第15章 食欲あると人生変わる

 妊娠中は味覚や好物が変わるという有名なエピソード。私の場合はどんな風になるのだろうと、幼い頃から期待に胸を膨らませていた。酸っぱいものが食べたくなるのかしら、フライドポテトが狂おしいほど好きになるのかしら。つわりは嫌だけど、しんどい中で食べれられるものが日によって変わるというのもなんたる神秘だろう。


 おそらく日本で1番その変化を楽しみにし、心待ちにしていたのは私であったと思う。



 しかし現実は非情だった。いや、稀に見る幸運というべきなのだろう。私には全くつわりがなかった。つわりが軽い人でもお米の炊ける匂いは気持ち悪くなると聞いたことがあったが、全然平気、問題なし。そして期待の味覚と嗜好は、なにも、特になにも、変わらなかった。つわりで入院する人もいるのに何言ってんだと思われるかもしれないが、本当にずっと変化を楽しみにしていたのだ。少しくらいガッカリしてもバチは当たらないのではないだろうか。


 そんな私にも、1つ大きな変化があった。食欲である。味覚の変化などと比べると地味な変化だが、私にとっては人生を変えるレベルの変化だった。



 私は産まれた時からとにかく食の細い人間だった。どれだけ細かったのかをご理解いただくために列挙すると、

●おっぱいの飲みは悪い。

●食が進まないと食べるのも遅いので給食は昼休みまで残らされる(嫌いな食べ物が出た時は掃除の時間ギリギリまで戦ったこともある)。

●体育大会や文化祭の前はプレッシャーで数日前から元々細い食がさらに細くなり、当日貧血を起こす。

●中高生の頃のお弁当の時間は、食事に集中力を注がないと、すぐ食べたくなくなり完食するのが厳しくなるので、友達との会話を心から楽しめない。

●まだ打ち解けていない人たちとの食事だと気を張って胃が収縮して半分も食べられなくなる(同じ釜の飯を食べて仲良くなろうと思っても、まず飯が食べられない)。

●脂っこいステーキなどは頭が痛くなるので二、三切れが限界。

●チョコレートも甘すぎたり量を食べると頭が痛くなる。

●外食時は常に残してしまう罪悪感と隣り合わせなのであまり楽しくない。

●どんなにお腹がすいていても、半分も食べれば満足してしまうので、あとの食事は苦行となる。

●そもそも食に興味関心が薄い。

●人類の食事がカプセル1つで済ませられる未来に憧れを抱く。


 もう食が細いというか、食事するのがストレスになるレベルだったのだ。当然体つきは貧相なもやし体型になって、体力もないので動きたくなくなる、そして動かないのでお腹も空かないという悪循環。人類が野生化したら真っ先に死ぬタイプだった。



 そんな私に転機が訪れる。そう、妊娠である。お腹が大きくなるのと比例してどんどん食欲が増し、後期には人並みに定食などを美味しく苦痛なくペロリと完食できるようになっていた。食事が毎日こんなに楽しいのは初めての経験であった。



 そして産後、私の食欲は爆発する。母乳育児をしているせいもあるのだろう、とにかく常にお腹がすく。生まれて初めて、ダメだと頭では分かっているのに間食がやめられない気持ちが理解できた。


 スーパーでお菓子など滅多に買わなかったのに、常に家にストックがある状態となったことには自分でも驚いた。お土産でもらった甘味などは、いつも残って賞味期限が切れていたのに、2、3日しかない期限のものでもあっという間になくなる。「あと少し」が食べられなかった晩御飯も、逆にあと少し足りないという状態になり、米をおかわりしてお腹を膨らませる姿に旦那も驚きを隠せない様子だった。今まで見向きもしなかったスタミナ焼肉丼ぶりに魅力を感じ、重たいチョコケーキを苦もなく平らげる。


 あまりの慣れない食欲に加減がわからず、食べ過ぎでお腹を壊すこともあったほどであった。食欲があるとこんなに食事が美味しく、楽しく、スピーディなのかと、私はもう一度この食欲で人生をやり直したくなった。ようやく人間になった気がした。



 これから母乳が終了したら食欲も元に戻るのではという懸念はあるが、食の楽しさを教えてくれた我が子には感謝感謝である。ただし噂の「下腹がヤバイ」という感覚も、初めて味わうことになったのだが…ここではあえて見て見ぬふりをする。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る