act.23 ダブルエックスの最期

「なんということを、まあ!」

「お見事です。ファントムさん」

 ファントムの言葉を遮り、ホーネットがにやりとした。

「後は我々にお任せください。おい」

 社長からの合図を受け、部下達が一斉にWXへと群がっていく。

 そこに立ち塞がったのは、予想に反して味方であるはずのファントムだった。

 ダイヤモンド愛で数人を瞬く間に蹴散らし、憎悪のまなざしをホーネットへと差し向ける愛の殉教者。

「なんのつもりですか、ファントムさん」

「気に入らないのである。あんたのやり方は」

 その燃えるような直視を受け、周囲の人間達全員が震え上がる。

 ラファルとて例外ではなかった。

 が、一人ホーネットだけは、あいかわらずの様子でファントムと向き合っていた。

 すべてを丸呑みせんばかりの冷淡かつ邪悪な笑みとともに。

「ぬるいぞ、ファントム」

「何であるか!」

「貴様の役目は終わった。さがれ」

「なんとまあ!」

 睨み合う二つの邪心。

 そのわずかな隙を待ち受ける人物がいた。

 ネシェルだった。

 さっと廊下へと飛び出し、拾い上げたWXのステッキでホーネットの背中を力任せに殴りつける。

「ぐああっ!」

 完全にふいをつかれて倒れ込むその姿を横目に、ネシェルはラファルとすれ違った。

 あえて動かないラファルに礼を告げるように、ネシェルが顔をそむける。

 そのままWXの方へと走り寄ろうとしたところに、またもやファントムが立ち塞がってきた。

 くの字に折れ曲がったステッキを両手で握り込み、ファントムの頭目がけてネシェルが思い切り振り下ろす。

 それを片手で苦もなく受け止め、ファントムはつぶらな瞳でネシェルを睨めつけた。

「なんの真似か、マリッジレディ」

「……」ネシェルがWXの方へちらと目を向ける。それから激しい憎悪を込めてファントムへと食らいついた。「なんだかすごくむかつくのよ! あんたのそのかわいい目が!」

「なんとまあ、これまたショッキングなことを!」

 ファントムの怒りに同調するタイミングでWXが立ち上がる。

 力の限りに投げつけた煙幕弾はあっという間に部屋中に充満し、すべての人間の視界を奪っていった。

 白煙の霧が晴れた時、そこにはすでにWXの姿はなかった。

「なんのつもりだ、ラビ」

 背中を押さえながら立ち上がったホーネットが、苦痛にゆがむ表情でネシェルを睨みつける。

「ダブルエックスを助けたつもりか」

 それに臆することなく睨み返し、ネシェルは吐き捨てた。

「昨日のお返しよ!」

「何だと……」

「自分の妻になる女の腕を捻り上げるような人間は許せない。それだけ。もう気がすんだ」

 そう言い、ステッキをファントムへぐいと押しつける。

 ズカズカと大股で部屋の隅まで歩いていき、どっかりと椅子に座ったその仏頂面を見て、ファントムは突然楽しそうに笑い始めた。

「これは愉快だ。気に入ったぞ娘」それからあっ気に取られたままのホーネットへと向き直る。「いい花嫁を見つけたな。貴様のような下衆にはもったいないくらいである」

「く……」

 歯噛みするホーネットをにやりといなし、拾い上げたサングラスを着用したファントムが背中を向けた。

「ここでおさらばするつもりであったが、気が変わった。この気丈な娘の式を見届けたい」

 含むような笑みをネシェルへと差し向ける。

「麗しのマリッジレディよ。数々の無礼、誠に失礼いたした。よろしければ我らの親交の証にポケットの綻びを……」

「お断りします」

「……。ならばしかたがない。自分で繕うとしよう。誰か私の裁縫箱を持ってきてくれ」愉快そうに周囲を見渡す。「さて、最後に見守るは、幸福の花嫁か、はたまた不幸の花嫁か」

 それから押さえきれない笑いを高らかに噴き上げ、ファントムは部屋から出て行った。

 残されたホーネットが苦痛にゆがむ顔でそれを凝視する。

「社長」

 ラファルに呼びかけられ、はっと我に返るホーネット。

 またいつもの余裕を取り戻すと、何ごともなかったようにラファルへと笑いかけた。

「茶番は終わりだ。式の準備を再開しろ、ラファル」

「はあ……」一旦口を濁し、それからその危惧を口にした。「どういたしましょうか」

「ダブルエックスのことか」

「はい」

「心配無用だ。奴はもう現れんだろう。我々は奴に勝ったのだ。無敗のダブルエックスをステイトが難なく打ち破った。それで終わりだ」

「……本当にそうでしょうか」

 いつまでも憂慮のなくならないラファルに、ホーネットが顔を向ける。

 そして完全なる邪悪な笑みを取り戻して続けた。

「さっきボールガンで撃った小さな弾には無数の針が付いている。そこに塗られているのが、サンドバイパーの毒だとしたらどうだ。それでもまだやって来る元気があると思うか」

「……。殺す気だったのですか、最初から」

「そうではない。この毒は特別に調合されたものだ。本来のものよりも弱められているから、すぐ死ぬようなことはないだろう。だが時とともに体力は徐々に弱り出し、一日もたてば杖なしでは歩けなくなるはずだ。もしこの解毒薬を用いなければ、一週間の後に苦しみながら死ぬことになるだろうがな」

 ホーネットが胸ポケットから取り出した茶色の小ビンに、ラファルが注目する。

「体に異変が起こったらまずどうする。医者に診てもらうだろう。そこでなんらかの毒だということが判明する。ヘビの毒ならばその種類がわかれば血清を打つことも可能だ。だがいくら調べてもわからない。中和剤は私の持つこれだけなのだからな。慌てて闇雲に調合していては到底間に合わないはずだ。十二種類以上の異なるサンドバイパーの毒をブレンドした、特殊なレシピだからだ。そうこうしているうちにも次第に体は蝕まれ続け、医者は手の施しようがないと患者に告げることになる。その後患者はどうする。心当たりがあるところへ出向くのではないのか。自分にその毒を盛った当人ならば、或いは、と」

「……もし、ダブルエックスがそれを拒んだとしたなら」

「それは彼の勝手だ。意地を通して死ぬもよし。私ならば、そんなくだらないことで死ぬのはごめんこうむるところだがな。そう中央政府に報告しておけばいい。もっとも、どこかの辺鄙な土地でわけのわからぬ輩が一人のたれ死にしようが、それをダブルエックスだと特定するすべも、その考えに辿り着くこともないだろうが。はっはっは!」

 高らかに笑い上げ去って行くホーネットの背中を、ラファルは複雑そうに見続けるだけだった。


 腑に落ちない様子でラファルが警備に戻る。

 すでに各所から招待された要人達が集結し始めており、ホテル側はその対応でおおわらわだった。

 緊急で呼び寄せられたにも関わらず、各界から名だたる名士の数々が押し寄せ、ステイトの影響力のすごさを改めて思い知らされた。

 祝いの垂れ幕を下げたアドバルーンも数知れず。

 それを監視するようにステイトの社名を掲げた飛行船も飛んでいた。

 裏庭を見回っていたラファルがかすかな異変に気づく。

 そこには足を投げ出し、壁にもたれかかるようにうな垂れる、見覚えのある顔があったからだった。

「あなたは……」

「……よう」

 ラファルの顔に気づき、クフィルがそう言って笑った。




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