第16話弥生
初めて見た大人に、生徒の誰もが興味深く友香を見た。
「あれ? 今は授業中よ。音読はどうしたの?」
この月より、友香はM市内の塾にて中学生に英語を教えることになった。
少人数制の授業で、友香が担当したのは男子二人、女子一人、合計三人だった。三人とも英語が苦手で、一年生の文法から復習しなければならないほどだった。
前職で英語を駆使していた友香はプライドよりも、英語が苦手だからこそ自分のように話せるまでに上達してほしいという気持ちが勝った。
「英語ってさ、話せるようになると楽しいよ。もしかしたら、金髪の恋人なんかできるかもよ?」
友香はいたずら好きそうに笑ってみせた。
友香は一見リラックスしているようだけれど、実は緊張している。
そういう点では、初心者レベルの英語を教えるのにちょうど良かった。
英語を上達させるのには、音読が最も効果がある。もちろん個人差はあるけれど、少なくとも友香は中学時代、空いた時間を見付けては三年間の教科書を音読し続けた。その結果、バイリンガルになったのはもちろんのこと、学校での定期テストで百点満点を取った。
また、高校に入学しても音読を続け、学校のテストでは三年間で最低九十点、最高九十九点を叩き出した。
また、課外活動では校内外開催の英語暗唱大会で活躍した。
友香は家族を支えるべく大学進学を断念したけれど、アルバイトでも正社員でも英語を活かすことができた。
音読の効果を生徒に話すと、男子二人が盛り上がった。
「すげー!」
「それが、誰にでもできるんだよ。どう? やる気、出てきた?」
「ウス!」
「じゃあ、頑張ってみる?」
「ウス!」
また、音読には講師が余分に話さなくて良いという友香にとってのメリットもある。友香は生徒のやる気を引き出すことに成功した。
けれど女子はもじもじしたままで、音読の声がはっきりと聞こえない。
「どうしたの? 具合でも悪いの?」
友香は少女の肩をポンポンと軽く叩いた。すると気だるそうな声が聞こえてきた。
「先生、具合は悪くないですよ。自分、人見知りが激しいだけなんで、大丈夫ですよ……」
友香は森本や太田に教わったことを懸命に思い出してみた。
「女の子一人だと、そうなっちゃうよね。でも、何か自慢できることができると、人見知りが治るかもしれないよ? 英語、頑張ってみる?」
「はい……」
少女はゆっくりと頷いた。彼女に対して、友香は焦らないように心がけた。友香自身もいまだに他人を警戒している。少女の気持ちは十分に理解していた。だからといって、他の生徒の前で彼女を特別扱いはしない。男子生徒を不快にしてしまうからだ。
笑顔で自宅に帰る生徒の表情を見て、友香はこの日一日だけで、友香は森本や太田に学んだことを活かせたと実感した。
同時に、自分が生きていると感じた。発病して初めてのことだった。
休日、友香はハローワークのあるS市に向かった。先月森本医師に書いてもらった意見書を携えて、雇用保険受給の手続きを行うためだ。
手続きは順調に進んだので、友香は街道を歩いてみることにした。
この地域はS市と市町村合併した後でも、繭玉が有名で街道のあちらこちらに大小の繭玉が飾られている。
友香は何かを思い出したように、スマートフォンを取り出した。
カシャッ!
友香は大きな繭玉を一つ写真に収めた。そのまま画像を森本に送信した。堂々と外出できた証だ。
友香はこうして生きている。
花壇や道に咲くあやめがそのように言っているようだった。
あやめの花言葉は「吉報」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます