第4章 改名・私の名はおっぱいになりました

 苦労して鍛えたおっぱいは、育児において最大限に役立ってくれるが、時に嫉妬の対象になる。親バカ、孫バカと化し、一分一秒でも長く赤ん坊をその手に抱いて眺めていたい大人たちにとって、お腹がすいた赤ん坊に力の限り泣かれるのは切ないものだ。どんなに自分が心を込めてあやしても、慈愛に満ちた眼差しを注ぎ続けても、その泣き声は「おまえじゃないんだバカ野郎」と言わんばかりに増すばかり。そして悲しげに母親に赤ん坊を差し出すのだ。


「おーい、おっぱいだってー」「はーい、おっぱいがきたよー」「よかったねーおっぱいだよー」


 あら?いつの間にか私の存在は無き者にされ、主役はおっぱいと化している。私におっぱいが付いているのではなく、おっぱいに私が付いている状態である。メガネキャラがメガネをはずすと誰だかわからない、むしろメガネ単体で皆そのキャラを認識する現象と似たような感覚。自己が希薄になったように感じ、少しばかり寂しい気持ちになった。


 さらには赤子本人もちらりとも私を見もしない。「おまえでもないんだ、おっぱい寄越せ」という感情がにじみ出た泣き声をあげ、獣のような目つきでおっぱいへまっしぐらなのである。その野性味溢れる食いつきぶりからは「おっぱい!おっぱい!」というその一念しか感じられない。きっと赤ん坊も私のことを「世話をしてくれるおっぱい」としか認識していないのだろう、と生後1、2ヶ月の頃は諦めにも似た気持ちになったものだ。


 授乳後私の腕の中ですやすや眠る赤ん坊を見て、「やっぱりお母さんが好きなのかしらねー」などと声をかけられても、「違うよ、この子が好きなのは私じゃなくおっぱい。おっぱいさえ出れば誰でもいいのよ…」と、浮気性の男に振り回される都合の良い女のようなセリフを吐いたりもした。実際、赤ん坊はお腹がすけば、お婆ちゃんの何も出ない乳房にも、父の二の腕にもかぶりつきにいったりしていたし、本当に誰でもよかったのだと思う。母親の私よりも、おっぱい。とにかくおっぱい。まさか自分の乳房に嫉妬する日がこようとは夢にも思わなかった。



 そこで考え方を変えて、もう私はおっぱいになることにした。私の名はおっぱい、自分の名も母親という肩書も捨てた私はおっぱいそのもの。それも人類誰しも付いているただのおっぱいではなく、お乳が出る選ばれしおっぱいであり、つらい修行を終えた誇れるおっぱいなのだ。


 「はいはいおっぱいがやって来ましたよー」「ごめんあそばせ、おっぱいが通りますよー」と、自分で自分をおっぱい呼ばわりするのも抵抗なくなり、むしろ私は存在感と自信を取り戻した。赤子は多いときは1,2時間おきに私「おっぱい」を求め泣き叫ぶ。赤子をあやしたい皆の羨望の眼差しを受けながら自信作の乳を提供。おっぱいとしての任務を全うするのだ。はー今日も良いおっぱいをやりきったなーという満足感。おっぱいとして過ごし、おっぱいとして生きる。なかなか良いものである。


 ちなみに私が自分の名前と母親の肩書を取り戻したのは、赤ん坊が明らかに私の声を認識し、他の人間には反応しないのに私を目で追うようになったと自他ともに認めるようになったころである。おっぱいが欲しい時以外も私を認識してくれている事実は、大変に嬉しかった。おっぱいに付いている私から、おっぱいが付いている私に戻ったのだ。その分、存在全てがおっぱいであった頃よりも赤子から求められる事柄が増えたが、私自身が世界に再登場出来たのだから、幸せなことである。

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