act.10 時をかける

「クフィルは」

 休日にネシェルから声をかけられ、ドラケンが読んでいた新聞から顔をのぞかせた。

「別のグランチャーからの仕事が入ったって言ってたぞ」

「どこの」

「さあな。今日ある大型挙式となると第四帝都ホテルだろうが、あそこはないだろうな」

「どうして」

「近年まれにみるほどの円満な式らしいからな。もし襲撃があるとすればトロイカくらいだろうが、さすがにクフィルもトロイカの依頼は受けないだろう。この間の件もあるしな。奴だってそこまで馬鹿じゃない」

「トロイカ……」

「おまえもあまり派手なことはするなよ。せっかくトロイカの怒りの矛先を、お人よしのセレブレーターが全部ひっかぶってくれたんだしな」

「わかってる。私だってトロイカなんかとは関わりたくないし」それからややトーンを落として続けた。「出ないのかな、ダブルエックス」

「出るはずがないだろう。会場側が何度も新婦には確認を取ったそうだぞ。彼女はこの結婚を心から望んでいる。ランセンも納得しているから動く様子もないしな。ダブルエックスは幸せを望む花嫁に迷惑をかけるような行為は決してしない。万が一にもないとは思うが、義にそむいてそんな円満な式をぶち壊したんじゃ、トロイカみたいなゲス野郎と同じだ。俺は認めんぞ」

「……そうだね」


 車両は砂漠の真ん中に停止した。

 そこから約十キロメートルほどの距離に、第四帝都ホテルが見える。

 見通しはよかったが、迷彩色で周囲と同化させた車両は、遠目には砂丘との区別もつかないはずだった。

 その運転席でクフィルが無線機を取り出す。

「そちらの首尾はどうだ、ナメル」

 するとしわがれた、しかし、かつ舌のいい明朗な声が返ってきた。

『上々でございます、坊ちゃま』

「こちらも準備オーケーだ。いくぞナメル」

 そう告げ、クフィルが作業服をすべて脱ぎ捨てた。

 頭髪をシュバッと整え、白いタキシードに赤い仮面と紺碧色のマントを装着した、その場所にもっともふさわしくない格好の人物が降り立つ。

 怪盗ダブルエックスの出陣だった。

『ああ、あのお優しく大人しかった坊ちゃまがすっかり逞しくなられて、ナメルは感激至極でございます。これならばミラージュ様も草葉の陰で……』

「過去を懐かしんでいる暇はないぞ、ナメル。我らはゆがめられた未来から幸福を引き戻すため、時を駆けるのだからな」

『そうでした。どうぞ、ご無事で』

「心得た。いざまいる」

 遥か彼方を見据え、にやりと笑ってみせる忌まわしき怪盗。

 ターゲットは数時間後に式を控えた幸福なる花嫁だった。


 その花嫁はダブルエックスの姿を目の当たりにして、ただ驚くばかりだった。

「何しに来たの」

「あなたをエスコートするためです」

「どうして」

「花嫁泥棒ですから」

「別にいいのに」

「そういうわけにはいきません。あなたを必要としている方達が他にもいるからです。あなたを愛する人達が、この忌まわしい儀式から救い出したいと願っているのです」

「だからいいのに、もう」

「さあ、ともにまいりましょう。時の彼方まで。……はい?」

 いつもと勝手が違う反応に、さすがの怪盗も戸惑いを隠せない。

 それを気の毒そうに眺め、花嫁はさばさばした様子で補足した。

「最初はいやだったんだけどね、なんかどうでもよくなってきちゃった。考え方次第なんだろうけどさ、ちょっと我慢すれば今までよりもずっといい暮らしができるわけじゃない。そりゃ好きでもない人のところにいくのは抵抗あるよ。でもさ、親が決めたいいなずけのところにいくって考えれば、そんなに変なことでもないしね。好きじゃないけど、毎日暴力とかふるうような感じでもないしさ。どっちかっていうと見下されてる方が気になるけど、一緒にいればそのうち愛着とかわいてくるかもしれないし、その方がお父さんやお母さん達も喜ぶだろうしさ」

「そのお父様やお母様が、娘さんであるあなたの不幸を心から嘆いていらっしゃるとしてもですか」

「しかたがないじゃん。結局どうにもならなかったんだから。なるようになるよ。そのうちお父さん達も気が変わるんじゃないの」

 外が騒がしくなり始めていた。

 気配に神経を傾け、WXがいつになく焦りの色を浮かべる。

「人間なんてそんなに怒りも悲しみも続かないって。お父さん達も贅沢になれちゃえば、きっと考えかわるよ。でもさ、考えようによっちゃあ……」

「あ~もう、黙らっしゃい!」

「……はあ?」

「失礼いたしました」こほん、と、取り乱した非礼を詫びる。「あなたはご自分のスタンスをしっかりお持ちのようですね。とても魅力的なレディです」

「レディってがらでもないけどね」

「でしたら、こちらも若干修正を加えさせていただくこととします」すう~、と深呼吸し、カッと目を一杯まで開く。「いつまでくだらないことをぐだぐだ言ってやがる。とっととずらかるから、黙って俺についてきやがれってんだ!」

「あらまあ」


 建物の最上部に二つの影が現れた。

 怪盗ダブルエックスと、彼に盗まれた花嫁である。

 二人は抱き合ったままダイブを敢行し、展開した薄羽のカイトで大鷲のごとくに空へと舞い上がった。

「わ~、すごい、すごい、すごい!」WXにしがみついた状態で、大興奮の花嫁がきょろきょろとせわしなく首を振り回す。「わ~、高い、高い、高い!」

「もう少しおしとやかにしていただけませんか。仮にもレディなのですから」引きつる顔で苦笑いをするしかない。「バランスを崩すようなことにでもなったら、まっ逆さまですよ」

「あ~、ごめんね。こんなの初めてだから、楽しくなってきちゃって。あ~、風が気持ちいい。見て見て、ライオンだよ! あ、ラクダか」

「ははは……」

 それから二人は砂漠に降り立ち、停車しておいた偽装車両へと乗り込んだ。

 目指すは約束の地である。


 目的地へと到達し、花嫁が満面の笑みを見せる。

 対照的にダブルエックスは、疲れ果てた様子で仮面の奥の素顔をゆがめた。

「あ~、楽しかった。スリル満点」目がなくなるほどの笑顔を向けた。「ごめんね、迷惑かけちゃって。悪気はないんだけどさ、あたしって興奮しちゃうと自分でもわけわかんなくなっちゃうんだよね。レディが聞いてあきれるよね。でもさ、ちょっとほっとした。やっぱりさ、いきたくないところに無理やりいくのってさ、うん、まあねえ。まあ、それなりに覚悟はしてたんだけどね」

「……」

「全部なくなっちゃったんだよね。あ~あ、なんて言ってお父さん達に謝ろうかな。てかさ、顔向けできないよね、もう」意味ありげに笑い、WXを見つめる。「ねえ、いっそのこと、貰ってくれない? あなたのせいなんだから、責任とってよ」

 それを同じようにWXも見つめ返した。

「私でよろしければ」

 すると彼女は穏やかに笑って、WXを押し返した。

「嘘、うそ。そんなこと、これっぽちも思ってないから気にしないで」柔らかな笑みを浮かべ、WXを包み込む。「私なんかよりもっと困ってる人が他にもいるのに、ひとり占めするわけにはいかないでしょ。頑張ってね、花嫁泥棒さん」

「……」

「ありがとう、ダブルエックス」

 心からの感謝の意を、涼しげなまなざしで受け止めるダブルエックス。彼女を見つめたまま、わずかにトーンを落とした。

「数々の非礼をお許しください」

「ん?」

「よく、お一人で耐えられましたね」WXが穏やかに笑いかける。「あなたはご立派なレディです。とても素敵で素晴らしい」

 飾らない笑みで彼女もWXを見つめ返した。

「そう、ありがと……」

「フューリー」

 その呼びかけに彼女の声が途切れる。

 振り向くと、心配そうに見つめる正装の老夫婦と、彼女の妹らしき姿があった。

 途端にそれまでのおしゃべりも忘れ、花嫁の唇がわなわなと震え始める。

「お父さん、お母さん……」

 それはやがて大粒の涙を呼び、くしゃくしゃになった顔もろとも、家族のもとへと吸い寄せられていった。

「ああああん! ああああん!」

「ごめんよ、フューリー」

「もう我慢しなくてもいいから」

「あああああん! ああああん! あああああん……」

 ダブルエックスが小さく笑みをたたえる。

 花嫁の両親と小さく会釈を交わすと、マントをひるがえし、約束の地を後にした。





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