第18章 それゆけ鼻爪大臣

 仕事が忙しい旦那さんにも、わが子のためになんとか育児に参加してほしいと思っている方向けに、我が家のやり方を一つ紹介しようと思う。


 激務だったりストレスが多い職場だと、旦那さんにも余裕がない。育児に参加したい気持ちがあってもできない方は多いのではないかと思う。妻側としても、気軽にあれやってこれやってと助けを求めずらい。仕事から帰るとニコニコ我が子を可愛がってくれる姿はいいお父さんなのだが、ちょっともやもやすることがある。可愛がってくれるのは大変嬉しい。嬉しいのだが、可愛がるだけというのは育児のうちに入らない。可愛がるだけなら近所のおばちゃんでもできるのだ。父親として、もうワンステップ参加してくれたら嬉しいのにな、と思ってしまう。妻を助けて欲しいというより、一緒に子供をしっかり観察して、一緒に試行錯誤してほしいのだ。


 しかし現実問題、帰るのが遅かったりするとやることがない。たまに早く帰ってもおむつ替え程度しか力になれない。結局「可愛いね」と褒めて終わりになってしまう。



 そこで我が家は旦那を「鼻爪大臣」に任命することにした。職務は二つ、赤ん坊の鼻掃除と爪切りである。私はあくまで補佐官であり、基本的に手出しはしない。


 たかが鼻掃除と爪切りであるが、大人の場合とはわけが違う。まず鼻掃除。乳児は鼻毛というものがないせいか、すぐ鼻くそが溜まる。しかし大人のようにかんで出すことが出来ないので、詰まってしまう前に綿棒などを使って取り除いてやなねばならない。これがかなりの至難の業なのだ。もうとにかく赤ん坊は鼻掃除が嫌で嫌でたまらない。短時間で的確に任務を終えないと、大泣きして暴れられてしまう。

 

 私も旦那も初めの頃はなかなかうまくいかず、またどこまで綺麗に取るべきなのか分からずに毎度大泣きされて苦戦していた。「本気で嫌なんです!」という顔をされて泣かれるとこちらも辛いが、息苦しそうになる前に取ってやらねばならず、やりたいけどやりたくないというジレンマに陥っていた。


 そんなある日、旦那が奇跡的に一発で鼻くそを絡め捕り、ひと泣きもさせずに終えることが出来た。何たる快挙。


「すごい!」「素晴らしい!」「さすが!」「才能あるんじゃない!?」


思いつく限りの言葉で褒め称えると、まんざらじゃなさそうな顔をする旦那。

―――あ、今こそ就任の時!

そう直感した私はその場で旦那に今後鼻掃除を一任することを宣言。一度でも泣かせずに掃除し終え、自信をつけた旦那は快諾。


 その後は基本的に旦那が鼻掃除をすることになった。鼻掃除を無事に終えるために様々な工夫を凝らすようになり、日に日に技術も向上。元々ゲームが好きな旦那は、「泣かせずに取りきったらクリア」というゲームを楽しむように鼻掃除に取り組んだ。あやしながらスキをついて一ほじり、失敗したら泣く前にすかさずあやしにかかり、次のチャンスを窺う。時には別件で大泣きしている時に、もう泣いているので落ち着いて集中、的確に一ほじり。それでもうまくいかない時は、呼吸困難で死ぬ程に詰まっていなければ、やらずに明日へ持ち越す。子供と真剣に向き合い、特性をつかむ。嫌がるものも、子供のために必要であれば心を鬼にして与える。まさにこれぞ育児そのものである。


 旦那が仕事で忙しい時は補佐官たる私が掃除することもあるが、帰りが遅いと思って掃除してしまった日に限って早く帰ってきたりして、何も残っていない鼻の穴を見てガッカリすることもしばしばあった。


 授乳で夜中ごそごそ起きたところ、かなりはっきりした声で

「結構がっつり詰まってんね」

という寝言を旦那が言ったときは、一体なんのこっちゃいと思った。が、翌朝、鼻掃除のために鼻の穴を覗く夢を見ていたと聞いて、夢に見るほど職務を全うしようとする熱い情熱に脱帽してしまった。すっかりお鼻チェックは、日課として染みついているようだった。




 「鼻爪大臣」職務その2、爪切り。これも大人の爪を切るのと同じ感覚では務まらない。とにかく赤ん坊の爪が伸びるのはあっという間である。2、3日にいっぺん切らないと、伸びた爪で顔をこすったり引っ掻いたりするので、すぐ傷を作ってしまう。しかもコツが必要で、傷を作らないように、まあるく、特に端に角を作らないように切りそろえねばならない。せっかく爪を切ったのに、むしろ切った後の方が角が鋭利になってしまって、顔にひっかき傷が出来ることもあるのだ。


 さらに爪切りも赤ん坊は嫌がる。泣いて嫌がるというより、手足を持たれて固定されるのが嫌なので、もぞもぞ逃れようと動いてしまう。油断していると肉まで切ってしまうので、集中力・注意力が求められる。爪切りという職務は、危険と隣り合わせのやりがいのある仕事なのだ。



 この職務の任命もまた、称賛とともに行われた。元々手先は器用だったので、小さい爪にも恐れずに取り組んでくれた旦那に惜しみない賛辞を送った。最初のうちは角が残ったりして傷が出来てしまい、後で私が切りそろえたりしたが、傷を見れば任務遂行度合いが不十分であったことは一目瞭然なので、すぐに改善してくれた。


 うっかり切り忘れていて、やはり傷が出来ることもあったが、赤ん坊の治癒力は妖怪レベル、翌日には治ってしまうので、あまり神経質にならずに旦那が気付くまで伸びたまま放置してみたりした(さすがに危ないと思ったらこっそり私が切っていたが)。


 爪切りが旦那に向いているのは、赤ん坊が寝ている時こそ職務施行に最も適している点である。起きている時に足の爪を切ろうと思ってもかなり強い力で反発されるので、寝ている時が1番安全だ。仕事で遅くなって子供が寝てしまっていても、この職務は遂行することができる(ただしすぐ起きてしまう繊細な赤ん坊をお持ちの方は、爪切りでせっかく寝かせた子が目覚めてしまうとリスクが大きすぎるので就寝後の爪切りはオススメできない)。


 また、爪切りも鼻の穴と同じで頻繁に伸び具合のチェックが必要であるので、子供を自然と細かく観察するようになる。上手いやり方はないかと模索して、子供のために試行錯誤する時間が生まれる。子供のために悩んで、解決する。すると父親としての自信がついて、もっと子供に関わろうとしてくれる。



 「やっぱり結局お母さんだよね」ではなく、「この分野はお父さんの独断場」と自信を持って言える場所があるのは、男の人が父親へとステップアップする上で大切なことではないかと思う。目に見える形で役割があるというのは、育児という土俵に居場所が生まれる。もし、もう一歩育児に踏み込んでみたいけれどなにから始めればわからないという方は、ひとまず鼻爪大臣に立候補してみるのはいかがだろうか。何なら休みの日だけでもいい。なかなか困難な職務が待っているが、達成感は保証できる。奥様方はそっと補佐官として支えてみてほしい。

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