思い、半ばに過ぐ

 『思い、なかばにぐ』とは、考え合わせてみると、思い当たるふしが多く、おおよそのことはほぼ推察できるということ。出典は『易経』です。


 無性になんでだろうと不思議に思ったことで、一番この言葉に近いこと。

 それは『何故、夫にはなかなか素直に「愛している」と伝えたり、抱きついたりといった愛情表現ができないのか』ということでした。


 実はですね、ちょっとお恥ずかしい話、現在の夫と結婚する前にお付き合いしていた人たちや前夫には、かなりそういうことを堂々としていたのですよ。

 欧米寄りのテンションの高さですから、いってらっしゃいのキスは当たり前で、前夫に「もう結婚生活も長いけど、いつまでやるの?」と呆れられるほど。そのときの私は「もちろん、死ぬまでよ」と即答しました。

 毎日、躊躇なくハグをし、「愛している」「好き」とストレートに言葉で愛情を伝え……ラテン系か。


 なのに、現在の夫には何故かできない。

 何故だろう。いつの間に私は、彼がごく稀に「愛しているよ」と言ってくれても、「あぁ、そうですか」としか言えないような愛嬌のない女になってしまったのか?

 子どもが見ている前でいってらっしゃいのキスは抵抗あるからできないのか? いいえ、子どもがいない頃からしていません。


 考え合わせてみると、理由は簡単なんじゃないかと思うのです。

 夫がそういうラテン系なガラでもないってのもあるんですけれど、それまでお付き合いしてきた人たちとは、きっと心のどこかで終わりを予感していたんじゃないかなぁ、と思うのです。


 儚いものになるだろうという予感があったのかもしれない。もしくは、終わらせたくないとすがる気持ちがあったのかもしれない。どのみち『ずっと一緒に』という言葉が夢のまた夢であることをうっすらと知っていたのではないかなぁ。

 限りある関係だというのは夫も同じなのですが、もっとはっきり明確に別れの影を感じ取れていたのかも。


 限りあるからこそ、伝えられることを伝えられるうちに、めいっぱいぶつけようと思っていた気がします。それに、愛情を示すことで相手を救いたいという思いもありました。

 当時は自分が恋愛に照れのないオープンな性格なんだろうと思っていたのですが、今考えてみると、相手のためにそうしていたところもあるのでした。『あなたを愛している人は少なくともここに一人います』と伝えたくて必死にならざるをえない背景があったのです。ハグやキスはわかりやすい表現ですから。

 ある意味、私も依存していたのですね。


 そして、今の夫にはどこか甘えているのかもしれません。でも、愛情を示す方法はハグやキスだけではなく、それぞれに似合う伝え方があると思っていますので、違う方法で伝えているつもりです。それは我ながらとても地味な表現だと思いますが、彼との心の重ね合いには情熱にあふれたものよりも、しっくりくるような気がします。


 どうして今、私はこの夫と一緒にいるのか。自分でも何故彼を選んだのかとても不思議なのですが、人と人の繋がりって過ぎてしまってから見つめ直すと、初めて見えてくるものがあるようですから、ずっと先の未来にわかるのでしょう。

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