第15話如月

 寒さが本格的に厳しくなってきたころ、友香の元に一本の電話が入った。

 「この前の英検、一次試験の筆記、合格しましたよ!」

 M市内にある塾の経営者からだった。

 友香は素直に嬉しかった。先月、いざ本番を迎えたものの、十年ぶりに受けた試験はやはり難しかった。胸を張って帰宅したものの、合否結果のことで不安で堪らなかった。それだけに、感無量になった。

 「次は二次試験ですね!」

 「……え?」

 友香の思考が一瞬停止した。ニジシケン。友香は筆記試験に夢中で、すっかり忘れていたのだ。

 英検の二次試験というのは、要は英語での面接だ。友香は突然不安になった。先月ようやく日本語で他人とまともに話せるようになったばかりだというのに、今度は日本語で話してはいけないのだ。

 二次試験を通過して、正式に二級に合格する。仕事から一年以上離れていた友香にできるのだろうか。

 「ところで……あなた、今お仕事をされていますか?」

 「はい?」

 突然話題が変わり、友香は経営者を警戒した。いきなり何を言い出すのだろう。まさか二十代後半で英検を受けるのが珍しいからといって、根掘り葉掘り聞くのではないのだろうか、と。

 そして経営者は口にした。

 「あなた、英会話講師になりませんか?」

 「……どういうことでしょうか?」

 友香は率直に尋ねた。すると経営者も明快に答えた。

 「新しく英会話スクールを開きたいのだけれどね、どうも女性でないと駄目らしいんですよ」

 友香はなるほど、と思った。この人は手当たり次第に人材を探しているのか、と。

 高卒の友香には、通常ならばこういったチャンスはまず来ない。けれど本来の友香は子どもの相手をすることに関しては苦痛ではなかった。できることならばチャンスを掴みたい。けれど友香にはネックがある。

 「私、高卒ですよ? それに、今回英検を受けたのはリハビリのためです。私は……うつ病と不眠症の治療中です」

 友香は重い声で真実を告げた。けれど経営者の声はどこまでも軽快だった。おそらく病気について詳細を知らないのだろう。

 「分かりました! 一度面接をしましょう! 日程は……二次試験後が良いですか?」

 「はい……」


 その後、友香は二つの良い結果を得た。

 一つは英検二級の正式な合格。もう一つは英会話講師としての採用だった。

 友香は目も耳も疑った。自分は幻覚でも見ているのだろうか、と。

 けれど二つの結果は幻覚でもなかった。ただの事実であった。

 友香は自分が認められたことで、己に自信を取り戻し始めた。

 起床後の動機が和らぎ、日中の眠気がどこかに吹き飛んだようだった。

 そして友香は傷病手当受給を廃止し、森本医師に、三月から雇用されることを伝えた。また、ハローワークに持参すべき意見書の発行を依頼した。

 森本医師は相変わらず感情を表に出さなかったけれど、内心では患者の回復と新しい一歩に喜んでいるようだった。

 「まあ、塾ならホテルほど激しい仕事ではないだろうし……やれるところまでやってみたらどう?」

 この後、友香は受給延長手続きをしていた雇用保険の申請のためS市に出向くことになるけれど、それは翌月の話になる。

 

 これが自分の成すべきことなのかは、正直に言って分からない。けれど

できるところまでやってみよう。

 友香は軽い足取りで病院を後にした。

 病院の帰り道、梅花に寄り添ううぐいすを見付けた。

 「もう、こんな時期になったんだ……」

 梅花の香りとうぐいすの鳴き声が友香を包んだ。

 梅の花言葉は「鮮やかな美しさ」

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