act.18 ネシェルとラビ

「しっかりして、しっかりして!」

 ぐったりとなるランセンを揺らし、ネシェルが懸命に呼びかける。

 それをドラケンが制した。

「よせ、ネシェル。頭を激しく打っている。動かすと危険だ」

 口を真一文字に結び、ネシェルが不安げにドラケンを見上げた。

 すでに催眠ガスの効果はなくなり、全員マスクを取り外していた。

「とりあえず今は逃げるのが先決だ。こら、起きろ、ヴィゲン」

 ドラケンがヴィゲンの頬に往復ビンタの連続を見舞う。

 しかし高濃度の催眠ガスを思い切り吸い込んでしまったヴィゲンは、顔が腫れ上がるまで殴りつけてもまるで起きる気配がなかった。

「こいつ……」

 エンジン音に気づき、ドラケンとネシェルが顔を向ける。

 眠りにつくステイトメンバーらを脇によけ、グリペンが逃走用の車両を持ち込んだのだった。

「ドラケン、早く二人を!」運転席からグリペンが叫ぶ。「入り口を開けちゃったから、奴らが戻ってきたら防げない」

「わかった」

 降車したグリペンが、ドラケンとともにランセンを車両の奥へと運んでいく。ドラケンやヴィゲンほどではなかったが、ランセンも大柄で容易には運び出せなかった。

 その間、ネシェルがボールガンをかまえて、入り口付近を警戒していた。つわものとはいえ、男達の中にあっては一際小柄なネシェルに、大男達を運ぶ役割は荷が重い。

「ネシェル、運転しろ」

 ランセンを運び終えたドラケンがそう言うと、ネシェルが頷いて車へと向かう。

 続けて、ドラケンとグリペンが二人ががりでヴィゲンを持ち上げようとした。

「うあっ、重い!」

 ヴィゲンの足を持ち上げたグリペンの顔がゆがむ。

 頭の方を担当したドラケンも同じ顔になった。

「こいつ、何食ってやがる……」

「ぐが……」

「ぐがじゃない。とっとと起きろ!」

 その時、中庭がざわめき出すのを三人は確認した。

 裏庭も、二階も同様に。

「包囲されたみたいだ……」

 グリペンの呟きに眉を寄せるドラケン。

 どうやら新手が集結しつつあるようだった。

 もはや逃げ道は正面の出入り口しかない。

「くそ……」

 ドラケンの舌打ちに呼応するように、唇を噛みしめるネシェル。

 次手に窮し、三人は動きを止めざるをえなくなった。

 その騒ぎに気づくまでは。

「!」

 悲鳴と砲撃音が入り混じる中庭に三人が目を向けると、クフィルが孤軍奮闘している様が飛び込んできた。

 先よりもさらに激しく、あからさまに拡声器で誘導しながら、外壁の上からネット弾をバラまく。

「この怪盗ダブルエックスを捕まえられるものなら捕まえてみろ。間抜けな君達には無理だろうがな。はっはっは! ……あぶね!」

 三倍にも膨れ上がったステイト達からの反撃を受け、何度も足を踏み外しそうになりながら、ネシェル達へ懸命に合図を送った。

「行くぞ、グリペン、ネシェル」

 ドラケンの決断に頷く二人。

 二階から侵入した別働隊が階段を降りてくるのを見て、三人が慌てて車に乗り込んだ。

 入り口目指して車両を発進させるネシェル。

 が、直後の急ブレーキに、ドラケンとグリペンは座席から転げ落ちそうになった。

「どうした、ネシェル」

 そう言い、ネシェルの見る方角に目をやるドラケン。

 入り口付近に数人のステイトメンバーが張り付いているのが見えた。

「……」

 言葉もなくドラケンを見上げるグリペン。

 溜飲したドラケンが次の言葉を繰り出すより先に、ネシェルは動いた。

「私が何とかする」

「よせ、ネシェル」

 ドラケンに止められ、ネシェルが振り返る。

「だって突っ込むわけにはいかないじゃない。私達はグランチャーであって、人殺しじゃ……」

「俺がいく」

「!」

「俺が奴らを引きつける。その間におまえ達は逃げろ」

「駄目だよ、ドラケン」そこにグリペンが割って入った。「こういう役には俊敏さが要求されるんだ。ドラケンみたいなうすのろじゃ、すぐに捕まっちゃうよ」

「なんだと、グリペン!」

「それに俺はこの会社の副社長だからね。社長が動けない今、かわりに社員を守る義務がある。俺がやるよ。ほんと、損な役回りだけどね」

「おまえ……」

 ネシェルが二人の全身を見まわす。

 ドラケンもグリペンも、傷つきぼろぼろの状態だった。平静を装ってはいたものの、疲労もかなり色濃い。

 ふいに運転席の窓から身を乗り出すネシェル。

 二階から顔を出した一人にゴム弾で転倒させた後、身の軽さをいかして車外へと飛び降りた。

「あとはお願い」

 そう告げて、ネシェルは入り口へと向かって走り出した。

「みんな、必ず逃げて」

「おい、待て、ネシェル」

「ネシェルーっ!」

 二人の叫び声を背中に受けながら、一心不乱に。


 ランセン達を乗せた車両が走り去るのを、ネシェルは表情もなく眺めていた。

 やがてその音も消え去ると、正面へと向き直る。

 両手を上げ、武装解除された状態で、ネシェルはステイトに拘束されていた。

 多くのケガ人を出した彼らの恨めしそうな視線に晒され、護送用の車両へと誘導されていく。

 後部ハッチから乗り込もうとしたところで何者かに呼び止められ、驚いたようにネシェルが振り返った。

 その視線の先には、ステイト・カンパニー社長、ホーネットの姿があった。

 畏怖するようなネシェルのまなざしを受け止め、ホーネットがおもしろそうに笑う。

 そしてこらえることのできない笑みを漏らしながら、その口を開いた。

「ひさしぶりだな、ラビ」


 クフィルはほうほうのていで、這うように待ち合わせの場所へと到達した。

 弾薬の尽きた武器はとっくに投げ捨て、偽WXの衣装もボロボロの状態である。

 停止状態の自分の車両を見つけ、クフィルが乗り込む。

 そこで見たものは、苦しそうにあえぐランセンと、打ちひしがれる他のメンバー達の姿だった。

 その中にネシェルの顔はない。

「おい、ネシェルは……」

 突然響き渡るエンジン音に顔を向けるクフィル。

 砂塵は四方から巻き起こっていた。

 ざっと見渡すだけで数十台の車両が確認できた。

 それらはすべてステイトの追跡車両で、その目的がランセン達であるということは一目瞭然だった。

「奴ら……」


「まさかグランチャーなどに身を落としていようとは、思いもしなかった」

 ネシェルを見下ろし、ホーネットがおもしろそうに、いやらしげに笑った。

「どうりで見つからないわけだ。こんな身近にいようとはな。ランセン達の写真の中におまえに似た顔があったので、まさかとは思ったが」

「……」

「約束はどうなっている。おまえが十八歳になったら私と婚礼の儀を執り行うという約束だったな。とっくに過ぎているぞ」

 ギリと奥歯を噛みしめるネシェル。

「おい、王女様を自由にしてさしあげろ」

 ホーネットの命令で、部下達がネシェルの拘束を解く。

 その時、わずかな隙が生まれた。

 一瞬のチャンスをものにすべく、ネシェルが行動に出る。

 目の前のホーネットを人質に取り、ここから脱出するつもりだった。

 だがネシェルの目算はあえなくはずれることとなった。

 まわり込むネシェルの動きを読むように、ホーネットが体をかわしたからである。

「!」

 驚きに目を見張るネシェル。

「社長!」

「手出し無用」

 ネシェルを確保しようと飛び出した部下達を、ホーネットが制した。

「貴様らはそこで見ていろ」

 余裕しゃくしゃくのホーネットを畏怖するように眺める部下達。

 次手を封じられ追い詰められたネシェルは、ホーネットに焦燥の面持ちを向け続けていた。

 もはやネシェルには、逃げること以前に、この目の前の男を倒さなければならないという気持ちしか残っていなかった。

 じりじりと間合いを詰め、呼吸を見極めて左足のまわし蹴りを繰り出すネシェル。

 が、その鋭い蹴りを片手で難なく捌き、ホーネットはさらに踏み込んできたのである。

 続けざまカウンター気味の掌底をみぞおちに当てようとするネシェルだったが、それすらあっさりと手のひらで受け止め、ホーネットはネシェルに顔を近づけ笑ってみせた。

「セレブレーターの代表ともなるといろいろ敵も多くてね。私はよろずの武芸にも通じている」

 その流れのままネシェルの掌底をつかみ、後ろ手に捻り上げるホーネット。

 驚愕の部下達などまるで眼中になく、本性を露呈したホーネットがネシェルを締め上げる。

 それから苦痛にゆがむネシェルの顔を楽しそうに眺め、嫌な笑みを浮かべた。

「取り引きをしないか、ラビ。気に入るかどうかは保証しかねるが」

 唇を噛みながら睨みつけるネシェルに冷淡なまなざしを向けつつ、ホーネットは口の両端をつり上げた。

「返事は実際にその目で見てからでいい」



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