第3話「その時、脳裏に過ったのは、死体遺棄の罪で手錠をかけられた彼の姿だった」

 しばらく休憩してから、あの溜池を出発した後も、あたしは相変わらず彼の背中に背負われていた。

 死体だから、しょうがない。

 休んだからか彼の足取りは軽く、ずんずんと真夜中の田舎道を誰にも見つかることもなく順調に進んでいた。

 あたし達の住んでいる町から海までは、歩いて行けない距離でもない。

 ただ、徒歩で行くとなると朝に出て昼に着くような距離なので、おまけにずっと田園地帯が広がっているだけで特に見るものもないので、死体を背負っているなんて特殊な状況でない限りは車やバスを使うのが常だった。

 見つかればまず間違いなく捕まるはずなのに、何が楽しいのか、相変わらず鼻歌を歌いながらあたしの死体を背負って、歩いている。

 溜池では、下手すぎて気づかなかったけれど、よく聴くとその鼻歌は、あたしが幼い頃によく歌っていた歌だった。

 当時流行っていたこの歌が大好きで、それを大声で熱唱しながら、彼を引き連れて野山を駆け回っていたのだ。

 成長するにつれて、そんな風に駆け回ることはなくなったけれど、それでも彼と一緒にいるのは変わらなかった。

「手下、だからさ」

 なんて彼は言っていたけれど。

 子供の頃から、男っぽい振る舞いで女友達なんて皆無で、おまけに思春期に入ったら他の男友達が妙によそよそしくなってしまったあたしにとっては、それは恥ずかしいけれど、本当に嬉しいことだった。

 ただ、

「化粧とか、しないでね。……他の手下が増えると困るから」

 と、彼が言ってきたのは未だに謎だけど。


 あの台詞はどういう意味だったんだろう。

 問いただしたいけど、あたし死体だしなあ。

 そんなことを思いつつ、彼の背中で揺られていると、だんだんとただっ広い田んぼが少なくなってきて、気づけば鬱蒼とした林の中を、彷徨っていた。


「いやー。ごめん。迷った!」

 うそん。

「こっちのほうが近道だと思ったんだけどなあ……。あ」

 私たちが林に入ってきたせいで、眠っていた鳥達が起きてしまったらしく、林が少し賑やかになる。

「……カラスとか、居ないといいなあ」

 やめて!

 鳥葬だけはやめて!

 と、彼の背中で声にならない声をあげる。

 自分の死体が、鳥についばまれている場面を想像して、鳥肌が立つ。いや、鳥肌が立つような気がした。

 カラス如きに恐れをなすなんて、生前のあたしが知ったらさぞ悲しむだろう。

 そんなあたしの焦りが伝わったのか、いや死体だから伝わるはずはないのだけれど、暢気な彼も次第に険しい顔になり、林の中を早足で進む。

 もう林というよりは、ちょっとした獣道のようになっていた。

 恐らく、誰かの私有の山にでも入ってしまったのだろう。

 あたし達が住んでいる地方都市の郊外には、こういう山なんだか丘なんだか林なんだか、よく分からない場所が多々ある。

 そういう場所は大抵ろくに手入れもされてなくて、その土地の持ち主でもない限り、簡単に迷ってしまう。

 というか、子供の頃、こういう場所を一緒に何度も探検していたから、こいつも知っているはずなのに。

 不安になってきたのか、彼の足が徐々に早足から、殆ど走っているような感じになる。

 道は段々と急な下り坂になってきていて、もう山道と言っても差し支えなかった。

 ばか、こんな場所でそんな風に走ったら。


 あ。


「あ」


 次の瞬間、彼が足を滑らせて、ゴロゴロと山道を転げ落ちる。

 当然、あたしの身体も放り出されて、同じようにゴロゴロと転げ落ちる。

 転がった拍子で、瞼が開いて、白目になる。

 もう、ホラー以外の何者でもない。

 そうは言っても死体の私にはどうしようも出来ない。

 流れに身を任せて転がり続けるだけだ。

 一応、花も恥らう女子高生の肉体が、草や木の枝なんかを巻き込みながら、豪快に転がって行く。

 あっはっは。もう笑うしかねーや。どうにでもなれー。ばかやろー。

 聞こえる筈の無いあたしの叫びが、山に響いた気がした。


 しばらく斜面を転がった後。

 ゴンっと大きな音を立てて、何かにぶつかってあたしの死体は止まった。

 それは良く見ると、灰色のプロパンガスボンベのようだった。

 ああ、それじゃあ、ここは多分この林の持ち主の家の裏だ。

 いきなり家の裏に、草だらけの、おまけに白目を向いている女の子の死体が転がってきたら、びびるだろうなあ……なんて思っていると、ぱっと家の明かりがついた。

 やばい。あいつはどこ行った、と辺りを見回してみても彼の姿は無かった。

 どうやら、転がり落ちる途中ではぐれてしまったようだった。

 近くの勝手口の鍵を開ける音がする。

 逃げなきゃと思っても、死体がいきなり動くはずもない。

 がちゃりと音をたてて、ゆっくりと勝手口が開く。

 その時、脳裏に過ったのは、死体遺棄の罪で手錠をかけられた彼の姿だった。

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