第1話「いや、死体だから相変わらず冷たいし、無理なんだけどさ」

 街を出てから、一時間程。

 彼はあたしの死体を背負って、田んぼの中の一本道を、時折ふら付きながら、歩いている。

 死んでまもなく、なす術のないあたしは、彼にいともたやすく連れ去られてしまった。




「寒くないかい?」

 彼がいつもと変わらない優しい声で、背中のあたしに話しかけてくる。

 話しかけられたとしても、すでに死体のあたしに答える術は無い。

 というか。

 こいつ、普通にあたしの死体を持ち出しているけれど、これって何かの犯罪になるんじゃなかったっけ?

「やっぱり、パーカーだけじゃきつかったかなあ。でも君、最近外出てないから、あんまり服持ってなかったでしょう?」

 だから、死んでるっつーの。

「いやあ、流石に公共の乗り物は使えないから、勢いで徒歩で来ちゃったけど、間に合うかなあ。流石に明るくなったら、まずいよなあ」

 と、全然まずくなさそうな顔で、彼が呟く。

 それどころか、その顔は、まるで幼い頃に一緒に家を抜け出した時のようにキラキラと輝いていた。

「なんか、ドキドキするねえ。あはは。駆け落ちみたいだ」

 いや、そんな楽しそうにされても。

 あたし、もう死んでるんですけど。

「ほら、あの遊園地。 昔一緒によく行ったよね」

 そう言って彼が指差す方を見ると、そこには既に灯の落ちた市営の小さな遊園地があった。

 あたしがまだ、元気だった頃。

二人で学校帰りに、わざわざここまで自転車を飛ばしてよく遊びに来ていた遊園地だ。

そういえば、あの貧相な作りのお化け屋敷、もう取り壊されたんだよなあ……。

いつだったか、嫌がる彼の手を引いて入った時、余りに粗末な作りのお化けにあたしが大笑いしている横で、大泣きしていたっけ。

「懐かしいねえ。最近はもうすっかり来なくなったもんね。あそこのお化け屋敷で、君、大泣きして大変だったよね」

 記憶を改竄すんな!

 あの時は、あたしがあんたの鼻水を拭いてやったんでしょうが!

「こうやって大きくなってから見ると、案外小さい遊園地だったんだなあ。観覧車も思っていたよりずっと小さいや。……覚えてる? 君がお父さんと喧嘩した日、あれに二人で乗ったよね」



 それは、まだ小学生だった頃。

 確か暑い昼下がりだったから、夏休みだったと思う。

 あたしの家は小さな古武道の道場で、一人っ子のあたしは幼い頃から父親に厳しく育てられていた。

 母親は物心付くか付かないかといった時に他界していて、周りの大人といったら、父や門下生などなど、男の人ばかりだった。

 そのせいか、自分で言うのもなんだけれど、そこらへんの男の子よりも男の子らしい子供だった。

 それでも、腐っても女の子だったので。

 その日、あたしは父に「海に連れてって」と駄々をこねた。

 海に行きたいと言うのは建前で、本当は女の子らしい水着が欲しかったのだ。

 普段着ている服は父が選んでくる男の子っぽいのものばかりだったから、流石に水着なら女の子らしい可愛いデザインのものを買ってくれると思ったのだ。

 返って来た返事は「……駄目だ」の一言だった。

 今思えば、素直に一緒に水着を買いに連れてって、とでも言っておけば良かったのだと思う。

 恐らく父は、一人で女の子の水着売り場に行くのが恥ずかしかっただけなのだから。



 結局、そのことで父と喧嘩したあたしは、幼い頃から手下である彼を引き連れて、憂さ晴らしにこの遊園地にやってきた。

 本当は、そのまま彼と海に行ってしまおうかと思ったのだけれど。


「海に連れてけ」

「無理です……」

「つーれーてーけえー!」

「いたい、いたい! 蹴らないで! あ、そうだ代わりに遊園地行こう! 遊園地! 新しいアスレチック出来たらしいからさ! こう紐にぶら下がってターザンみたく出来るやつ!」

「ターザンか……」

「……黙ってれば、それなりなのになあ」

「何か言った?」

「さあ! ターザンが僕らを待ってるよ!」


 という彼とのやり取りの後、しょうがなく遊園地になったのだ。

 決してターザンに惹かれたわけではない。……多分。

 彼はうちの門下生で、小学校に入った年に、彼のお母さんに手を取られて、ヘラヘラと人懐っこい笑みを浮かべながら、うちに入門してきた。

 母親の居なかった幼いあたしは、それが大層気に入らなかったらしく、彼がやってきた日に試合の名の下、彼をボコボコにしてしまった。

 ただその後、父に拳骨を食らったあたしが、素直に謝ることが出来ずに、こともあろうか

「お前は今日から、あたしの手下一号だ!」

 と、彼に言い放つと、

「うん!」

 と笑顔で返してきたのだ。

 中々の変態である。

 因みに、二号や三号は結局、今まで出来なかった。

 とにもかくにも、それ以来、どこに行くにも手下である彼と一緒だった。

 もともと、古武道なんてやっていたせいで友達もろくに居なかったから、それが少し嬉しかったことは、覚えている。


 その遊園地に来ると、大体はお金のかからないアスレチックとかで遊んでいたのだけれど、その日は、よっぽどあたしが情けない顔をしていたのか、散々ターザンごっこをした後、

「僕がお金、出すからさ。あれに乗ろうよ」

 と、彼があたしを観覧車に乗せてくれた。

 市営の遊園地だったから、そういうアトラクションでも精々何百円といった所だったけど、基本的に刺激を求めるあたしは、お小遣いがある日は、嫌がる彼を無理やり引き連れて、絶叫系やら、お化け屋敷やらに使うのが常だった。

 一度、どうしてもと言うので、彼のリクエストのコーヒーカップに乗った時は、腹いせに世界がすべて線に見えるくらいの勢いで回したこともある。



 そんなあたしだったので。

ついでに父と喧嘩して機嫌も悪かったので。

観覧車なんてまったりしたアトラクションに乗るなんて、とぶーぶー文句をたれた。

 どうせだったら、係員のじいさんの目を盗んで、ベルトを外したままジェットコースターに乗ってやろうぜ、なんて言った気もする。

 それでも彼は、そんな今思うとただの猿なんじゃないかと思うあたしの手を引いて、珍しく強引にあたしを観覧車に乗せてくれた。

 夕暮れの中、ゆっくりと上がっていく観覧車。

 彼は何が楽しいのか、にこにこと笑っていた。

 あたしは何だかそれが気に障って、暴れてゴンドラをガタガタと揺らした。

 ほら! いつもみたいに泣けえ! なんて言いながら。

 本当に、あたしは猿だったのかもしれない。

 ただ、どれだけ激しく揺らしても、彼は絶対に泣かなかった。

 流石にもうにこにことはしていなかったけど、それでも唇をぎゅっと噛んで、必死に堪えているようだった。

 そのうち、どうして自分はこんな高い場所に来てまで、こんなことしてるんだろうか、とか、父と喧嘩したことを思い出して、なんだか虚しいを通り過ぎて、悲しくなってきて、あたしの方が泣き出してしまった。

 そして彼以外に誰も居なかったからか、大声で泣いた。

 それも、おーうおーうといった具合の男泣きで。

 厳しく躾けられていたせいか、それともただ単純に、負けず嫌いなだけだったのか、人前では絶対に泣かないと決めていたのに、よりにもよっていつもあたしが泣かせている相手の前で、みっともなく泣いてしまった。

 彼は、そんなあたしを見ながら、またにこにことしていた。

 そしたら、また腹が立ってきたので、彼の頬っぺたを思いっきり抓ってやった。

 それでも、少し目に涙を浮かべながらも、

「……いはい」

 と言うだけで、それ以上彼が泣くことはなかった。

 すると、あたしも半ばやけになって、

「どうやあー! これがええんかあ!」

なんて奇声を発して彼の頬っぺたを更に抓った。抓り倒した。きっと猿でもそんなことはしない。

その時、彼がふいに外を指差した。


 そこには、夕焼けの光に照らされて金色に光る稲穂の海があった。


 それは山脈からのりゅーりゅーと鳴く風が吹くたびに、大きく波打って、まるで本当の海のようだった。

 その海の向こうには、あたしたちの街がどーんと構えていて、静かに帰りを待っているようだった。

 それらがあまりに美しくて、彼の頬っぺたから手を離して、あたしはしばらくの間、口をぽかんと開けたまま、その風景を眺め続けていた。


「本当はさ、海に連れて行きたかったんだけど……」

 しばらくすると、彼の弱々しい声が聞こえてきた。

 まだ痛むようで、自分で自分の頬っぺたをぐにぐにとこねくり回している。

 あたしはというと。感動のあまり、父と喧嘩したことや、ベルト無しジェットコースターに乗れなかったことや、彼の頬っぺたを、奇声を発しながら抓り倒したことなんてもうどうでもよくなっていた。

 ただ、猿か、それ以上の畜生かと思われたあたしも人の子だったのか、彼にお礼を言わなくちゃいけないことは、幼心には分かっていた。

 ……分かっていたのに、照れくさくなってしまい。

「うおりゃー!」

 と、また奇声を発しながら彼の頬っぺたを抓り倒してしまったのだった。



「いやー。僕なりに凄い勇気をだしたんだけどなあ。あ、なんか思い出したら頬っぺたがむずむずしてきたや」

 彼があの時と同じ、にこにことした顔で、よいしょっとあたしの死体を背負い直す。

 あたしは幼い頃の痴態を思い出して、顔から火が噴出しそうだった。

 今すぐ彼の背中から飛び降りて、地面をごろごろと転げまわりたい。

 いや、死体だから相変わらず冷たいし、無理なんだけどさ。

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