冬来りなば春遠からじ
『
寒くて暗い冬が来ているということは、暖かく明るい春がやって来るのもそう遠くないはずだという意味で、イギリスの詩人シェリーの『西風に寄する歌』の一説からきているそうです。
思い返せば、小学生・中学生だった頃の私には、たとえではなく本当に冬は辛抱の季節でした。正確には『冬』というより『冬の体育』です。
私が小学生時代を送った山形では、冬の体育はスキー授業でした。これが憂鬱でたまらなかったのです。
両親ともにスポーツをしないので、スキーは学校で習うだけ。家庭でスキー場に行く子はやっぱり華麗に滑っていて、なんだか尻餅をついてばかりの自分が惨めでした。それこそ、じっと春が来て雪が溶けるのを待ちわびていました。
それに、スキー道具も一回り年上の従兄弟のおさがりで恥ずかしかったんです。自分のものを買ってもらったのは中学生になってからですが、それまでは旧式のスキー板やウェアが不便で恥ずかしくて……。
今となっては「おさがりでいいじゃない、いただけるだけありがたいじゃない」って思うんですけれど、あの頃はみんなと同じじゃない不安が怖かったのです。
それに、スポーツの道具って毎年新しいモデルが出ますから、十数年前のスキー道具はかなり旧式で、使い勝手も確かに悪かった。
第一、高所恐怖症なのでリフトに乗りたくなかったんです。
スキー場にみんなでバスに乗って行くスキー遠足など、車酔いしやすいタイプだったのでなおのことアンニュイでした。
中学一年になって北海道に転校したとき、スキーがないといいなと淡い期待をしていたのですが……やっぱりスキー授業はありました。そりゃあ、雪国から雪国に転校したんだから、なくなるはずがないですねぇ。北海道でもじっと春を待ったものです。でも、基本的に体育が嫌いだったので、気持ちの上では万年冬だったのかも。
ただし、当時小学生だった弟はスキーではなくスケート授業になりました。
北海道でも地域によって違いますが、うちの地元では小学生はスピードスケートを授業で習うのです。
私はフィギュアもスピードスケートもまったく出来ないので、そのときばかりは「中学からはスキー授業でよかった」と胸を撫で下ろしたのでした。だって、転んだとき氷に尻をつくより雪についたほうがまだ痛くないですからね。
それにしても、雪国の冬は長かったなぁ……。
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