act.28 約束

 ダブルエックスとネシェルは長い長い通路を走り抜けていた。

 鉢合わせした幾人かを一撃で叩き伏せ、二人が屋上目指して走り続ける。

 階段の途中で階下の喧騒に目をやり、ふいにネシェルが立ち止まった。

「どうかしましたか」

 その問いかけにネシェルは答えなかった。

「さあ行きましょう」

 気を取り直してWXがネシェルのエスコートを再開する。

 その時だった。

「私は行きません」

「何故です」

 ゆるやかにWXへと振り返るネシェル。

 その顔からは強い意志と決意が見て取れた。

「私には待っていてくれる仲間がいる。必ず助けに行くと約束してくれた仲間がいる。だから、あなたとは行けません」

「その人達が来るまで、待っているおつもりですか」

「……はい」

「困りましたね」

 揺るぎないネシェルの心を知り、WXが困り果てる。

 その顔をいとおしそうに眺めつつ、ネシェルがWXの仮面に手をかけようとした。

 それを制止するでもなく、ダブルエックスは穏やかに笑いかけながら、ネシェルを見つめ返すだけだった。

 仮面を取りはずされ、素顔を晒した怪盗を楽しそうに眺めるネシェル。

 きっちり七三分けされたヘアースタイルの見慣れた顔を目の当たりにし、ネシェルが思わず噴き出した。

「何、その変な頭。全然似合ってない」

 するとその当人も、いつものように笑ってみせるのだった。

「人のこと言えないだろ。ガラにもなくしおらしくなって。まるで別人みたいだぞ」

「……ほうっておいてよ」

「どうした、うかない顔して。何か悲しいことでもあったのか」

「式の最中にさらわれた花嫁が幸せだとでも思っているの」

「それは失礼した。だったらその愛する人のもとにでも戻ればいい」

 涙ぐみ、そして笑うネシェルを、クフィルも楽しげに見守っていた。

 表情を保てずに泣き出すネシェル。

 抱きついたネシェルを、クフィルも包み込むように抱きしめ返した。

「とっととずらかるぞ、ネシェル」

「うん……」

「さあ行くぞ。時の彼方まで!」

「愛や、しばし待たれよ、お二人さん」

 地獄の底から響いてくるような声に二人がはっとなって振り返る。

 その声の主は、何はばかることなく、自分の欲望に実直なまま二人の前へと現れた。

 最悪のセレブレーター、ファントムだった。

「はっはっは、計算違いであったな、ダブルエックス。まさか私が目を開けたままでくしゃみができようとは、思いもせなんだであろう」

「……ああ、確かにな……」

「愛のままに、わがままに、最後に勝つのは愛である!」

 爆撃パラソル、愛アンドキングを乱発し、周囲を炎に包むファントム。

 その被害はロケットランチャーの爆発に相違ないものだった。

 ネシェルを庇いつつも、何とか屋上へと逃げ延びるクフィル。

 そこでネシェルを解放し、クフィルはファントムとの決着を選択した。

「クフィル!」

「ちょっと待ってろ、ネシェル」クフィルがにやっと笑う。「このかわいい顔したお邪魔虫をぶちのめしてくる」

「うがあっ!」愛アンドキング、連発。「キュートなのは顔ではない。目なのであーる!」

「自覚はしているのだな、一応」

「問答無用であーる!」

「クフィル……」

 そこで途切れるネシェルの声。

 階下からホーネットがボールガンを突きつけていた。

 それが何かしらの毒を含んでいることを察したネシェルが、怯えた表情を向ける。

 ホーネットは狂気にまみれた表情でネシェルを、そしてその先で向かい合うクフィルとファントムを眺め続けていた。

「そうか。やはりそうだったのだな、クフィル!」

 思いがけないその呼びかけに、ファントムとネシェルが動きを止めた。

 ホーネットの背後に立つラファルも。

 クフィルはただ一人それを正面から受け止め、ホーネットを睨みつけていた。

 それに満足げに笑い、ホーネットはクフィルにボールガンの狙いを定めた。

「久しぶりだな、我が弟よ」

 ネシェルを盾に取られ、クフィルが両手を上げて降参の意思を示す。

 それを見てホーネットは嬉しそうに笑い上げた。

「前に捕らえた時、どこかで見たような顔だと思っていたのだが、やはり貴様だったのか。気にかかってはいたものの、些細なことすぎて思い出せなかったのだが、今ようやく思い出したぞ。そうだ、貴様だ、我が弟だ、とな。大きくなったな、クフィル。兄は喜ばしいぞ。心の底からな」

 ネシェルにボールガンを突きつけ、いやらしげにホーネットが笑う。

「ちょうどいい、ラビよ。おまえにもこの男のことを話しておこうか。私達が結婚すれば、こいつは君の弟にもなるのだからな」

「……」

 何も返さずにただ恐れおののくように見続けるネシェルを置き去りにし、ホーネットが勝手に話し始める。

「私達の父親はおまえも知るとおり、ステイトの創設者だった。とは言っても、私は妾の子だったのだがな。それを名家の出と言うだけでやってきたこいつの母親によって、すべてを奪われることとなった。先に産まれた私を差し置き、正統な後継ぎとして、すべてこいつが引き継ぐことになっていたからだ。そんなことが許せるのか。許せないだろう。この男は、我が父、イーグルとはまったく血のつながりのない、ただのあかの他人だったのだからな」

 クフィルの父親となるステイトの創設者イーグルは、さらなる力を求めて落ちぶれた旧家に目をつけた。

 それがクフィルの母親、スーファだった。

 スーファには真実の愛を誓ったミラージュという相手がいたが、互いの家の目論見によって引き離されてしまったのである。

 正統な跡取りであるクフィルが産まれてからも、イーグルは愛人の子、コブラを手もとに置いていた。幼い頃より商才の片鱗を見せ始めていたコブラを、クフィルの従者となるよう仕込むために。

 やがて悲しみのうちに母、スーファが亡くなり、ほどなくしてイーグルが死に至るに、クフィルとコブラに転機が訪れることとなる。

 強欲な妾達の財の奪い合いに、クフィルは自身の命の危機を感じ始めていた。

 それだけではない。彼女達はクフィルにとって致命的とも思える情報を入手していたのだ。

 イーグルは知らなかったが、クフィルは実はその血を受け継いでいない。

 式の前日に結ばれた、ミラージュとスーファが宿した子だったからである。

 それを察知し、ミラージュ家の従者だったナメル達が、クフィルを救い出したのである。

『ミラージュ様はスーファ様を助けられなかったことを心から嘆き、無念を晴らせぬまま天に召されました。いつの日にかスーファ様を取り戻すべく、ご自分の命すらも縮めて集めたその多大なる遺産、せめて残された血統の幸福のために存分にお使いください』

 その申し立てにクフィルは決意する。

 この世から無用な悲しみをなくすことを。

 ダブルエックスとなり、ステイトが崩壊するまで戦い続ける覚悟を持って。

「貴様と血がつながっていないと知った時の私の落胆といったら、言葉に言い表せないほどだったぞ。貴様を殺さなくてもいい理由ができてしまったのだからな。だが今また私は、無常の喜びに満ち溢れている。心の底から待ち望んだ、貴様を殺すための理由を見つけられたのだからな。血のつながらぬ弟ではなく、すべての祝福者の敵、怪盗ダブルエックスとしてな!」

「……あの強欲爺いを殺したのは貴様だな」

「言いがかりはよせ。貴様も知っているはずだ。父はたまたま庭に入り込んだサンドバイパーの毒で命を落としたのだ」

「信じられるものか」

「そう思いたければ勝手に思っていろ。かつて彼の父親も同じ理由でこの世を去ったのだから、どう思われても仕方がないからな。どうあがいても、血のつながりというやつからは逃れられん」

 クフィルの突き立てた楔にも、ホーネットは微塵もゆるがない。それどころかニタリと笑ったのである。

「私こそがイーグルの血を受け継ぐ、唯一の正統な後継者だ。それなのに、何のつながりもない貴様が、すべてを引き継ぐだなどとは、おかしいとは思わないか。だから父亡き後、私は当然の権利として会社を奪い取っただけだ。名前を偽り、他人を装ってだがな。だがこうして貴様とまためぐり会ってしまった以上、生かしておくわけにはいかない。名目上の後継者である貴様が、いつ自分のものだと主張するかわからぬからな」

「そんなものに興味はない」

「信じられるものか。貴様達、嘘つき親子の吐く言葉など」

「貴様!」

「これではっきりした。我らは相容れぬ存在であることがな」

「愛、わかった」

 ホーネットの声を遮ったのは、ファントムだった。

「だがしばしの猶予をもらいたい。兄弟ゲンカは、私とこの男との決着がついてからでもよかろう」

「いいだろう」ホーネットがまたもやニヤリと笑う。「気のすむまで存分に暴れるがいい、ファントム。だが報酬は払わぬぞ」

「かたじけない」

「いいのか」

「何がである」

 クフィルの問いに、ファントムが裏表のない疑問符を返す。

「今、報酬は渡さないって言ったんだぞ」

「そんなもの後からいくらでも取り戻せるのである。忌まわしき無敗の怪盗を倒したという実績さえあればである」

「失敗すれば赤っ恥だぞ。ファントムの高名も地に墜ちる」きらりと目を輝かせた。「やめておいた方が身のためだ!」

「なんとまあ!」

 クフィルのまわし蹴りをこともなくかわし、ファントムが心から楽しむように笑う。

「心配ご無用なり」

「だったら貴様は、今日限り廃業だ」

「そのセリフ、丸ごとお返しするであーる!」

 それぞれの思惑を抱き、今、怪盗と怪人の未曾有の対決が幕を開けようとしていた。


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