剣が突き刺さった。鷹勢が懐に隠し持っていた短剣を投げつけたのだ。んふぐっ。最後の敵は剣を振り上げたまま目を見開き、くぐもった音を口から発して仰け反るように馬から落ちていった。
「止まってくれ、武雲」
武雲は手綱を引いて馬を止めた。
「ふぅうっ。」鷹勢は、大きく息を吐いて地に足をつけて立った。
「剣を取りにいってくる。」
馬をしばらく進めてから、二人は休みをとった。二人とも疲れていたし馬も相当疲れていたが、その場からは早く離れたかったのだ。
「誰、あの人達?見た目がちょっと変わっていたけど。」武雲が訊いた。
「『まつろわぬ民』と呼ばれる者たちだ。」鷹勢が答えた。
「まつろわぬ民?」
「うむ。」
「どんな人たち?」
「大王の政に服さぬ者たちのことだ。」
「それで身なりも少し違うのか。」
「………」
「何で襲ってくるってわかった?」
「あの声…あの遠吠えのような声、だんだんと近くで聞こえるようになっていった。」
「どういうこと?」
「あの声はおそらく、奴らの何かの合図だ。」
「………」武雲は首を傾げた。
「合図を掛けながらだんだん近づいてくるということは、我らを狙っている者達だということだ。」
「………」武雲は声を出さず二回小さく頷いた。「でもどうして俺たちを襲ってきたんだろう。」
「どうしてかな。普段はそんなことはないと聞いているが……、それどころかなるべく姿を隠すようにしていると聞いていたのだが…なぜかな。」
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