act.8  譲れぬ信念

「そうだ」ふいに何ごとかを思い出し、ネシェルを見つめながらラファルが懐に手を入れる。「これ、あなたのですよね。さっきホールで拾ったのですが、すっかり忘れていました。すみません」

 ネーム・プレートをネシェルに手渡す。

「ネシェルさんというのですね。覚えておきます」

「手癖の悪い野郎だな」

 リアクションを迷って口を閉ざすネシェルにかわり、クフィルがぶすりと突き刺す。

 それすらもラファルは笑顔で受け止めた。

「人聞きが悪いですね。まるで僕が抜き取ったみたいじゃないですか」

「そうじゃないのか」

「クフィル!」

 ネシェルにたしなめられ、クフィルが、むぐっと口をつぐむ。

 それにふっと笑いかけ、ラファルはあいかわらずの笑顔で二人に告げた。

「さてと。僕はこのへんで失礼します。勤務中ですから」

「あ、一度ちゃんとお医者様に診てもらった方が……」

「後で行きます。黙って仕事を抜け出してきたので、そろそろ帰らないとまずいんですよ」

「……」

「あんた、セレブレーターだな」

 またもやぶすりとぶつけたクフィルに、ラファルが表情も変えずに振り返った。

「はい、そのとおりです」

 驚きを隠せないネシェルに対し、ラファルは笑みを絶やさないままクフィルと向き合うのだった。

「この店にトロイカのメンバーがやって来ると聞いて、見張っていたんです。まさかあんな場面に遭遇するとは思いもしませんでしたがね」

「ずっと見ていたんだな」

「ええ、外から一部始終」それからネシェルへと向き直った。「言ったとおりでしょう。このとおり、僕は打算的で卑怯な人間なのです。計算違いだったのは、あなた方が予想以上につわものだったことです。おかげで殺人を見過ごさずにすんだ」

「もしこいつがただのウェイトレスだったら、あんた、助けなかったのか」

「クフィル!」

「わかりません。でも、いくら腕に覚えがある人間でも、トロイカのグランチャー四人を一人で相手にしようとは思わないでしょうね。彼らは協定など守ろうともせず、禁止された銃器類すらも平気で持ち出すような外道達ですから。あ、それから」ラファルがスーツのサイドポケットをまさぐる。「あなたにも、返しておきますよ」

 ライセンス・カードを取り出し、クフィルに差し出す。

 クフィルのものだった。

「ネシェルさんのものは本当に拾いましたが、これは勝手に拝借させていただきました。あなたにも興味があったもので、クフィルさん」

 ラファルから目を離さず、ひったくるようにカードを奪い取るクフィル。

 それを静かに見下ろし、ラファルが乾いた笑みをクフィルへと差し向けた。

「こっそり戻しておくつもりでしたが、ここまで警戒されてしまうと無理でしょうから」

 それからラファルは表情を正して二人を見据えた。

「私はステイト・カンパニーのラファルという者です。もう二度と会うこともないはずですが、参考までに覚えておいてください」ラファルのまなざしに鈍い光が宿った。「幸せを求める人達からすべてを奪っていくグランチャーは絶対に許さない。それが私の信念です」


 痛む左腕を押さえ、ラファルが苦痛に顔をゆがませた。

 情報屋からの連絡を受け、トロイカの主要メンバーを検挙するためにラファルはその酒場まで出向いていた。

 そこからトロイカのメンバーを芋づる式に引っこ抜くためにだった。

 報告のとおり、トロイカの主要メンバーは店に入ってきた。

 ラファルが流したニセの情報に踊らされ、まんまとおびき出されたとも知らずにである。

 多少は腕にも覚えがあったので、ラファルは一人で彼を検挙するつもりだった。

 トロイカの凶悪さは熟知していたが、信用の置けない輩と行動をともにすれば、かえってリスクにもなりかねないと考えたからである。

 予想外だったのは、そのリーダーのもとへ三人の部下達が合流したことだった。

 グランチャーへの憎しみは誰よりも深いが、ラファルには他にも目的があった。

 国中には大小さまざまな式場が数え切れないほど存在する。そして名士や資産家達が好んで利用するような大型の式場はこの中央エリアにほぼ集中していた。

 それは彼らにとってもっとも動きやすい環境であるとともに、グランチャーズの数がどのエリアよりも多いということにも直結していた。ステイト・カンパニーの本拠地がこのエリアにあるのも、当然理にかなったものなのだ。

 そして、怪盗ダブルエックスの根城としても。

 神出鬼没の怪盗にセオリーが当てはまるとは限らないが、そこが動きやすい場所であることは間違いないはずだった。

 もとよりステイト・カンパニーは大口の依頼を優先するため、自然と中央エリアよりの活動が主となり、地方エリアからの依頼はほとんどないに等しい。

 対してダブルエックスは中央エリアを避けるように周辺地域のみを活動拠点としてきたため、これまでラファル達が彼とあいまみえることはなかった。

 それをステイト側では、極めて限定的で実現可能な領域内だけで伝説を構築するためのまやかしであると定義し、歯牙にもかけなかった。あえて自分達との衝突を避けるダブルエックスを、単なる売名行為が目的の小悪党だと勝手に決めつけていたのである。

 その予定調和を自ら破壊し、ここ二度ほど連続して、彼は禁断のテリトリーへと侵入してきた。

 巷で噂される一大イベントを間近に控えた、この時期にである。

 ステイトの独占市場とも言えるエリアでのダブルエックスの所業を、ラファルはステイトへの挑戦であると捉えていた。

 彼がグランチャーズ達のシンボルともなった今、好き勝手にさせておくわけにはいかない。そのためには、いちいち些事に関わってはいられないのだ。

 悔しさを押し殺しつつも、今回は無理をせずにあえて見送る選択をした。

 功を焦って突入していれば、今頃トロイカ達になぶり殺しにされていたことだろう。

 何一つ目的を達することなく。

 緊張を解き、ほっと胸を撫で下ろす。

 例の騒動が起こったのはその直後だった。

「……」

 酒場での出来事を思い返すラファル。

 目の前で一人の人間が殺されようとしていた。

 自分が流したニセの情報がきっかけで。

 それを黙って見過ごすわけにはいかなかった。

 相手はトロイカの猛者が四人。おそらく自分は無事ではすまないだろう。それでも意味もなく巻き添えをくらい命を落とす人間を、どうしても無視できなかったのである。

 確固たる信念のためにも。

 命は捨てる。だが信念までは決して捨てない。

 そう心に誓った時に彼らは動いた。

 まるで呼吸をするように自然と。

 己の危険すら顧みずに立ち向かうネシェルとクフィルの姿を目の当たりにし、ラファルが一つの結論に到達する。

 彼らの勇気に比べれば、自分の信念なんぞはどれほどのものかと。

 そして行動を起こした。

 見知らぬ彼らを自分の仲間であると言い聞かせ、己の命を犠牲にしてでも彼らを助ける選択を。

 結果、予想を上回るネシェル達の活躍に、ラファル自身も救われることとなったのだが。

「仲間か……」

 そう呟き、淋しそうに笑うラファル。

 なんとなく、彼らとはまたどこかで会えそうな気がしていた。






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