act.20 騙したわけ

 サーブ・グランチャーズは、さながら通夜のようだった。

 身も心もぼろぼろに消耗したドラケンらがぐったりと腰を下ろす。

 怪我を負ったランセンは病院へと運ばれ、残りのメンバー達は何も語ることさえできないありさまだった。

 一人窓の外へと背を向けるクフィルですら。

「俺は行くぜ」

 ふいに立ち上がるヴィゲンに、グリペンとドラケンが顔を上げた。

「行くってどこに……」

「ネシェルを助けに決まってるだろ!」

 よろめくヴィゲンを、クフィルが表情もなく眺めた。

「だから、どこへだ」

「……」ドラケンに問われ、一瞬口ごもるヴィゲン。「……ステイトだ」

「ステイトって言ったって、ネシェルが拘束されてる場所なんざわからんだろうが。今頃……」

「わかっている。あいつは第一帝都ホテルに連れていかれたはずだ。間違いねえ!」

 ヴィゲンの叫び声にドラケンの言葉が途切れる。

「奴らは、捕まえたグランチャーは必ず一度、本拠地の第一帝都の本部へと護送するはずだ。そこで相手に応じた尋問と交渉をしてから、中央政府に引き渡すかどうかを決める。……ネシェルは、もうグランチャーじゃないが、社長の花嫁だと言うのならなおさらだ」

「どういう意味」

 グリペンの顔を眺め、ヴィゲンがわずかに顔を曇らせた。

「第一帝都ホテルは社長の婚礼の儀のためだけにステイトが買い取ったようなものだ。蟻の子一匹入り込めないような鉄壁の防御システムを構築したのもそのためだ。万が一にも社長の婚礼の儀式を失敗させないために、ステイトの持つ技術、ノウハウ、財力すべてを注いで作り上げた居城だ。いや、監獄か」

「何故おまえがそんなことを知っている」

「俺も、ステイトだったからだ」

「……」

 ヴィゲンのカミングアウトに沈黙するドラケンとグリペン。

 クフィルだけは眉一つ動かさず、冷めた口調を差し向けた。

「やめとけよ」

「なんだと!」

 激しい憎悪を剥き出しにして睨みつけるヴィゲンにもまるで動じず、クフィルは続けて言った。

「今のおまえらに何ができる。行ったってネシェルに迷惑をかけるだけだろう」

「なんだと、貴様! どういう意味だ!」

「ネシェルは自ら望んで奴らに捕まったんだ。ふがいないおまえらを助けるためにな。それでまたおまえらが捕まるようなことにでもなれば、あいつの行為はすべて無駄になる。何のために捕まったのかわかりゃしないだろ」

「貴様、人ごとみたいに言いやがって! それが仲間に向かって言う言葉か! いや、おまえなんて仲間じゃない! もう顔も見たくない。ここから出て行け!」

 ヴィゲンがクフィルに殴りかかる。

 それを苦もなく避け、クフィルは自分より二まわりも大きなヴィゲンを地に這わせた。

「そんな状態で行ったって、何もできやしないことくらいわかってるだろ。自己満足のためだけに玉砕するつもりなら、せめてあいつの目の届かないところでやってやれ」

「貴様!」

「両親も他の身寄りも何もない、あいつの気持ちを少しは察してやれ。おまえ達が無事ならばそれだけでいい。ただ生きていてくれるだけで。そんなささやかな願いくらい、奪わないでやれよ」

「クフィルの言うとおりだ、ヴィゲン」

 思いもよらぬドラケンの擁護に、ヴィゲンが、はっとなる。

「……おい、ドラケンよお、おまえまで……」

「悔しいが、こいつの言うとおりだ。今の俺達には何もできん」

 苦しそうに眉を寄せるドラケン。

 ぎりぎりと歯噛みし、土を握り締めながら、ヴィゲンは血走った目をドラケンへと向けた。

「関係ねえだろ、ドラケン」

「ヴィゲン……」

「冷てえじゃねえか。なんでおまえまでそんなこと言うんだよ。そんなの関係ねえだろ。あいつは俺達の仲間だろ。だったら!」

「仲間だからだろ」

 ヴィゲンの声を遮ったのはクフィルだった。

「前に、あいつの口から直接聞いたことがある。あいつの姉さんが嫌な結婚をさせられそうだってことをな」

 心を決めたように話し始めたクフィルに、三人が静かに耳を傾ける。

 クフィルは込み上げる苦味を押さえ込むように、顔をゆがめながら続けた。

「それを止めようとして、あいつはグランチャーのグループを渡り歩いていたらしい。心から信頼できる仲間を見つけて、儀式を阻止してもらうためにだ。それが自分のことだとは、最後まで言わなかったがな」

「王女様ってこともか」

「それは知らん。言わなかったからな」

「どうして黙ってたんだろ」

 ドラケンに続き、グリペンも疑問を口にする。

 触発されるように立ち上がったヴィゲンが、またクフィルに噛みついてきた。

「なんでてめえにだけそんな話をするんだ。俺達は仲間だろ。そう言ってたろ、あいつも。それをおまえなんかにだけ! どうしてだ。あいつは俺達を騙してやがったのか!」

「仲間だから言えなかったんだろ。同じことを何度も言わせるな」

 静かなクフィルの一言に、言葉をなくすヴィゲン。

 ドラケンやグリペンも同じ顔でクフィルに注目していた。

「もともとあいつは真相を何一つ告げることなく、これはと見込んだグランチャー達を利用するつもりでいた。だが途中で気づいてしまったんだ。今おまえが言ったように、自分が仲間を騙そうとしていることにな。だから黙っていることすら後ろめたくなって、ここから去ろうとしていたのかもしれない。苦しくて苦しくて、泣き叫びたいほど誰かに助けてほしかったはずなのに、じっとそれを押し殺して。今思うと、誰でもいいから自分の話を聞いてほしかったんだろうな。仲間じゃないと思っている俺にだから話した。そんなところだろう。あいつの嘘のせいであやうくこっちまで命をおとすところだった。最後に嫌味の一つも言ってやったら、さすがにこたえてたみたいだがな」

「どうして」

 グリペンの顔をじっと見つめ、クフィルが淡々と続けて言う。

「おまえ達のことを、本当の家族のように感じてしまったからじゃないのか。あいつが王女だかどうかなんて俺は知らない。だが一人も身内のいないあいつにとって、おまえ達は家族も同然なんだろう。迷惑かけたくないって言ってたしな。そりゃそうだろう。ステイトと聞いただけで、大抵のグランチャーどもは腰が引けちまうからな。ましてやそれがステイト社長の婚礼の儀ともなれば、まともなグランチャーはまず取り合わない。だがおまえらは違うだろう。何が何でも、あいつのことを逃がそうとするはずだ。少なくともあいつがおまえ達のことをそう思っていたことは確かだ。しまいにはドライな取り引きを持ちかけた俺にすら気を遣い出しやがった。今となってはあいつの見る目の確かさを認めざるをえない。今のおまえらの態度を見て確信したよ。いっそおまえらも他の奴らと同じならよかったのかもしれんな」

「そんな……」

「そういや、ここんとこ、おかしかったような気もするな」ドラケンが思い返す。「時々思いつめたように何かを考え込んでたり。何かあったのかと聞けば、何もないと言って笑ってたが。まさか、そんなことを考えていたとはな……」

「第一帝都ホテルに連れていかれたのならば、明日にでも挙式が行われるはずだ。今日は先約があるようだからな」

 クフィルの声に顔を向ける三人。

「五百人以上のステイトの精鋭達が警護する、刑務所みたいなところなんだってな。助け出すのはまず不可能だろう。俺は遠くから祝福の花火でも打ち上げることにする。おまえらもそうしたらどうだ。それがあいつのためだと判断した。仲間としてじゃない。あわれな一人の女への、せめてものたむけだ」

「貴様!」

「今さら、何も変えられないことくらいわかっているだろ。仮にそれに成功したとしても、王族としての資格を剥奪されることになる。それが本当に本人のためになると言い切れるのか。本当に喜ぶと思うのか。何もかも失ったあいつの顔を、おまえ達は何ごともなかったように見ていられるのか。それだけの覚悟を、これからずっと背負っていけるのか」

「……冷てえじゃねえか。なんでおまえは、そんなことが言えるんだ……」

 すがりつくヴィゲンをクフィルが見下ろす。

 その顔に悲しみがあふれていることを知ったヴィゲンが、ひとりでに崩れ落ちていった。

「くそっ! なんとかならねえのか!」

 激しく吐き捨てて、地に這いつくばるヴィゲン。

 震える手のひらで土をつかみ、ヴィゲンは臓腑を吐くような心の叫びを露呈し始めた。

「俺がステイトのセレブレーターだった時、何度叩きのめしても必死に食らいついてくるグランチャーに出くわしたことがある。すごい奴だった。俺もそれなりに腕には自信があった方だが、そいつにだけはかなわないかもしれないと思った。それでも花嫁達の幸せを願って、死に物狂いになってなんとか守った。とにかく必死だった。誰の悲しむ姿も見たくなかったからだ。みんなの笑顔が見たくて。でもよ、それでようやく花嫁のところへ駆け寄った時、俺は見ちまったんだよ。守ってたはずの花嫁が、悲しそうに涙する姿をな。間違いだと思った。てっきり笑ってくれると思ってたからな。きっと安心して気が抜けて、泣いてしまったんだろうかとも思った。だが違った。その近くにいた両親や、知り合いの人間達の絶望的な顔を見てよ。その時俺は気づいたんだ。世の中には、ない方がいい式もあるって。だから俺はセレブレーターをやめた。何が花嫁の幸せだ。必死で幸福の花嫁を守っているつもりで、俺は不幸の花嫁を作り出していただけだった。その笑顔が、あきらめだったことも知らないで。花嫁の顔に死んだ妹の悲しそうな顔が重なって見えた。ただ笑ってほしかっただけなんだ。笑って……。俺はあいつのあんな顔を見たくない。あいつのあんな悲しそうな顔、二度と見たくない……。見たくねえんだよ!」

 土を壁へと叩きつけるヴィゲン。

 その叫びはいつしか嗚咽へと変わっていた。

「ちくしょう! 何やってんだ、俺は。やっと自分がやるべきことが見つかったのに。少しずつだけどよ、形になって、これからだってのに。それなのに、肝心なところでいつもこうだ。ちくしょう、俺のせいで……。俺の、せいで……。全然駄目じゃねえか。セレブレーターやめたって、グランチャーになったって、これじゃ何もかわらねえ……」

 子供のように泣き喚くヴィゲンを、仲間達は複雑そうな表情で見守るだけだった。


 海からの風を受け、クフィルはゴンドラの中から陸地を見渡した。

 遥か彼方に浮かび上がるは、天空の牙城、第一帝都ホテル。

『やはり坊ちゃまのおっしゃられたとおりでした』

 良き協力者ナメルからの報告を、顔色一つ変えずに受け止めるクフィル。

『ステイト・カンパニー社長のホーネットとは仮の名。彼の本当の名前はコブラ』一呼吸ためる。『消息の途絶えていた、坊ちゃまの義理のお兄様に間違いございません』

 それをクフィルは当然のように受け入れていた。

『本当に行くのでございますか』

 通信機からの声に、クフィルが応答する。

「ああ。君には心から感謝している、ナメル」

 口もとに笑みをたたえ、クフィルがそう告げた。

 それから服を脱ぎ捨て、白いタキシードに赤い仮面と紺碧色のマントを装着した。

 まごうことなき、真実のダブルエックスの姿へと変貌するために。

 その勇姿を想像してもなお、この期に及んで良き協力者ナメルは、心配そうにトーンを落として苦言を呈しなければならなかった。

『先ほども申し上げましたとおり、あれをただの式場だと思っていてはいけません。婚礼の開催場はもはや難攻不落、鉄壁の要塞と化してございます』

 しかしWXの微笑みは微塵も揺るがない。

「案ずるな。どれほど鉄壁の構えであろうと、このダブルエックスの前には等しく風穴を晒す。我を阻むいかなる障壁も、この世には存在せず」

 パラシュートのような大荷物を背中に背負い、WXがゴンドラの縁に足をかける。

「いざまいらん。とらわれの姫君を救いしために」

 カモメの群れ目がけ、颯爽とダイブを敢行するWX。

 鳥達の大群にまぎれて大きな翼を展開し、怪盗は羽ばたいていった。

 くすんだ宝石に再び太陽の輝きを取り戻すために。




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