四

 馬の上で武雲は、少しぼーっとしている頭で、これから会いに行く宿禰のことを考えていた。

(厳蔵宿禰というあのおじいさん、身なりはたいしたことなかったけど、相当高い身分の人なんだろうな。あんな立派な館に住んでいるのだもの、間違いない。鷹勢もすごく偉い人と話しているって感じだったし…いったい鷹勢とはどういう知り合いなんだろうか。鷹勢とは随分前からの知り合いなんだろうけど…。鷹勢のことを『檜垣鷹勢』って呼んだから、鷹勢に氏があったなんてことがわかって、驚いたな。考えてみれば俺、鷹勢のことをあまりよく知らないな。鷹勢のことで知っていること言えば…ずっと前には山の中の小屋に独りで住んでいて、逆登実と仲良くなって、そのあとで逆登実が村の守人として鹿渡に招き入れて、逆登実と一緒に俺を助けてくれて、俺を親代わりに育ててくれて………。知っているのはそれくらいか。それのほかのことは、訊いてみたこともないな………)


 旅の支度を解いた二人は、広間へと向かった。広間では宿禰が待っていた。

「ついに来たか。」

「来ました。」鷹勢が応えた。

「早かったような、遅かったような……もう来たかというような、やっと来たかというような……」

「教えてください。鬼へびを倒すことのできる剣のことを。もっと詳しく教えてください。」広間の床に座るや否や、武雲が身を乗り出すようにして言った

「若さとはせわしないもんじゃのぉ。」

 武雲は、顔がかっと熱くなった。宿禰の前ではいつもそうなる。

「ほっほっほっ。よいよい。それこそが若さの持つ力じゃ。……ところで鷹勢。お前も武雲と一緒に行くことにしたのは何故じゃ。」

「あ。はい。」

「鷹勢も武雲と一緒に行くと思っていたがな。それにその方がずっとよいとも思う。」

「はあ…」

「思ってはいるがの、…何故じゃ。」

「それは……武雲は私が親代わりとなって育ててきましたし……、武雲一人ではこの旅は難しいかと。」

「そう思って決めたのか?一緒に行くと。」

「いや……武雲が鬼へびを倒したいと宿禰殿に言った時に、自分も一緒に行くのだとしか頭の中にありませんでした。それ以外のことは何も。どうするか考えたわけでもなく、『ならば一緒に行こう』と決断したのでもなく……。ただ自分も一緒に行くのだと。それが何というか、あるべき形というか、もう決まっていることのようで……。あとからそのことを考えてみても、なぜそうなのかわかりません。」

「ふぬふぬ。そうか。」

 武雲は不思議そうに鷹勢を見ていた。

「そうかそうか。…では天威神槌のことに話を戻そう。」

「あまの……?」武雲が首を傾げながら言った。

「ん。おお。そうか。まだ剣としか教えていなかったのぉ。」

 武雲は首を傾けたまま、目を宿禰に戻した。

「天威神槌。鬼へびを討ち倒す力を持った剣の名じゃ。天威神槌。」

「あまのいかづち」

「うむ。」

「西方に在る。」

「正しくは、『西方よりもたらされる』と伝えられておる。」

「西方のどこに。」

「とりあえず…西方に行ってみるしかない。すまんのぉ…朧げな話で。」

「ならば、西方へ。」

 そう言って武雲は、目を輝かせて鷹勢の方を見た。腰が少し浮いている。

「おいおい、いくら若いとは言えそれは急ぎすぎじゃ。急いては事を仕損じるぞ。」

「あっ。」

「まあ儂の話をゆっくり聞け。」

「はい。」武雲は浮いた腰を元に戻した。

「鬼へびにはな、わからないことが多い。鬼へびが初めて姿を現したのは二十ともう数年ほど前であった。それ以来鬼へびは、突然現れるようになった。」

 武雲も鷹勢も、真剣な上目遣いの眼差しになって、食い入るように宿禰の顔を見つめて、話を聴いている。ただ靫田だけは目を閉じて、落ち着いた様子で聴いていた。

「鬼へびは突然現れる。前触れはない。突然じゃ。」

「突然。」

「そう、突然じゃ。現れ出る所は決まってはおらぬ。色々じゃ。突然現れ出て、宮や宮京を破壊し尽くして、そして消える。」

「消える?」

「そうじゃ。消える。消えてなくなる。まるであぶくや煙のように」

 武雲の前のめりになっていた体が少しばかり起き上がり、目が丸く見開かれた。

「どこへ?」

「わからん。消えるんじゃ。」

「そしてな、鬼へびは宮京にしか現れぬ。」

「なぜ?」

「なぜかはわからぬ。わからぬが、今の大王が即位してから、鬼へびは出るようになった。でな、不思議なことにな、鬼へびのことが古くからの伝承に語られているんじゃよ。」

「でも、鬼へびは二十年前に現れるようになったって。」

「鬼へびが現れることを予言しているのか、或いは大昔にも鬼へびが現れたことがあったのかも知れんのぉ。」

「どっちなんだろう?」

「どっちかのぉ。」

 宿禰は大きく息を吐いた。

「………その伝承のことは、ほんの僅かな者しか知らないことなんじゃ。今それを正確に知るものは、この世にたった二人しかおらん。その二人というのがこの儂とそして靫田じゃ。」

「えぇっ。宿禰殿が。」

 武雲の腰が、驚きのあまり少し浮いた。武雲は鷹勢に目をやったが、鷹勢は驚いた様子もなく静かな目をしていた。

「鷹勢は知っていたのか?」

「うむ。宿禰殿の一族が、古い伝承を伝える一族であるということはな。」鷹勢は静かな目を武雲に返しながら言った。「だが、その伝承が鬼へびに関わるものだとは知らなかった。」

「儂はな、この厳蔵宿禰は、儂の父である先代の厳蔵宿禰からその伝承を伝えられたのよ。儂の父もまたその前の代の厳蔵宿禰から伝えられた。我がいえでは何代も何代も、そうやってこの伝承を伝えてきたのじゃ。これは厳蔵宿禰のみに伝えられてきた。」

 宿禰は話を切って「ふぅ、」と小さくため息をついた。

「さての、今までに幾度か、この伝承の断片が世間に漏れてしまったこともある。そのため漠然とした、そして間違ったものが巷に流布してしまってもいる。武雲も少しは耳にしたことがあるじゃろ。『救い主』とか『選ばれし者』とか。」

「はい。少しは。でも……」

「そう…でも、みんなそんな話は本気にしていない。」

「はい。」

「まあそうじゃろう。そんな伝説などあてにしてもどうなるものでもないからのぉ。」

「はい。あ、いえ……。」

「儂もあてにはしていない。しかしな、鬼へびを討ち倒そうという大志を抱いたお前にな、今ここで我が家に伝わる伝承を教えてやろう。武雲は『厳蔵宿禰』を継ぐ者ではないから、すべてを教えるわけにはいかないがな。」

 ここで宿禰は、自分を落ち着かせるように、また深く息をした。鷹勢は目を開けて武雲を見つめた。

「『魔 世を乱す時、西方よりもたらされる天威神槌の使い人 現れ出でて、魔を討ちて滅ぼさむ』。………と伝承では語れれておる。」

「『魔』って言うのは鬼へびのこと?」

「うむ、だと思う。でな武雲。この『使い人』というのが、或いはおまえのことかも知れん。」

「えぇっ。」

「と儂は思ってる。」

「……。」武雲は口を開けたまま動きをなくした。

「そんなに驚くな。『或いは』じゃ、『或いは』。」

「はぁ。」

「鬼へびを討ち倒そうという大志を抱いたおまえこそ、そうかも知れぬと言うことじゃ。そんな志を抱くものはそうそうおらんじゃろうからの。儂もそんな者に出会ったのは初めてじゃ。」

「はぁ。」

「じゃがな、武雲。鬼へびを討ち倒そうとするのは、命懸けのことじゃぞ。命を失う割合の方が大きいじゃろう。それでも、鬼へびを討ち倒したいと思うのか。」

「はい。もはや覚悟の上です。」

「で、あろうな。」

 武雲は真っ直ぐに宿禰を見ていた。

「ならば武雲。剣を手に入れねばならぬ。降魔ごうまの剣、天威神槌を。」

「降魔の剣…。」

「鬼へびを討ち倒せるのは天威神槌剣あまのいかづちのつるぎのみじゃ。魔を討ち倒す神の剣天威神槌。」

「神の剣……」

「そうじゃ、神の剣じゃよ。天威神槌剣は凄まじい力を秘めておるらしい。それを使う者には敵などないとのことじゃ。使いこなせればの話じゃがな。」

「その剣が、西方に、西方のどこかに在るのですね。」

「うむ。西方のどこなのかはわからん。一切伝わっておらん。それからな、天威神槌を手に入れることも命がけのことじゃぞ。それを手にすることができるのは、剣によって選ばれた者だけじゃ。じゃから巷で、『選ばれし者』と言われているのじゃよ。手に入れようとする者の前に、大きな危険が立ちはだかっておるだろう。手に入れること叶わず、命を失うやも知れぬ。鬼へびと相まみえることもなく………それでも天威神槌を求めんとするか?」

「はい。」

「そうか。強い志であることはよくわかった。しかし、儂が教えてやれるのはここまで、儂がお前のためにしてやれることもここまでじゃ。」

「そうですか……」

「たいした役には立たない話ですまんのぉ。」

「いいえ。ありがとうございます。私のような者に秘伝の一端を明らかにしていただきましたこと、厚くお礼申し上げます。」

「うむ……」

「宿禰殿。」それまで宿禰と武雲の話を黙って聞いていた鷹勢が口を開いた。「西方と言えば…」

「うむ。西方と言えば、西の大社おおやしろじゃ。まずはそこを目指して行くのがよいじゃろ。」

「はい。」

「西の大社って何?」武雲が目を輝かせて話に入ってきた。

「『西の大社』とはな、西方にある、この世で一番大きいと言われている神社のことだ。」

「そこだよ、鷹勢。間違いない。きっとそこに在る、天威神槌が。」

 武雲は興奮した様子で宿禰に顔を向けた。

「そこに在るかも知れぬし、なかったとしてもそこに行けば、天威神槌のことが何かわかるかも知れぬ…と、儂も思う。」


 武雲はひとり、客間に戻った。鷹勢と宿禰はそれからも色々と話をしていたが、宿禰の話に気持ちが高ぶってしまった武雲はもうほかの話など耳に入らず、先に宿禰の部屋を辞したのであった。

 興奮さめやらぬ武雲は部屋でひとり寝転がりながら、様々な思いを巡らしていた。

(鬼へびを討ち倒す。剣を、伝説の剣を見つけ出して。仇を討つ。母と、父と、そして俺の半分の。そのためなら命を失ってもいい。………でも、できるだろうか俺に。やり遂げられるだろうか。………いや、やり遂げる。やってみせる。必ず鬼へびを討ち倒してみせる。………だけど今の俺にはその力はない。鬼へびに殺されるかも知れない。その前に命を落とすかも知れない。怖い………力がほしい。強い力が。剣を手に入れる力が、剣に選ばれる力が、鬼へびを討ち倒せる力が。………今の俺は、狩りの腕では逆登実に劣る。剣の腕は鷹勢の足下にも及ばない………強くなりたい。鬼へびを滅ぼし、そして自分自身を取り戻すため………)


「宿禰殿。一つ教えてはくれませんか。」武雲が部屋を出ていって暫くしてから、鷹勢が話題を変えて言った。

「何かな。」

「なぜ、武雲に秘伝の一端をお示し下されたのですか。」

「うぅぅん。」

「武雲がもしかすると、伝承にある『選ばれし者』であるかも知れぬということだけではないのでしょう。」

「うぅむ、鷹勢よ。或いはおまえがな、選ばれし者である可能性だってあるのじゃよ。」

「はぁ?」

「さっきも言ったようにな、おまえも鬼へびを討ち倒そうと思っとるわけじゃろう。」

「はい。」

「その点では、おまえと武雲には何の違いもない。」

「ふぅぅむ。」

「しぁしな鷹勢よ。武雲はな、あれは稀人じゃ。」

「『まれびと』?」

「うむ…珍しい人、滅多にいない人といったような意味じゃ。」

「………どんなところが、……ですか。」

「あれの額にはな、いや額のあたりにはな、徴がある。」

「はっ。どのような。私には見えませんが。」

「儂にもはっきりとした形として見えるわけではない。見えるというよりも感じるというべきかのぉ。」

「はぁ。」

「鷹勢も何とはなく感じているであろう。」

「はぁぁー…」鷹勢は眉間に皺を寄せ、首を少し傾げた。

「感じているからこそ、武雲と一緒に行くのではないかな。」

「よくは、わからないのですが………」

「武雲を見れば誰もみな、何かを感じるだろうよ。そうと意識はできなくともな。鷹勢なれば、少しは強く感じ取れているであろう?」

「何となくは………」

「であろう。それ故に、儂も武雲に期待を持った。『或いは』とな。我が一族の伝承の示す者やも知れぬと。」

「で、ありますか。」

「うむ。」

「このことは、武雲には伏せておいた方がいいのでしょうか。」

「無理に隠すこともないが、進んで告げることもなかろう。」

「はぁ。」

「武雲には、重荷になるかも知れぬし、あるいは過信につながるかも知れぬからのぉ。」

「なるほど。」

「それに、その徴が間違いなく『選ばれし者』の徴であるというわけでもないしの。」

「わかりました。」

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