act.33 ダブルエックスよ、永遠なれ
ネシェルはぼろぼろの姿のまま、ランセン達の前に立ちつくしていた。
一億マネーのドレスは汚れ、もとの白さすらうかがえないほどだった。
ランセンらが出迎えても、ネシェルは何を言えばいいのかわからなかった。
ぐっと拳を握り締め、用意していた決別の言葉を告げようとするネシェル。
その時だった。
ランセンがにっこりと笑いかけたのは。
「よく戻ってきたな、ネシェル」
「!」
「よく帰ってきた。おかえり、ネシェル」
ネシェルの両目がじわりと滲む。
「ただいま……」
その涙を隠すように、ネシェルはランセンへと抱きついていった。
「おい、ネシェル、勘弁してくれ」照れくさそうに笑って、ドラケンらに振り返るランセン。「俺は重症患者だぞ」
「よく言うぜ、ランセン」ドラケンも楽しそうに笑った。「そんな元気なケガ人、見たことないぜ」
ランセンから離れ、ネシェルがドラケンに向き直る。
その直視にドラケンはドキッとなって直立するのだった。
「ありがとう、ドラケン」
抱きつくネシェルに、あわあわとうわずるだけのドラケン。
真っ赤に染まるドラケンの顔を眺め、グリペンがおもしろそうに口を開いた。
「いい顔だよ、ドラケン」
「おまえな!」
続けてグリペンへと抱きつくネシェル。
「あわ、あわわ!」
のけぞるグリペンを、今度はドラケンが笑いながら眺める番だった。
「いい気味だ」
「あわわわ!」
クーガーのマスターも、ウェイトレスのタロンも、それを楽しそうに眺めていた。
その中でただ一人、ヴィゲンだけは元気がない様子だった。
まだ先の失態を引きずっていたのだ。
彼自身、ネシェルに合わせる顔がないと強く感じていたせいもあった。
「!」
目の前に現れた影にヴィゲンが視線だけを向ける。
そこには淋しげに椅子にかけるヴィゲンを優しく見下ろすように、微笑みをたたえたネシェルが立っていた。
「ネシェル……。よかったな、ネシェル……」そう言いかけ、すぐに顔をそむける。「何がよかったのかわからないけどな。おまえは何もかもをなくしちまったんだからな。もうお姫様でもなくなってしまった」
「だからこうしてここにいられるんだよ」
ネシェルの言葉にはっとなるヴィゲン。
慌てて顔を上げると、そこには自分のよく知る顔があった。
「みんながいてくれたから、またここに帰ってくることができた。みんなのおかげで。ありがとう、ヴィゲン」
「おお……」
ヴィゲンに抱きつくネシェル。
それをヴィゲンもしっかりと受け止めた。
いとしい妹を優しく抱きしめるように。
その光景に、思わずぐすんと鼻を鳴らすランセン。
「せっかくの綺麗な衣装が台無しだぞ」それから嬉しそうに笑った。「それでこそネシェルだ。いや、これからはラビと呼んだ方がいいのか」
「ネシェルだよ。私はネシェル」にっこりとネシェルがみなに笑いかける。「何もかも、きれいさっぱりなくなっちゃったから。これからも今までどおり、よろしくお願いします」
「こっちもな、ネシェル」
ランセンの笑顔に、ネシェルも嬉しそうに笑い返してみせた。
「あ~あ、ドレスがぼろぼろだ。もったいなかったな」
「高そうなだな。百万マネーはくだらんだろう」
「そういえば、一億とか言ってたような気がするけれど」
「一億!」
「おい、見ろ、ダブルエックスだぞ!」
突然のドラケンの大声に振り返る面々。
空を見上げれば、飛行船のゴンドラの上から手を振る、ダブルエックスの姿がうかがえた。
それを複雑な表情で見守るネシェル。
「おーい! ありがとよーっ!」
ドラケンが大げさに手を振り返した時、ヴィゲンがそれに気づいた。
「ん? クフィルの野郎はどこ行ったんだ。あいつも花火を打ち上げるとか言ってやがったが、まだ帰ってきてないのか」
途端に曇り出すネシェルの顔。
そして彼方のダブルエックスに目を向けながら、力なく呟くように言うのだった。
「あの人は帰ってこないよ。たぶん、もう二度と」
ネシェルは彼方のシルエットを見通したまま、穏やかに微笑みながら続けた。
「あの人を必要としている人達が、この世界にはまだまだたくさんいる。あの人のことを待っているのは、私達だけじゃないから……」
一同が一斉に言葉を失う。
その沈黙を破ったのは、まばたきもせず困惑した顔を差し向けるグリペンだった。
「じゃあさ、そこにいるのは?」
弾かれたように振り返るネシェル。
びっくり仰天も無理はなかった。
すぐ目の前にぼさぼさ頭のクフィルが立っていたのだから。
ネシェルは茫然自失の状態で口を開けたまま、つらそうに顔をゆがめ手で額を押さえるその姿に釘付けとなっていた。
「よく似ているけど、別の人なのかな。……なんだか変なヒゲもはえてるし」
表情もなくグリペンがそう呟くと、幽霊を見るような顔の一同のリアクションにクフィルが気がついた。
「ん? みんな、どうしたんだ。間抜けヅラならべて」
「何、そのヒゲ」
その明らかに不自然な個所をグリペンが指摘する。
するとクフィルはニヤッと笑って、得意気に言うのだった。
「イメージチェンジだ。俺達、ステイトの奴らに面が割れちまっただろ。これからはこれでいこうと思って」誰が見ても付け髭だとわかるそれを、クフィルが指で撫でる。「おまえらもどうだ。ランセンの場合は逆に剃った方がいいかもな。あっはっは、……あ、やべ」
ふいに手で額を押さえたクフィルを、ドラケンが無表情に眺めた。
「どうした、クフィル。随分、顔色が悪いようだが」
「どうやら風邪をひいたみたいだな。さっきまで寝てたんだが、まだ頭がクラクラする」
「第一帝都ホテルに行っていたんじゃないのか」
「行けるわけないだろ。熱にうなされて、ずっと寝てたんだから。おかげでひどい夢を見た」おどけつつドラケンに笑ってみせるクフィル。「凶暴なメスのゴリラに無理やり唇を奪われる夢だ。ほんとにひどい……、おわ!」
突然飛び込んできたまわし蹴りがクフィルの顔すれすれをかすめ、付け髭を空の彼方へと舞い上げる。
白いドレスを颯爽とひるがえし、足を空高く跳ね上げたネシェルの勇姿に、全員があんぐりと口を開けたまま注目していた。
同じく口を開けたままの状態で顔の青ざめたクフィルが、への字口のネシェルを睨みつけた。
「何すんだ、てめえ! 丸見えだぞ!」
それをさらに激しくネシェルが睨み返す。
「メスゴリラで悪かったな!」
「いや、何を……、あっははは!」
「何がそんなにおかしいの!」
「いや、別におかしいわけじゃないが、おまえがそんな格好してるからおかしくておかしくて」
「はあ!」じわりと涙ぐむネシェル。「あんたなんか、あんたなんか……」
その後、クフィルに抱きついたネシェルを、みなはびっくりしたように凝視するだけだった。
空の上から彼はその光景を双眼鏡で追いかけていた。
ぐすんと鼻を鳴らす偽ダブルエックス、もといナメル老人。
「坊ちゃま、ナメルは感激で何も見えませぬ。もう何も、……ああ、バランスが!」
婚礼の儀の失態もあり、ホーネットは著しくその力を失っていった。
加えて、ホーネットの失脚を待ち受けるように中央政府からの介入があり、不正取引並びに複数の殺害容疑によって、ステイトは解散することとなった。
その後を引き継いだのはラファルだった。
ラファルはステイトなき後、自分の会社を立ち上げ、ステイトをも吸収する形で業界ナンバーワンの地位を確立したのだった。
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