幽霊の正体見たり枯れ尾花
『幽霊の正体見たり枯れ尾花』とは、怖い怖いと思っていると、なんでもないものまで恐ろしいもののように見えてしまうということ。
枯れ尾花というのは、枯れたすすきの穂のことです。
私自身は霊感はないのですが、北海道の知人に一人、『幽霊が見える』という人がいました。
賃貸物件を見に行ったら押し入れにおじさん(生身ではない)が正座していたり、屋上に軍服姿の男性がいたり、日常生活で当たり前のように見るのだそうです。通りすがりの人が増えて見えるって大変ですね。
一緒に車に乗っているときに「あ、猫がいた」と言うので、「生きているほう? 死んでるほう?」と訊ねると、「死んでるほう」とあっけらかんとした答えが返ってきました。
『幽霊の正体見たり枯れ尾花』とはよく言ったもので、「ふぅん、そういう世界もあるんだね」と構えていないと、こういう人とは長い間一緒にいられないだろうと思ったものです。
そんなある日、私の実家で飼っていた愛猫『タマ』が虹の橋を渡っていきました。十八年一緒に過ごし、白と黒の牛のような柄をした男前の猫でした。
その知人は冷たくなったタマにお別れをしてきた私と会って一言、「あぁ、連れて来ちゃったね。きっとあなたが哀しみすぎて心配なんだ」と言いました。私といると、猫の鳴き声がするというのです。
それに、その知人の母親も見える人らしく、足の指を怪我した知人が私といるときに足の写真を撮って携帯電話で送ったところ、「あら、猫を飼ったの?」と言われたそうです。「黒いかぎしっぽが写ってるわ」って。タマは黒いかぎしっぽでした。
さらに知人は私に「夢を見たの。三毛猫の親と、白黒の子猫が並んで神社に座ってるの。あなたの猫?」と言います。
これにはびっくりしました。なぜって、タマの母猫は、床屋で飼っていた三毛猫なのです。タマ一匹しか生まれなかったので、「一人っ子なんて珍しいし、一匹だけならいいよ」と、引き取ったのでした。そして、縄張りだったとしてもおかしくない床屋の近所に、神社があったのでした。
そのことは知人に話したことがないので、いまだに不思議だなと思うことの一つです。
でもそのとき、怖いと思うより愛猫が本当に私を心配してついてきてしまったなら、申し訳ないと思いました。
依存しないで、私も頑張るから、安心してね。そう何度も言いたかったけど、どこに向かって声をかけていいかわからなかったです。そのときばかりは、私にも見えたらいいのにって思いました。幽霊でもいいから会いたかった。
現在は四匹の猫と暮らしていますが、ふと、タマには本当に優しくできていたかなぁと思うときがあります。
小学生の頃からずっと一緒でしたが、私自身も子どもでしたから、ときには理不尽な思いもしたのかな? 幸せでいてくれただろうか?
最後にはよぼよぼのおむつ姿のおじいさん猫になっていました。猫は死ぬときは姿を消すなんていいますけれど、タマの場合はベッドに戻してもよたよたと足をひきずって私の膝の上に乗ってくるのでした。思い出すだけで涙がにじみます。
物理的には届かないけれど、心だけは寄り添いたくて、私は猫を可愛がるのかもしれません。現在の愛猫たちの向こうに、タマを見るのでした。
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