act.21 難攻不落

 第一帝都ホテル警備部門総隊長ラファルは、表情もなく歩き続けた。

 やがて目的の人物達を見かけ歩を止める。

 かつてクビにしかけた二人のセレブレーター達だった。

 ラファルの姿に気づき、二人が真っ直ぐになって敬礼をする。

 あれから二人はすっかりと心を入れかえ、真面目に任務に取り組むようになっていた。

 簡単に返礼し、ラファルが早速彼らに用件を告げた。

「ついさっき、ダブルエックスから正式に声明があった。ラビ王女を奪いにこちらへやってくると言うことだ」

 二人が顔を見合わせる。

 戸惑う二人を均等に眺め、ラファルは淡々と次の言葉を口にした。

「君達にチャンスを与える。何があろうと花嫁から離れず、必ず守り通すのだ」

「はい!」

「命にかえても!」

「やるぞ、相棒!」

「おう、相棒!」

 降ってわいた大役に張り切る二人を尻目に、ミステールが不服そうな顔をラファルへと向けた。

「よろしいのでしょうか。あのような輩にそんな大役を任せても」

「いい」

 即答し、ラファルは自信ありげに笑ってみせた。

「ダブルエックスを捕まえるためには彼らが必要だからだ」

「どうしてです」

 それからラファルは、浮かれ躍り上がる二人の姿を遠くから眺めた。

「風穴を作るために」


 第一帝都ホテルは昼も夜もなく、常に厳重な警戒を怠ることがなかった。

 その鉄壁な備えは、中央政府の要人警護をも上回る。

 それも今日で終わる予定だった。

 正午から始まる婚礼の儀式で、ステイト代表のホーネットとその花嫁が無事リングの交換を済ませられさえすれば。

 ネシェルは広く淋しい部屋の中央で、身じろぎもせずに椅子に腰かけていた。

 小奇麗な衣装を着用し虚ろなまなざしを泳がせるその瞳には、一かけらの希望すら見られなかった。

 ため息さえ忘れ、ゆるやかに部屋の一方へと目を向ける。

 そこには壁一面を覆いつくすように広げられた豪華で煌びやかなドレスが、部屋の装飾となって視界を支配していた。

 今日という祝いの日のためにホーネットが用意した、一億マネーのウエディング・ドレスだった。

 数時間の後、ネシェルはこのドレスを身に纏い、婚礼の儀式を迎えることとなる。

 かつて国中にその名を知らしめ栄華を誇ったアイエア家唯一の血族として、ステイト・カンパニー社長ホーネットの妻となるために。

 わずかに目を細め、唇を震わせるネシェル。

 この先決して振り返ることのできない想いが、ふいに脳裏へと流れ込んだせいだった。

 と、その時だった。

 フロア中に響き渡る声に心が揺れ動いたのは。

「ダブルエックスだ!」


 花嫁を警護していたその人物の叫び声に、フロアで従事する全員の表情がこわばる。

 声の主は、ラファルからネシェルの警護を託された二人組の一人だった。

 警護隊が駆け寄る先は、新郎用の衣装室だった。

 その窓際に不敵に笑う怪盗の姿あり。

 両開きの扉を開き、廊下から百人もの警備隊が一斉になだれ込んでいく。

 もはや地上二十階の窓の外以外、WXに逃げ場はなかった。

「捕まえろ!」

 チームリーダーの雄叫びと同時に、百人のセレブレーター達が我先とWXに飛びかかっていく。

 それにカウンターを合わせるがごとくに、天井から薄幕が下りてきた。

 いや、降ってきた。

「うお!」

「なんだ、これは!」

 細い針金を組み合わせたような極薄のネットがふわっと部屋全体に広がり、飛び込んだ彼らを頭から包み込む。

 トリモチが塗られたそれは彼らの一人一人に絡みつき、瞬く間に百人の自由を奪っていった。

「続け! 続け!」

 一網打尽となった仲間達の頭と身体をネットごと踏みつけ、WXを捕獲しようと突入する二次部隊。

「いて!」

「いてて!」

「やめろ!」

「ぎゃあ! 骨が折れた!」

「我慢しろ!」

「ダブルエックスを捕まえるのが先決だ!」

 ネットのトリモチに足を取られ、後続の集団もドミノを倒すように積み重なっていった。

 それでもなんとか味方達の屍の山を乗り越えた十数人が、四方からWXに飛びかかった。

「やった!」

「捕まえたぞ!」

「大手柄だ!」

「俺の手柄だ!」

「いや俺の大手柄だ!」

 が、しかし、その歓喜の雄叫びは、廊下の外から聞こえる声にすぐさま取り消されることとなった。

「こっちだ。こっちにダブルエックスが出たぞ!」

 顔を見合わせるぬか喜びお手柄部隊。

「何、ではこいつは!」

 茫然となるメンバーの中、ただ一人いつまでもWXらしきそれの首を絞めてがくがくと揺さぶる人物がいた。

 最初に声をあげた、二人組のうちの一人だった。

「俺の手柄だ、俺の!」

「おい、相棒はどうした」

 隣の隊員にたずねられ、彼が、ん? という顔になる。

「そういえば……」

 手を緩め、目の前のお手柄を解放する男。

 WXの姿をしたその人物はすでに舌を出しながら失神しており、なすがままになっていた首の運動をカックンと終了してその動きを止めた。

 多くの隊員の期待に応えて、仮面に手をかける二人組の一人。

 はたして、赤い仮面を剥いだその顔は相棒のものだった。

「おお、相棒よ! なんてこった!」

「くそ、やられた!」

「しまった! あっちだ!」

「追え!」

「五千万マネーのボーナスは俺のものだ!」

「いや、俺のものだ!」

「いや俺の……」飛び出していく仲間達につられ、そう言いかけた二人組の片割れが、はっとなってようやく我に返る。

 それから仲間達の背中とは反対の方角へと飛び出していった。


 ダブルエックスはフロアの先の果てなく続く廊下の彼方にいた。

 その先に部屋がないことを確認し合い、捕獲部隊達がにやりとする。

「よし、追い詰めたぞ!」

「逃がすな!」

 押し合い、へし合い、我先にWXへと群がっていくステイトの精鋭達。

 多くは純粋に任務を遂行しようと励む真面目な輩だったが、ステイトの誤算はその精鋭の中にも欲にまみれた人間が少なからず存在することだった。

 WXを捕まえた人間には、中央政府から一千万マネーの懸賞金が支払われるのでは、という情報を彼らは耳にしていた。加えて、非公式ではあるが、ステイト本社から、五千万マネーの特別ボーナスが支給されるかもしれない、との噂まで飛び交っていた。

 嘘だった。

 中央政府のものしかり、五千万マネーの話は、WXとその良き協力者ナメルが予め流しておいた、かく乱用の撒餌だったのである。

 それをラファルは否定し、任務に私情を持ち込まぬようにと釘を刺してはいたが、すべての人間が納得したわけではなかった。

 一攫千金に我を失い、隊列を平気で乱す存在。そしてそれを土壇場まで露呈しない邪心の持ち主の存在すらWXは掌握し、利用していたのである。

 針の落ちる音すら見逃さぬ、良き協力者ナメルの微細な情報収集によってこそなせる戦術だった。

 どの世界にも共通することであるが、一部の不心得者の愚かな行為によって、鉄壁の組織すらいともたやすく崩壊する。たとえ融通の利かぬ堅物達の集団であれ、そのようなトラブルメイカーが数多く潜めば、隊列分解は必然だった。

「捕まえろ!」

 天井から降り注ぐトリモチネットによって先頭集団が一網打尽となる。

「うわあ!」

「また同じ手に引っかかった!」

 続けて、壁に仕掛けられた引き上げ式のネットによって、後続部隊が雪崩式に転がっていく。

「うわあ!」

「これもなんとなく予想してたのに!」

 それを乗り越えた集団は、床に撒かれた滑りに滑りまくるオイルによって、ツルツルダンスを踊らされることとなった。

「うわあ!」

「これはまたベタな手だぞ!」

「でもつい引っかかってしまったな!」

「何故かひっかからないといけないような気が……」

 そして、幾多のアスレチックをクリアし最後まで残ったトップ中のトップとも呼べる精鋭達は、目標であるWXを眼前に臨んだタイミングで、最悪の結末を迎えることとなった。

 突然WXの衣装が風船のように破裂し、そこから捕獲用のネットが飛び出したからである。

「うわあ!」

「もういい加減にしてくれ!」


 その頃、心を入れかえた二人組の一人はネシェルのもとへと向かっていた。

 せわしく扉を開け、表情もなく振り返るネシェルに、決死の形相を差し向ける。

「大変です。危険なのでこちらへ」

「何があったの」

「ダブルエックスが現れたのです」

 彼がそう答えると、ネシェルの表情に明らかな変化が現れた。

 ここへ連れてこられてから、初めての。

 それは一瞬の後に、さらなる進化を遂げることとなる。

「……どこに」

「ここでございます」

「!」

 カッと見開かれるネシェルの両目。

 言葉もなく硬直してしまったネシェルを眺め、彼は笑いながらその窮屈なスーツを剥ぎ取ってみせた。

 怪盗WXのコスチュームにチェンジするために。

「あなたをエスコートするために、やってまいりました」





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