五

 宿禰から伝承の一端を教えてもらった翌々日、鷹勢と武雲は宿禰の元を後にした。朝のまだ幼い陽射しを背に受け、二人は馬を並足で進めた。

「あのさぁ鷹勢。」

「ん。」

「訊きたいことがあるんだけど。」

「何だ。」

「鷹勢と宿禰とはどういう関係なの。」

「ん………。古くからの知り合いだ。懇意にしてもらっていた。」

「古くってどれくらい前?」

「ずっと前。」

「どうして知り合ったの?」

「………」

「話しにくいことなのか?」

「………」

 鷹勢が答えないので武雲もそれ以上は訊くのをやめた。そのあとは二人とも、ずっと黙ったまま馬の背に揺られて行った。

 陽が暮れかかってきた。

「今日はここで夜を明かそう。今日は野宿だな。」鷹勢が言った。

 道の脇に少し開けた場所がある。傍らには身を寄せて眠るのにちょうどいい大きな橅の木が一本伸びていた。

「暗くなってからでは夕餉の支度も野宿の備えもできないからな。」

 武雲は何もなかった今日一日に気持ちが倦んでしまいそうだった。しかし夜が来てしまうことはどうにもできはしない。諦め顔で馬を下りた。

「何もない日ばかりだぞ。これから先も。」鷹勢が言った。

「わかってる。」

 武雲も頭ではわかっているのだが、揚々とした気持ちで宿禰の館をあとにした今日が、当たり前なんだけれども何もないつまらない一日だったことに気を取り直せなかった。

「『今日は』って、野宿じゃない日もあるのか?」

「道すがら小さな祠でもあれば、そこを宿とさせてもらおう。」

「ああ…」

「武雲。薪を拾い集めてきてくれ。」

「わかった。」

 野宿には火は欠かせない。獣よけとしても必要であるし、野盗への備えとしても無くてはならない。火がないと、闇に紛れて野盗が近づいて来る。

 武雲は集めた薪に火を熾した。

「さてと、食事の前に一手。」そう言って鷹勢は長さといい太さといい手頃な木の枝を一本、武雲に放ってよこした。鷹勢の手にも同じような木の枝が一本握られている。

「お願いします。」木の剣を受け取った武雲は、それを正眼に構えた。

「いやあぁー!」武雲が気合いもろともに、鷹勢に上段から打ちかかると、鷹勢はそれを難なく受けて、武雲の木剣を跳ね返した。


「『魔 世を乱す時、西方よりもたらされる天威神槌の使い人 現れ出でて、魔を討ちて滅ぼさむ』」

 何日かぶりの剣術の稽古の心地よい疲れを感じながら、武雲は宿禰の言葉を思い出していた。武雲は大きな木のうろに体を半分沈ませて寄りかかりながら星を見上げていた。星がきれいな夜であった。鷹勢も同じ木の横側に身をもたせていた。もう眠ってしまっているのだろうか。空は澄み渡っており、銀河がはっきりと見て取れた。薪はまだ勢いよく燃えている。夜が明けるまで薪はもつだろう。

(西の大社か…そこに行けば本当に在るのだろうか、天威神槌が…)

 武雲は、期待と不安とが混ざり合った気持ちになった。

「もしもおまえが『選ばれし者』だったとしてもな武雲、それですんなりとおまえが剣を手に入れることができるとは限らん。剣を手に入れることができるかどうか、魔を打ち倒すことができるかどうかはな、おまえ次第じゃ。運命とはな、自分で切り開かなければならないものなんじゃよ。」

(切り開くといったって、今の俺にはそんな力はないし、これからそんな力が身につくのだろうか。………伝説の剣…か。……そう言えば………)

 武雲は鹿渡の村長からもらった剣を鞘から抜き、月明かりにかざして見てみた。見事な剣である。刃の長さ四柄ほど。その形はすべて曲線からなっていて、切っ先から半分ほどまでは外側に膨らんだ弧を描き、そこから刃の根元までは逆に、内側に弧を描いてくびれている。幅は一番太いところで半柄。つばの形は上から見ると細長い紡錘型をしており、横から見れば真一文字。長さは一柄くらい。両の脇に小さい珠をつけていた。柄はわずかに膨らみを持っていて握り具合がとてもしっくりきた。柄頭には柄の太さよりもほんの少しだけ大きな直径の珠飾りが付いていた。柄の長さは柄頭も含めて一柄半。両手で握ってちょうど良い長さであった。見れば見るほど美しく、見れば見るほど力強い。なぜそんなものを辺境の鹿渡村の村長が持っていたのだろうか。剣を再び鞘に収め、抱えて考えているうちに、武雲は眠りに落ちていった。


 馬が鼻を鳴らす音に、武雲は半分目を覚ました。空はまだ暗い。

(…夜明けまでには……まだまだだな…)

 うとうとした意識の中でそう思った時、武雲は不穏な気配に気がついた。

「動くな。」鷹勢がどうにか聞き取れるくらいの押し殺した小さな声で言った。

 どうやら鷹勢はだいぶ前から気がついていたらしい。鷹勢の手には、懐に隠すようにして、剣が握られていた。武雲も自分の剣の柄に手をかけた。二人とも大きな木の幹の窪んだところに体を埋めるように寄りかかって寝ていた。野宿の時には体を横たえてはいけない。もし賊が寝ている隙を襲ってきた時に、横になっていたのではすぐに応戦することができない。剣も抱え込んでおく。鷹勢から教えて貰ったことだ。

「音を、…立てるなよ。」

 武雲は口を開かずに、ほんの小さく頷いた。

「剣は衣服で覆い隠してから抜け。月明かりを反射して相手に気づかれる。」相変わらず鷹勢は、口を動かさずに微かな声で話す。こういう訓練をもしてきたのであろう。

 武雲はもう一度小さく小さく頷いて、ゆっくりと剣を懐に隠した。

(鷹勢はいったい、今までどんな目に遭ってきたのだろう?)武雲はそう思ったが、今はそんなことをあれこれと考えている時ではない。

 ゆっくりと慎重に、動きを気取られないように細心の注意を払いながら、武雲は剣を抜いた。抜きはなった剣の柄をぐっと強く握りしめ、目を凝らして辺りを窺うと人影が見て取れた。全部で七人ほどだろうか。少しずつ、少しずつ近づいてくる。

 賊の動きが止まった。と思うと中の二人だけがまた近づいてきた。手にした抜き身の剣が月明かりにきらりと光る。おそらくまだこちらが気づかずに寝ているものと思って、その隙に寝首を掻こうという算段であろう。

「奴らが斬りつけてきたところを返り討ちにするぞ。」

 武雲は小さく頷いた。心臓がどくんどくんと大きく打っている。賊が少しずつ少しずつ近づいてくる。自分の心臓の音が聞こえてしまうのではないかと、武雲は不安になった。賊との距離が縮まるにつれ、心臓の鼓動も速くなっていく。武雲は鷹勢から教えてもらったことを頭の中で何度も思い起こしてみた。

 賊はもうすぐそこまで迫ってきた。剣を振り上げる。一気に片をつけようと二人で呼吸を合わせている。その二本の剣が同時に振り下ろされた。瞬間、鷹勢はぱっと飛び退いた。賊の剣が空を斬る。鷹勢は飛び退きながら剣を振り上げ、立ち上がりざまにずざっと斬り下ろした。どさっ。賊がその場に倒れる。

 武雲の方は仕損じた。同じように剣を一閃しようと頭の中では思い描いていたが、賊の一撃をかわすだけで精一杯だった。それでもすぐに立ち上がって身構えた。それを見て他の賊たちが一斉に草むらや木の陰から飛び出してきた。

 武雲は剣を向けた相手をぐっと睨みつけている。相手も同様だ。一歩踏み込めばお互いに斬りつけることのできる間合いである。目をそらせば斬られる。

「馬と剣を置いて、とっとと失せな。」賊の首領らしい男が言った。「命だけは勘弁してやらあ。」

 鷹勢はその首領らしき男に向かって剣を構えた。

「これだけの人数を相手に勝てると思うのか。」賊の首領が憎々しげに言った。

 賊は全部で二十人以上はいた。後ろの方で潜んでいたのであろう。

「………」鷹勢は黙っている。

「命は助けてやると言ってるのによぉ。」首領が薄ら笑いを浮かべて言った。「ならば相手をしてやろうじゃねえか。」

 賊どもは手に手に剣を構えてじりじりと近寄って来る。鷹勢がいきなり武雲の対峙している賊に向かって大きく跳躍し斬りつけた。がきっ。鈍い音が響く。賊は上段から打ち下ろされた鷹勢の一撃を剣で受けとめた。その音が消えやらぬ間に、鷹勢は半円を描くように剣を捌く。ずばっ。横一文字に剣が一閃した。賊はばたっとその場に倒れた。

「武雲っ!」

 鷹勢は先程までその根本で寝ていた木の幹を背にして立った。武雲もすぐに鷹勢と同じ体制を取った。大勢の敵を相手にする時には、何かを背にして戦うのだと、これもかつて鷹勢に教わった。

 仲間の一人を目の前で斬り倒した鷹勢の太刀捌きの見事さに度肝を抜かれていた賊どもの中の一人が、我に返って武雲に斬りかかってきた。

「うぅるあぁぁー。」

 武雲は剣でその一撃をがきっと受け止める。それを合図にしたかのように、他の賊たちも一斉に斬りかかってきた。

 武雲は次々に斬りつけられる幾人もの相手の剣を受けたりかわしたりするだけで精一杯で、とても自分から反撃をするどころではなかった。がごっ。ぐがっ。「うっ。」ぎぐっ。「はっ。」ぐぎっ。がぎっ……

 しかし鷹勢は強い。次から次へと別々の相手から繰り出される剣を受け、かわしては、隙のできた相手を一撃で仕留めている。鷹勢の身のこなしは、まるで軽やかに舞うようであり、その剣捌きは優雅でさえあった。斬りかかってきた剣を身を屈めてよけながら、賊の両足を一振りで払い斬り、振り向きざまに別の賊の上段からの打ち込みを剣で受け、受けるとともに相手の剣を跳ね上げて斜めに斬り下ろした。すかさず右斜め後ろから斬りかかってきた男の剣から身をかわし、体を回転させて男の首を刎ねた。

「うおっ。」武雲は声を上げた。

 相手が横に振るった剣をよけようとした瞬間に足を滑らせて尻餅をついてしまったのだ。そのため相手の一撃は木の幹をもろに打って、剣が木にくい込んだ。武雲はそこを逃さず、下から相手を突き刺した。

「ぐぐっ!」

 相手は声を上げて伸び上がると、そのまま後ろにもんどり打って倒れた。初めて敵を打ち倒し、武雲は一瞬気が抜けてしまった。座り込んだままの、その武雲に向かって剣が一閃した。

(あっ…)武雲は目を閉じた。

 ぐがっ。瞬間、大きな音が武雲の耳元で響いた。見ると鷹勢がその一撃を剣で受け止めてくれていた。鷹勢は相手の剣を自分の剣で巻き上げて放り飛ばし、賊の胸元を右足で強く蹴った。賊は一尋ほど蹴り飛ばされて倒れ、そのまま起き上がってこなかった。

「気を抜くな。」

 体制の崩れた鷹勢にまた一人賊が斬りかかってきた。鷹勢はその一撃を剣で受け止める。次の瞬間、鷹勢は相手の体を軸にしたかのようにくるりと回転させた。賊は崩れ落ちるように倒れた。

 その腕に恐れをなして、賊たちも鷹勢には迂闊に斬りかかってこなくなった。それを察して武雲に襲いかかってきていた賊も攻撃の手を止めた。賊どもは周りの様子を窺い見る。もはや賊の手数は半分以下に減っていた。賊どもは躙るようにして、蝸牛の歩みの如く後ずさりしていた。それは意識した動きではない、知らず知らずのうちに体が勝手に動いてしまっているのだ。鷹勢は剣を構えて一歩踏み出す。と、賊たちは一歩後退した。さらにもう一歩鷹勢が踏み出すと、賊たちは二歩さがった。さらに三歩目を鷹勢が踏み出す。賊どもはまさしく蜘蛛の子を散らすように逃げ去っていった。

「はぁああああーーー…」武雲はその場にへたり込んだ。

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