act.17 怪盗現る

「ぐああっ!」

 ヴィゲンに蹴り飛ばされ、セレブーターの一人が仰向けに倒れる。

 それに巻き込まれるように、重なった集団が雪だるま状態で階段を転がり落ちていった。

「くそ、きりがねえ……」

 顎の下の汗を拭うヴィゲン。

 やにわに階下がざわめき始め、四人が不思議そうに階下の様子をうかがった。

 どうやら視線の集中する先が変わり始めたようだった。

「何かあったのか」

「わからん……」

 ドラケンの問いかけに、同じ顔になってヴィゲンが答える。

「おい、外を見ろ!」

 ランセンの声にヴィゲンらが振り向くのと、階下からの叫び声が聞こえたのはほぼ同時だった。

「ダブルエックスだ! ダブルエックスが出たぞ!」

 ランセンの指し示す先には、外壁の上を颯爽と、もとい、たどたどしく走り抜ける怪盗の姿があった。

 純白のタキシードに紺碧のマントと赤い仮面。それらはすべていつもより彩度もクオリティーもやや低いものであったが、遠目には本物と認識するのに必要充分なビジュアルだった。

 何より違っていたのは、手に持たれた拡声器だったのだが……。

『はっはっは! 私の名はダブルエックス。怪盗ダブルエックスだ!』

 その棒読みの声を聞き、ランセンらが一斉に眉間に皺を寄せた。

「クフィルの野郎だ……」

 ドラケンが一発で見抜き、ヴィゲンがこめかみを引くつかせる。

『花嫁は私がいただく!』

 目が点になるドラケン。

「迫真の演技だな……」

「自分で怪盗とか言っちゃ駄目だよね……」

 グリペンの気の抜けた一言に、あんぐりと口を開けたままのヴィゲンが振り返った。

「何やってやがんだ、あのバカは!」

 その声が聞こえたかのタイミングで、クフィル扮する偽WXが足を踏み外しそうになる。

「おい、やめ!……」

「よせ、ヴィゲン!」

 窓の外目がけて叫ぼうとしたヴィゲンを、ランセンが制した。振り返るヴィゲンに首を横に振る。

「奴は俺達を逃がそうとしているんだ」

「ん、だと……」

 偽WXの出現に、そこにいたステイトメンバーの実に半数以上が群がりつつあった。

 己の任務を勝手に放棄してである。

 その訳をドラケンが考察する。

「所詮こんなところにいるのは、ステイトでも二線級以下の輩だからな。それにダブルエックスに結構な額の懸賞金が懸けられたって噂だ。我先に群がるのも頷ける」

「何をさておいても、ダブルエックス捕獲が第一優先って命令が出てるって話もあるね。でも、それで職場放棄してちゃ、駄目駄目だけど」

 グリペンの補足に、大口を開けたまま窓の外を凝視するヴィゲン。

「あいつ、捕まったら半殺しくらいじゃすまんぞ……」

 その時だった。

 ガシャン!

 一階から聞こえてくる破砕音に、四人が一斉に目を向ける。

 突然窓ガラスを割って飛び込んできた数発の黒い塊が、シューという音を奏でながら辺り一面を煙で満たしていくのが見えた。

 パニックになるステイトメンバー。

 やがて彼らは、一人、また一人と床に倒れていった。

「ガスだ……」

 ドラケンの呟きを契機に、ランセンが先頭に飛び出す。

「よし、何が起こったのかはわからんが、このチャンスに逃げるぞ」

「ちょっと待ってよ。何のガスだかもわからないのに、マスクもなしでいくの」

「タオルでも巻いとけ、グリペン」

「ヴィゲンは、もう……」

 上着をマスクのように口もとに巻き、四人が階段をおりようとした。

 それに気づき、ステイトの何人かが向かってくる。

 統制を失った相手を蹴散らすのは、百戦錬磨のヴィゲン達にとって造作もないことだった。

「いくぞ!」

「おう!」

 四人が階段をおりかけてすぐに足を止める。

 派手な破砕音が建物中に鳴り渡るのを耳にしたからだった。

 入り口を破壊し突入する一台の車両。

 運転席から飛び降りたその小さな影は、苦しみあえぐ残りのステイト達をボールガンで瞬く間に叩き伏せ、一気に階段の下まで駆け抜けていた。

「みんな、早く!」

 ガスマスクを装着していたものの、それが一目でネシェルだとわかる。

「何やってんだ、おまえ!」

 叫ぶヴィゲンに顔を向け、ネシェルはガスマスクの束を階段のなかば辺りまで放り投げた。

「早く、奴らが戻ってくる前に」

 一瞬目が点になり、すぐさま四人が顔を見合わせ頷く。

 ヴィゲンがマスクを取ろうと手を伸ばした時だった。

 階段で組み伏せられたステイトの一人が、朦朧とする意識の中でその足をつかんだのである。

「うおっ!」

 バランスを崩して頭から倒れ込むところに、咄嗟にランセンが飛び込んでいった。

「危ない!」

「ランセン!」

 思わず名前が口をつき、二人のもとへと駆け寄っていくネシェル。

 二人は気を失った状態で階下の床に伏していた。

 ヴィゲンは睡眠ガスで眠りにつき、ランセンはヴィゲンを庇って激しく全身を打ちつけたダメージで。


 その頃クフィルは、もとい、偽ダブルエックスは、五十名を超える追跡者達を従えて外壁の上を逃走中だった。

 何度も足を踏み外しそうになりながら、ちょくちょく後ろを振り返る。

 先回りし、壁を登ろうとしている集団目がけて、必殺のネット弾を撃ち放った。

 うわあ~、という情けない声をあげ、数人のステイトメンバーが一網打尽となって地べたに転がっていくのを確認すると、クフィルは大仰に笑ってみせた。

「わっはっは! このダブルエックスを捕まえようなどとは、身のほど知らずもはなはだしい。言語道断、ちゃんちゃらおかしい。おまえ達ごとき間抜けに捕まる怪盗ダブルエックスだと思うたか、……あ、やべ、落ちる!」

 バランスを崩して落ちかけたクフィルが、背後から迫り来る追っ手に必殺の足縄弾を見舞う。

 アメリカンクラッカーがくるくると巻きつくように足の自由を奪われた追っ手は、後続のメンバーと抱き合うように壁の下へと落下していった。

 もともとがプロの逃がし屋であるクフィルは、常に様々なツールを逃走用の車両に用意していた。

 どれもこれも協定ギリギリの反則品である。

 そこにWXの変装道具があろうなどとは、ネシェルでなくとも考えもしなかっただろうが。

「ここまでつられてくれるとは計算外だった……」

 ふう、と一息つき、無線機を取り出すクフィル。

 すぐに返らなかったことに、一抹の不安を感じ取った。

「おい、ネシェル、そっちの按配はどうだ」

 その不安は的中してしまった。

『……ランセンが……』

「!」

 同時に追っ手達が引き返していくのを、クフィルは戦慄するように見下ろしていた。


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