第5章 おっぱいはハイリスクハイリターン

 おっぱいは赤ん坊の栄養・水分補給にだけでなく、泣きやませから寝かしつけにまで多岐に渡って使える便利な魔法の脂肪体だ。子供の性質にもよるのだろうが、何をやってもぐずる時には、おっぱいさえ咥えさせれば安心して一旦泣き止んでくれるので、まさに最強最終兵器、育児の心強い味方である。しかしながら、この魔法効果を得るためにはそれなりのリスクが付き物であることを忘れてはならない。




 一旦乳汁分泌できる体になってしまうと、赤ちゃんが小食で吸いが足りなかったり、求められる量を上回るほど母乳が出すぎる体質だったり等で需要と供給のバランスが崩れてしまった場合、乳汁を生産しすぎた乳房は、古い乳が溜まってしこりが出来たり、ガチガチに張って痛みと熱を伴ったり、果ては細菌感染を起こして乳腺炎となり最悪高熱を出して寝込むことになる。


 また、大体3時間おきに授乳をしている人の場合、そのくらいの間隔に合わせて乳汁生産が自然と行われるため、用事や息抜きで赤ちゃんと一時的に離れて過ごしていたとしても、3時間後には乳房がパンパンに張って苦しくなる。一人の時間にタイムリミットが設けられてしまうのだ(ちなみにこの張った乳房の中身を、赤子がものすごい吸引力で吸い出してくれてぐんぐん楽になっていく時の爽快感は、なかなか味わえない気持ちの良いものだ)。中には乳が溜まって張るということが起きず、吸われたら吸われた分だけフレッシュな乳が生産される人もいるという噂も聞くが、大体の母乳育児中の人は、ガチガチに張った乳房というものを経験しているのではないだろうか。



 やむを得ず働きに出なければならない、長時間赤ん坊と一緒にいられない場合はトイレなどでコソコソ乳を自分で絞って捨てないと日常生活を送るのが厳しくなる。この絞る作業が、まあ面倒くさい。牛のようにちょっと掴めばビュービュー大量に出たりしないのでコツがいる(牛にももちろんコツはあるのだろうが)。さらに、張ってしまった乳房は固くて絞りにくい。巷で「搾乳機」なるものが売られているのは、やはり手で短時間にしっかり絞りつくすのがなかなか難しいからだ。


 乳房をカップですっぽり覆い、シュコシュコ乳を吸いだす搾乳機の見た目に、一部の男性は「うわ、エロい」などという感想をもつかもしれないが、乳を吸いだされ楽になる爽快感はあっても別にエロい意味の気持ち良さは微塵もなく、むしろこちらとしては必死なので、エロいなという気持ちは胸の中だけにとどめておいていただけると幸いである。(ちなみにこの母乳、出だしは水に白絵具を一滴落としたような薄いものが出て、調子が出てくると濃い白色の液体が出てくる。母親の食べたものに多少左右されるが、基本的にほんのり甘い。興味のある方は是非嫁を貰ってご賞味あれ。)


 子供に吸われないと乳の分泌は徐々に衰えていくので、母乳育児を続けたい人は定期的にちゃんと赤ん坊に乳首を吸ってもらうか搾乳する必要がある。一時的に体調を崩して母乳をあげられなくなったり、赤ん坊の吸い方が下手で乳首から流血したりとトラブルがあっても、出し続けなければ乳は止まるし乳腺炎になる可能性も増してしまうのだ。



 リスクとしてもう一つあげられるのは、特に裸族の方はもう裸ではいられないということである。乳は吸えば出るが、吸わなくても漏れてきたりするのである。朝目が覚めたら胸元が漏れ出た母乳でびちゃびちゃなんてことも日常的に起こりうる。母乳の出具合にもよるが、子供の乳を欲しがる泣き声を聞いたりすると、乳首周辺がじーんとして乳があふれ出すこともある。さらには片方の乳を飲ませている間に、もう片方の乳からポタポタとめどなく乳が滴り落ちてしまうこともある。片乳をきちんと覆っておかなければ、授乳中赤ん坊は母乳でびちょびちょになってしまうのだ。


 また、温まると乳の分泌が良くなってしまうので、乳の出が良い人が乳汁が溜まった状態でお風呂になど入ったら、あがって体を拭こうとする間に次から次へ乳が垂れ落ち、地面に乳の雫で雨でも降ったかのようなシミが出来てしまう。



 こんな状態であるから、周囲に乳の雨を降らせたくない裸族の方は、服を着たらハイ解決!というようには簡単に事は運ばない。せっかく来た服がビチョビチョになるのを防ぐために、授乳婦は「母乳パッド」という、言ってみれば「乳オムツ」を装着せねばならないのだ。構造は単純に乳に沿うような形の丸型オムツ素材の裏に接着テープが付いていて、授乳用ブラジャー(普通のブラと違い、下にワイヤーが入っておらず、引っ張ったり開いたりの動作ですぐに乳房を放り出せるようになっているもの)などの乳房にあたる部分にぴたっと張って使用する。この乳オムツによって、胸元が常に濡れている人から卒業できるのだ。風呂上りも、乳汁が垂れる前に素早く拭いて素早く乳オムツで乳首を封印すれば、地面ビチョビチョ問題も解決する(これは女性が生理中の風呂上りに、股から血が垂れる前に隙を見て素早く股間を生理用ナプキンで封印する様に似ていると思うのだがどうだろう)。さらには乳オムツは真夏は暑いので、胸元は基本的に汗だくになる。裸族の方は環境の変化に戸惑うことは間違いないだろう。裸族でなかった自分でさえ驚きの連続であったのだから。




 上で述べただけでも、おっぱいから母乳をあげるという行為には、「酒が飲めない」「乳房の形が崩れる」以外にもたくさんのリスクが潜んでいる事がわかる。金がかからないのは利点であるし、粉ミルクを調整したり器具を洗う手間が面倒なズボラな方にはおっぱいが出るのはありがたい。が、最近の粉ミルクは栄養面でも素晴らしい出来であるし(母乳より粉ミルクの方がむやみにあげると肥満になる)、出先でも人の目を気にせず授乳が可能であるし、母親以外も授乳ができるのでスキンシップがとれて皆楽しいなど、粉ミルクにも多くのメリットがある。


 母乳が一番!出来れば母乳で!という母乳教が、いまだ世間の主流宗派で、母乳を出したくても出ない母親たちを追い詰めがちだ。しかしながら粉ミルク一本育児で育った子が風邪をひきやすい弱い子になるかと言われればそんなこともないし、大抵元気にたくましく栄養源に関係なく育っている。イクメンや主夫という単語が浸透しつつある世にあっては母乳教は少々時代遅れである。


 そうはいっても、実際おっぱいはいいこと一杯、さらに育児においては便利グッズであることは確かなので、母乳育児希望の初産婦の方は、出たらラッキー、出なくてもジョッキ片手に祝杯が挙げられるぞラッキーくらい肩の力を抜いて望んでいただけたらいいのではないかと、私は思う。


 とにかく母乳だろうが粉ミルクだろうが、赤子が求めるのは乳、乳、ひたすらに乳。父でも母でもおばあちゃんでもない。乳が飲めればそれでいい。誰も乳様には勝てないのである。

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