act.22 愛の戦士ファントム
その頃先ほどの廊下ではもう一人のWXの仮面が暴かれ、その正体が二人組のもう一人だということが判明していた。
「くそ、出し抜かれた」
ギリギリと奥歯を噛みしめ、キッと振り返るラファル。
「セキュリティはどうなっているんだ」
「すべて解除されています」
「何!」
「何者かによって外部から」
「く……」
WXをおびき寄せるためにあえて心臓部に弱点を作ったラファルだったが、相手の手口はその想定をはるかに上回っていたのだ。
ふいに、はっとなるラファル。
「しまった!」
「どうかしたのか」
切迫した表情のままラファルが振り返る。
その顔を確認し、ラファルは己の失態を最大限の謝罪で示すしかなかった。
「すみません、社長。ダブルエックスの侵入を許してしまいました」
「そうか」
この期に及んで微塵も顔色の変わらないホーネットを、不可思議に感じるラファル。
だがそんなことを気にしている余裕はなかった。一刻も早く、失態を取り返さなければならなかったからだ。
「ラビ王女が危険です。直ちに控え室に向かいます」
「慌てなくていい。でないと巻き込まれるぞ」
ホーネットの言った意味がわからず、思わずラファルが動きを止める。
その顔をマジマジと眺め、ホーネットは嬉しそうに笑って続けた。
「奴が現れることなど想定ずみだ」
楽しそうに、いやらしげに、そして高らかに笑った。
ネシェルは差し出されたその手に触れることができずにいた。
躊躇するようなまなざしを向け、WXから一歩退く。
「……どうしてあなたが……」
その戸惑いを真正面から受け止め、なおもWXはにやりと笑ってみせた。
「ある方々から伝言をことづかってきました。あなたは一人ではない。仲間を信じろ、と。それともう一つ。嘘はお互い様だから、誰も気にしていないとも」
「……。クフィル……」
最後にランセン達と別れた時、すれ違いざまにクフィルが告げた言葉をネシェルが思い出す。
クフィルは確かにそう言ったのである。
必ず迎えに行く、と。
ネシェルの警戒が、ゆるやかに下がった目尻とともに溶けていく。
ふいに目の前のWXとクフィルの顔が重なり、涙があふれ出した。
それを見ておもしろそうに笑う怪盗ダブルエックス。
「さあまいりましょう。時の彼方まで」
小さく頷き手を伸ばすネシェル。
しかし、その指先がWXへと届こうとした時に、それは起こった。
突然部屋の壁を粉砕した爆風が、二人をそれぞれの端へと追いやったのである。
噴煙の中、瓦礫を乗り越えて、片手で大砲を構えた一つの影が浮かび上がる。
黒いコートにサングラスの大男、ファントムだった。
「何である。そう、愛である!」
黒塗りのグラスの奥で邪悪な光が弾けて映った。
広大な控え室の端と端へと、ネシェルとダブルエックスが引き離される。
その間をわかつように、のっそりと偉丈夫は入り込んできた。
肩から抱える大筒の砲塔は、よく見れば超巨大な傘であることがわかった。
「ご無事でしたか、マリッジレディ」
ゆるりとネシェルに顔を向け、淡々とファントムが発する。
それに答えたのは、いやおうなく視界の隅へと追いやられたWXだった。
「貴様のせいで、危うく二人とも爆死するところだったがな」
「それは失礼した。ドアが開かなかったもので」表情も変えずにファントムがそう言う。「押しても押しても開かなかった。ならばぶち壊してでもこじ開ける他に手立てはない。仕方なくこの愛アンドキングを使用させてもらった」
「引くという選択はなかったのか」
WXの皮肉にファントムがピクリと反応する。
「なるほど。それはまたこれぽちすらも考えが及ばなかった。愛、すみません」
顔を向けたものの、サングラスの奥が見通せず、彼が何を考えているのかまるでわからなかった。
ネシェルも同様だった。思わぬ事態に何をすべきか選択肢が定まらずにいたのだ。
そんなネシェルの心情を察してか、もう一度ファントムがゆるりと顔を向ける。
「ご心配めさるな、マリッジレディ。貴殿のその悲壮に満ちたマリッジブルーの元、今ここにすっぱり断ち切ってしんぜよう」
「貴様は……」
「まだ自己紹介がすんでおりませなんだな。これは失礼した」
WXの呟きに、初めてファントムがその口もとをわずかにつり上げる。
それからゆるやかに振り返り、あらためてWXに決闘状を叩きつけた。
「我こそは愛の殉教者ファントム。またの名をさすらいのラブ・ファントムなり。いらない何もかもなら捨ててしまおう。負けないこと逃げ出さないことそんなことなどどうでもいい。愛がすべてだ今こそ誓ウォウォ! 幸福の花嫁にめぐり会うその日まで、愛にさまよう我が旅は果てしなくも続く続く続くのである」
「……」
茫然となるWX。
ただ飲まれていたわけではなかった。
ファントムの持つ巨大なオーラを前に、動くことすらままならなかったのである。
それを静かに眺め、ファントムが巨大な傘を放り投げる。
ガシャン、と音を立てて転がったそれが、戦いの合図だった。
踏み込むWXを迎え撃つべく、真っ黒いコートをガバッと開くファントム。その裏側にはびっしりと隙間なく、異なった傘が仕込まれていた。
背中に隠し持ったステッキを振りかざし、WXが渾身の一撃を浴びせる。
それをファントムは開いた傘の表層で受け止めた。
「愛、シールド!」
ガキッと金属音が鳴り響き、弾かれるWXのステッキ。
コンクリート塊をも砕き割る硬質のステッキはファントムによって苦もなく受け止められ、WXの豪腕を痺れさせる結果となった。
間髪入れず、ファントムが右の手で別の傘を抜き取る。
それは開かれることなく、WXのステッキ目がけて振り下ろされていった。
「ダイヤモンド、愛!」
ガギッ、と先よりも鈍い音がして、さらなる痺れをともないながら数歩退くWX。
すさまじい圧撃に、ステッキは緩いカーブを描いて折れ曲がっていた。
数トンの衝撃にも耐えうる特殊合金製のステッキがである。
それを当然のように見据え、ファントムが次なる攻撃へとシフトした。
闇雲とも思しき猛ラッシュだった。
「愛のままに、わがままに!」
一見、ただ打ちつけるだけのその攻撃を、WXは黙って耐えしのぐしかなかった。
それほどまでに力の差が歴然としていたからだった。
「く……」
一言うめいたWXににやりとし、ここぞとばかりにファントムが攻め立てる。
最後の一撃はステッキを弾き、部屋の外まで吹き飛ばしていった。
「どうした。音に聞く無敵の怪盗とはその程度のものか。ならば、私が来るまでもなかったということか」
激痛を訴える右手首を押さえ、WXがギリギリと奥歯を噛みしめる。
迂闊だった。
ファントムは先代の社長とトラブルを起こしてから、ステイトの依頼は一切受けないものと聞いていたからである。
それは事実だった。
ただ一つの誤算は、WX自らの存在が、彼をこの場所へと引き上げてしまったことだった。
最強のグランチャーを撃破すべく、最強のセレブレーターが表舞台へ飛び込んでくることはしごく当然のことなのだから。
「たいしたものだ」
ふいににやりと笑いかけるWX。
「失礼した。さすがは伝説のセレブレーター、ファントム殿だ。余裕を見せている場合ではなかったようだな。しからば、こちらも本気でお相手しんぜよう」
それを受け、ファントムの表情にぴくりと小さな綻びが浮かび上がった。
「笑わせる。稚拙な強がりは滑稽ですらある……」
そう言いかけてファントムの声が途切れる。
足もとにファントムの文字が刺繍されたハンカチーフが落ちているのを見かけたからだ。
汗を拭くために用意し、いまだかつて使用したことすらないそれが床に落ちているのをファントムがしげしげと見下ろす。
その意味がしばらく理解できずにいたが、はっと気づいて己の胸元に目をやり、愕然となった。
コートの中に着込んだ漆黒のタキシードの胸ポケットが裂け、糸一本でだらしなくぶら下がっていたからである。
「これはなんと、まあ!」
みるみるうちにファントムの顔から汗が噴き出し、上気していく。
もしこれが本当の決闘であり、互いが真剣を持ち寄っていたならば、からくもしのぎきったWXではなく、己の方が胸元を貫かれていたことを理解したからだった。
「!」
眼前に飛び込んだ疾風に、まばたきする間もなくファントムのサングラスが宙に舞う。
それを手に取り、白いムチを左手にかまえたWXが不敵に笑った。
「これはこれは、見かけによらずかわいい目をしているのだな、ファントム殿」
ファントムのつぶらな瞳が憎悪に染まるのに時間はかからなかった。
これで都合二度、死を免れたこととなった。
屈辱にまみれ、明らかな敵意をWXへと向けるファントム。
先までの余裕はすっかり消え失せ、憎しみよりもむしろ喜びとでも言わんばかりの形相だった。
「我、好敵手を得たり」
それを笑みで受け止め、押し返すWX。
「さあ、第二ラウンド開始だ」
その時だった。
かすかな物音とともに、WXがその顔に苦痛の色を浮かべたのは。
みるみる青ざめ、ふらりと壁にもたれかかる怪盗。
異変に気づきファントムが顔を外に向けると、廊下でボールガンを構えるホーネットの姿があった。
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