お題【プラシーボ】【愛しき悪夢】【インスタント】【最低限文化的な】

 inner heaven : SF

 ――西暦、なんて言葉を置き去りにして随分経った。

 彼は外世界に繋がる隔壁に居る、3つの"外敵"を見た。"人間"より一回り大きく、銀色にいくつかの色や機械を重ねた"標的"。身に着けた対低環境用のスーツはずっしりとした重量だが、シュミレーションのように体が動く。腰に付けた小銃を取出し、ゆっくりとこちらに視線を向ける相手に、銃弾で交渉する。狙いは、足。

 

 ――"外側"の世界で起きた大規模な戦争によって、かつての緑は失われて久しいらしい。

 1つ、2つ。"外敵"は、緑色の血を流して後ずさる。彼の知らない言語で叫ぶが、銃を向けると逃げ出した。よもや抵抗に遭うとは思っていなかったのだろう。

 

 ――人類は、山の中に設置された避難用の巨大施設で、50年近く生きながらえているらしい。

 僕達だって戦う準備をしてきたのだと、少し誇らしく思い……逃亡する"外敵"を見送った。

















『よくやりました、907ナイン・オー・セブン


 高揚する意識、心なしか浮き足立っている彼の耳元で、柔らかな女性の声がした。その声が耳に入るや否や心臓の鼓動は頂点に達し、思わず足を留め、周囲に誰もいないというのに無意識に敬礼をする少年。


「ありがとうございます、エータ様」


 その一言だけでいっぱいいっぱいになってしまう彼の耳元に、くすぐるような笑い声。


『あら、私の騎士はまだ緊張しているみたいね。心拍数が高いわ……。早く戻ってらっしゃい?』


 慌てて隔離通路を走る少年……無理もない。ここに人類が逃げ込んでから50年、初の外敵の襲来だ。いずれ来るであろう"それ"に対応する役割を与えられた彼は、生まれてからすぐに英才教育を施されていた。

……それも、他ならぬ"エータ様"に。彼はそのことを誇りにすら思っていた。彼の生活空間の後ろ、いくつものシャッターの奥では、エータ様の加護の元で人類は幸せに暮らしている……その全ての安全は、自分の肩にかかっているのだ。


 急ぎ足で隔離通路の端、自身の居住区直前のシャッターにたどり着く。煌々と光る緑色のランプは、少年を認めるや、軽く明滅。目の前の鋼の壁がゆっくりと左右に割れ、身じろぎできるかも怪しいほど狭い空間が開けた。

 その空間に体を押し込むと、扉は再び閉じ、空間内の消毒と酸素等の流入が行なわれている……らしい。原理を、少年はよく知らない。ただ、対低環境用スーツ無しに外に出られないことは、知っている。

 消毒終了を告げる電子音。彼はその音に従ってヘルメットを取った。汗ばんだ顔に張り付く、うねるような黒髪……耳にかからない程度に切ってはいるが、クセ毛はなかなか矯正できないのが目下本人の悩みであった。顔を左右に振って汗を払う。ヘルメットを取るや否や、目の前のランプの発行は赤色に切り替わっていた。慣れた手つきで、次はスーツに手をかける。抵抗なくするすると脱げる銀色。アルミホイルじみた光り方をするその下から……齢相応に、しかし日々鍛錬に時間を費やしている……スラリとした肢体が露わになった。

 服を投げ捨てるや否や、目の前のダイオードは明滅し、緑色へと戻る。ゆっくりと、入口とは別の壁が開き、光が彼を出迎えた――。

 白く塗られた壁、色とりどりの人口花が飾られたこじんまりとした生活空間……ドーム状のこの空間が、少年のゆりかごであり、家であり、学校であり、夜空であり……彼の全てだった。

 隅に寄せられたベッドに体を投げ出し、つかの間の開放感を味わう……。





『おかえりなさい、907。服くらい着たら?』


 寝転んだ隣の空間に、少女の姿が投影される。雪色のワンピースに、腰まで伸びた太陽のような銀の髪、そして牛乳をこぼしたような純白の瞳。悪戯っぽく、笑っている。

跳び起きた彼は……文字通り、跳ね上がるように飛び起きた……布団を身に纏い、美術の絵画のようにその姿を隠そうとした。


「え、エータ様! あの、ちがっ……」

『もう、せっかく私が法律に則って最低限文化的な生活を保障しているというのに……原始時代までさかのぼっちゃって』


楽しげな少女が空中で魔法をかけるように手を動かすと、壁から引き出しが飛び出し、彼の前に力無く着地した。


『ほら、服着たらお疲れ様会ですよ』


屈託のない笑顔……この部屋以外の、彼の全てが、そこにあった。





 

 

 ――エータ様が避難民たちをまとめ、統括し、少なくともセーフティネット以上の生活を提供している。そんな楽園が、そこには確かにあった――。

 

 

 

 

 

 ひとしきり疲れを労わられた彼を眠りから叩き起こしたのは、二度目の警報音だった。

赤く明滅する部屋から隔壁へ。銀の低環境用スーツを纏い、金魚鉢のようなヘルメットを被る。

けたたましい赤いランプは消え、彼の背中を押すように通路のランプが緑色に光っている……。万事順調システム・オール・グリーンを意味する、緑に。

 通路を駆けた先に、朝方と同じ姿の"外敵"が待ち構えていた。手には身の丈ほどもある武器を抱えている。


 ――先手必勝!


 少年が小銃を取り出そうとした瞬間、目を疑う光景が飛び込んできた。

 対峙する敵は、巨大な武器を手放し、両手を挙げている。確か、意味するところは……。


『降参。あなたの油断を誘う作戦です』


 耳元で、暖かな声。その声に、心の動揺は少しだけ落ち着いた。油断なく銃を構え、にじり寄る……。


「――」


"外敵"は何かを口にした。意味は分からないが、その声に敵意は感じられない。外敵はあげていた手をゆっくりと自分の首の裏に手を添え――その一挙一動を見守る少年は、思わずあっと声をあげた――一息に、頭を、投げた。正確には、彼と同じように身に着けていたヘルメットを投げたのだ。

 すらりと伸びた長い金髪が、空に絵を描く筆のように踊る。透き通る白い肌が、笑顔を貼り付けて少年をその眼差しで釘付けにする。緑色の唇が、妖艶に歪んだ。


 人間……の……?


ぱくぱくと、水を失った魚の様に口が動く。耳元で、エータの声がするが今の彼には届かない。なにせ……彼が見たことがあるのは鏡越しの自分と、実体のない"彼女"の姿……他の人間? 外? 汚染されているのにヘルメットを……?


 動揺は、反応を鈍らせる。


女性は一瞬で歩を詰め、彼の頭部に手を添えた。反撃の余裕も、彼にはなかった。

目の前に一瞬現れた「警報」の文字は、軽い衝撃と共に取り上げられ……緑一色だった世界が、真っ赤に染まった。ヘルメットが……汚染された空気が……?


「――」


女性が何か言った。吸い込む空気がいつもと変わらないことが、先ほどまで緑色だった女性の唇が……林檎のような赤色になっていたことが、彼の心の中にあった積み木を、粉々に崩してしまったようだった。







「……エータ様。ここを開けてください」


 女性を置いて、彼は逃げ帰ってきていた。いつもの、彼の巣に……彼の楽園に。しかし、隔離通路からの入口……洗浄空間への扉すら開かない。いつもは緑色に光っているランプが、拒絶するような赤に変わっている。


『……できません。あなたは、きっと彼女を連れてきてしまうでしょう』


いつもとは打って変わって、淡々とした"彼女"の声。彼は、明確な拒否を感じた。今まで、彼を優しく育て上げた時には……一度も聞いたことの無かった声。足元から世界が崩壊するような感覚に、彼は思わず目眩を覚えた。


『外敵は排除しなければなりません……907に対する教育プログラムを終了し、外敵として認証します。さようなら』


 カツ、カツ。左右から足音が響く。目をあげた彼は……自分が縋りついていた希望が、悪夢であったと知った。

いつも彼が身に纏っているスーツと同じものを着用した、防衛係が2人。

冷徹に彼を見下ろしている。

……対低環境用スーツもなしに、隔離通路に崩れ落ちた、彼を。



 銃声が届くより早く、彼の意識は暗転した。

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