第3章 吸うんじゃない、食み下すんだ

 赤ん坊といえば、乳児という名が示す通り、乳しか生きる糧を持たない生き物である。粉ミルクで初めから育てようという希望があれば特に気に留めないであろうが、妊娠中に母親学級や産院で一度は目にするのが「乳輪・乳頭マッサージ」の項目である。乳飲み子のために、産後スムーズにおっぱいマシーンと化すことが出来るよう、妊娠中から乳輪、乳首にかけてをいじくり倒して柔らかくよく伸びるよう強化しておきましょうというもので、母乳育児を目指す熱心な方は実践されている方も多いかと思う。


 かくいう私も、乳首の強度に自信がなかったため、妊娠中は割と真面目に取り組んだ方であるが、このマッサージ、人によってはかなりの虚脱感というか、「なに一人でこんなところいじくりまわしているんだろう…」と我に返る瞬間が襲ってくるものではないだろうか。例えば胸全体をそっと包み込み、ふんわり揉むような、優しさと慈愛に満ちた見た目のマッサージであればそんな気持ちにはならない。はたまた旦那さんに手伝ってもらって愛撫してもらうような、エロティシズムが内包されたものであれば、まだ快楽に浸り、夫婦の結びつきを強くすることもできよう。しかし、これはそんなゆるふわな雰囲気も甘い空気も纏わない、一種筋トレに近いもの、自己と向き合い続ける、そんな行為なのである。



 私が産院から指導を受けたマッサージは、乳輪と乳房の境目を指三本でつまみあげ、四方八方から圧迫を繰り返し、慣れてきて痛くないようであれば最終的には引っ張ったり、さらにはひねりを入れてくださいというものであった。ただし乳首を刺激するとお腹が張って早産につながることがあるので、張ったらやめてくださいと注意も受けた。


 私は里帰りをしていたため、寝る時以外は常に人の目があった。家族とはいえ乳首をこねくり回しているのを見られるのはなんだか気まずく、入浴中にこそこそマッサージを続けた。日々つまみあげるうちに、徐々に乳輪は柔らかくなったようで、かなり力強く引っ張りまわしても平気になり、表面の皮膚も強くなった。母乳も早くも少し染み出すようになり、マッサージをちょっとサボれば乳が詰まってしまうことまであった。詰まった乳カスをぐりぐり爪を使って押し出しても、乳首は痛みはしなかった。


 その変化に、初めはぎこちない手つきで「こんなので本当に役に立つのかしら」と遠慮がちだったのが、「うふふ、これで赤ちゃんに吸われたってへっちゃらねーお乳ももしかしたら出がいいのかもー」と余裕すら感じて、お腹が張らない日は引っ張れるだけ引っ張り出していたものだが、その余裕は産後無残に打ち砕かれることになるのである。


 大人が「吸う」という行為をするとき、大多数の人は唇をやや突き出してすぼめて息を吸い込むという動作をするのではないだろうか?赤子のように乳首を吸ってみてくださいと言われたら、大体の人が乳首部分を唇、およびその内側で挟み、ちゅくちゅくやるのではないかと思う。しかしながら、こんな吸い方で乳が吸えると思ったら大間違いなのである。


 赤子のそれは吸うなんて生易しいものではなく、大口開けて乳房に食らいつくという表現の方が正しい。まず口の中に入る乳表皮の面積が異なる。乳首部分はもちろん乳輪まで覆いつくす。そして唇の内側はべちゃりと乳輪に押し付けられ捲れ上がる。これにより空気が漏れず口内がかなりの陰圧になる。そして歯のない歯茎ががっちりと乳首生え際の乳輪部をホールドし、はむはむやると同時に舌でしごきながら吸い上げる。乳首は歯茎の向こう側にものすごい圧力と吸引力でもっていかれるのである。

 

 この歯茎も思ったよりずいぶん固い。まさに「食み下す《はみくだす》」という表現の方がしっくりくる。吸引されている時に乳を離してもらおうと引っ張ると、乳首がもがれるほどのものすごい力がかかり、とても引っこ抜くことは出来ない。きちんと小指を赤子の口の端からねじ込んで圧を抜いてからでないと、大惨事につながりかねないのだ。ふにゃふにゃの新生児と思って舐めていたらひどい目に合う。


 この激しい食事のせいで、か弱い乳首は文字通りボロボロになる。お風呂の中でふんふん引っ張ったマッサージの何倍もの力で引っ張られ、すりつぶされるのだ。想像しにくい方は、紐を結んだ洗濯ばさみで乳首を挟まれ、向こうからビンビン絶えず引っ張られる様子を想像してもらったらいいと思う。冗談抜きに2センチは乳首が伸びる。吸われた直後は乳首が変形してなんだか尖ってすらいる。無残に酷使された乳首は人によっては裂けて血がにじむ。私も初めの頃は先端部分から出血し、歯を食いしばって涙をこらえて授乳したものだ。「こんな痛いのきいてないよー」と誰にともなく恨み節を吐きたい気分であった。


 さらにこんなに痛い思いをしても、人にもよるが大抵は産後すぐに母乳は出てはこない。赤ちゃんに吸われる刺激に反応して徐々に肉体変化が起こり、母乳が産出されるのだ。つまり初期段階では、出もしない乳首を、空腹にむせび泣く赤子に1,2時間おきに差し出し続けなければならない。赤子は乳をくれと泣き続けるが、こっちはやりたくてもやれずに悲しい気持ちで痛みに耐えるしかない。なんだかすいませんと、出会って間もない赤ん坊に謝りたくなる切なさである。一応人間の生存の仕組みとして、母乳が出るようになるまで三日程度は食事をとらなくても生きていけるように、赤ん坊は養分を蓄えて誕生している。それでも三日で母乳が軌道に乗るほど出る人は多くないので、皆ミルクを足したりしながらなんとか凌ぐのである。


 こんなにつらいならお乳やるの一旦休んでミルク足しまくればいいのではと思うのだが、母乳は吸われないと出ないという事実を、助産師さんはさりげなくちらつかせて笑顔で圧力をかけてくる。あんまり休むといつまでたっても出ない、初めが肝心。痛くても頑張ってね!と、その空気はなかなかサボることを難しくさせ、ある程度は頑張って乳を吸わせねばならない。


 確かに産後初めの頃に出る初乳には栄養やら免疫やら素敵なものがたくさん含まれており、与えるに越したことはないのだが、どのくらい頑張ればハイクリアー!と明確にわかるものでもないので、精神的に大変つらい。(産後精神バランスを崩す人が多いのは、こういった前知識をもっとしっかり産前に教えてくれないからではないのかと思う。出産のイメージトレーニングは大事だが、正直1日2日で終わることなので、その後赤ちゃんと二人きりの生活で悶々としなくて済むよう、吸引力の現実からミルクの足し方の一例など、具体的な産後のイメージが出来るようにもっと周知していくべきだと思う。昔と違い核家族で頼れる人のいない新米母も多いかと思うので、一人で赤子と生き抜くすべを、産前から教えてくれたらありがたいのにと思うのは私だけだろうか。)



 ともかくこの痛みに耐え続ける修行をひと月もすれば、乳首は見違えるほど強靭にレベルアップする。その変貌ぶりに、ある種の達成感すら感じる。少年向けバトル漫画で、困難な敵にぶち当たった時にいったん退き修行を重ね、再挑戦して打ち負かすという王道ストーリーがあるが、まさにあんな感じで、新たな能力「伸縮性」「擦り切れぬ皮膚」を会得した乳首はどこか誇らしげで頼もしい。目に見える形で成果が出ると嬉しくなるもので、あぁ、ボディビルダーの方はこんな気持ちで日々鍛錬を重ねているのかしらと、思いを馳せたものである。


 昔母親の乳首を見て、なぜ自分とこんなに大きさが違うのかしら?個性?と疑問に思ったことがあったが、これで謎が解けた。母もまた、修行を終えた歴戦の勇者だったのである。産前のつつましやかで控えめな乳首を懐かしく思うこともあるが、文字通り一回り成長した乳首もなかなか悪くない、と今はそう思う。

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