第9章 親バカはいつから始まるのか

「うちの子が一番可愛い!」


 子供を持つと誰しもかかる病、それが親バカである。噂によるとその発症率はエボラ出血熱の最大致死率をも上回ると言われる。謙譲の美徳を文化とする日本人ですら、『うちの子一番感』が漏れ出てしまい、時に暖かく、時に生暖かく見守られることになるこの病であるが、一体いつから発症するのだろうか。ここでは、一例として私の場合をご紹介しようと思う。


ではまず患者の基本情報を整理しよう。二十代女性。育った土地柄か、自慢話よりも自虐ネタで笑いを誘う方が性に合っている。他人に甘く、逆に自分と身内に厳し目の評価を下しがち。赤ちゃんというものは元々好きだが、「~でちゅねー」などの赤ちゃん言葉を用いたあやしかたは不得手。



 感染日。おそらく分娩台の上で自分の子供の顔を初めて見た時に、知らず感染していた模様。ただし自覚症状はなし。初対面の感想は「わぁ小さい」で、そこまで可愛いとは思わず。細くてすぐ死にそうな頼りなさに緊張もあったためかと思われる。顔形については不思議と、「ああ、イメージ通り、この子私のお腹にいた子だわ」と感じた。自分では新生児の可愛さは判断つきかねたが、とりあげてくれた助産師さんの「まぁ!まつげが長くって可愛いねー」というセリフにはものすごく嬉しく、また誇らしい気持ちになった。どちらかというと自分より旦那に似ていたが、そのこともなんだか嬉しく感じた。




 潜伏期。入院中は新生児室に預かってもらっているわが子を迎えに何度も行ったが、初めのうちは「あれ?うちの子こんなだったっけ?」と、わが子の顔の認識もいまいち出来ておらず、足首と手首の名前バンドの重要性が身にしみて分かる。自分の子供はどれだけ離れても何年たっても会えば不思議と分かるというのは、ドラマの中だけの幻想なのではないかと疑う。

 生まれて数日の新生児という生き物を好きなだけ自由に触ることが出来るのはその子の母親だけの特権なので、つついたり軽く引っ張ってみたり色々試す。どれだけ見ていても飽きることはなかったが、可愛いという感情よりどちらかというと面白いという感情の方が勝っており、他の院内の新生児を見ても、「あ、あの子のほうが可愛いお顔してるな」など客観的な評価が可能。夜中にほとんど黒目しか見えない細く開けられた目を見ながら、「今この子が成人男性の低音の声で流暢に喋りだしたらむちゃくちゃ怖いな」などとしょうもない妄想をして一人病室で怖くなったりする。まだ浅い付き合いなので、家族というよりスペシャルゲストの扱い。



 退院後約一ヶ月の実家での生活、初期症状が現れ始める。少しずつ顔が変わり、反射で少し微笑んだような表情を作る新生児微笑を確認するも、「可愛い!」というよりまず「すごい!」という感想。笑った笑ったとはしゃぐ実家の面々に、「いや、これは生きるためのただの生理反射であって感情は伴ってないから」と水を差す始末。周りがすでに「親・孫バカ」を発症し始めていたため、自分は冷静に落ち着いて育児をするぞと変に自制心が働く。

 そうはいっても少しずつ可愛いという気持ちも芽生え始め、新生児のあまりの小ささに、よく聞く「食べちゃいたいくらい可愛い」という表現・感情が生まれて初めて理解できるように。ただし親だから可愛く感じるけど、やはりうちの子より可愛らしい子はいっぱい世の中にいるという基本スタンスは変わらず。妹からの「この子の為なら命捨てられるわ!とか思う?」という質問に、「うーん命はまだ捨てたくないなぁ」と歯切れの悪い返事をする。基本的にこちらのやることに無表情・我関せずな姿勢を崩さない赤ん坊に、たまに切ない気分を味わう。




 一ヶ月検診にて複数の乳児と遭遇。うちの子はやはり客観的に見ると別に可愛い部類ではないな、などと本人に失礼なことを考える。自分にとっては非常に可愛いく愛おしく感じるけれど、他人からは可愛いとは言い難いであろう表情をするわが子に向かって、愛をこめて「不細工な顔してー」などと発言し、家族から「可愛いから!」「失礼な!」と猛抗議を受ける。




 実家から我が家へ帰宅。時同じくして赤ん坊が急に「あーうー」とよく声を上げるようになり、『新生児』から『乳児』へと進化を遂げる。赤ん坊と二人きりの時間が圧倒的に増え、人の目がないため顔が緩みやすくなる。ここへきて症状が急激に顕在化。日増しに表情が増え、反射ではない明らかな笑顔を作ることが出来るようになり、手足を動かせるようになってくると、目が合うたびに可愛いと感じるようになり、いちいち写真で記録したくなる衝動に駆られる。カメラを向けると笑顔から一変、「なんだこれ」という表情でじっと真剣にレンズをにらんでくる被写体に、スパイが持っているようなマイクロカメラ搭載のメガネが冗談抜きで欲しくなる。



 一方配偶者の症状は重篤化。素面で「我が子が他の子よりダントツ可愛い」と宣言。こちらの声に反応してあーあー声を上げるわが子に「お喋り開始のギネス記録更新じゃない?!」と興奮、お出かけ時には「スカウトが来たらどうしよう」と心配、冗談なのか本気なのか判別しがたい発言を連発する。うっかり「確かにうちの子のお喋りってすごいのかしら」などと信じそうになりながら、インターネットでよそ様が投稿している「~ヶ月なのにもう会話する赤ん坊!」などという題名の動画を見て、「あ、どこも一緒だ…」と我に返る。




 三か月に入る頃に「可愛すぎてつらい」という症状に襲われる。密室で赤ん坊と二人きりで引きこもりがちな生活が続き、慣れない育児で心身ともに疲れている状態なのに、自分の子に笑顔を向けられると、そのような元気はないし気分でもないにも関わらず、問答無用で笑顔にされてしまい、弱音を吐く機会を失い心と体のバランスを崩しかける。この症状は夫に話を聞いてもらう、また育児が軌道に乗ってくることにより快方へ向かう。と、同時に根本疾患である「親バカ」の症状が加速。たまに「あれ、うちの子って結構可愛い部類なのでは?」と感じることが増えてくる。外からの刺激に赤ん坊が反応を示すようになってくると、口を開けて目を見開く表情に合わせて「しゅごーい!しゅごいねー!」と、ついあんなに苦手だった赤ちゃん言葉でアテレコするようになる。家の中だけでなく外でもこの発言をし、あとから少し恥ずかしくなる事がしばしば出てくる。

 



 四ヶ月検診にて再び他の乳児と複数遭遇。ところが前回の一ヶ月検診と違い、客観的判断能力が衰退。どうしたことか自分の子が姿形も仕草も一番可愛らしいように思われる。泣きもせず検診ドクターやスタッフに笑顔を振りまく我が子に、「あれ?うちの子一番おりこうさんなんじゃない?」などとバカな比較を行って誇らしい気持ちになり、恐ろしく盲目的になっている自分に気付く。はっきりと症状の重篤化を自覚。また、子供が褒められると、別に自分が褒められているわけでもないのに、嬉しく誇らしく、自慢したい気持ちになることが判明。自分の事は自慢したいとは露ほども思わないのに不思議なものであるが、もしかしたら子どもを褒められると、手探りで不安と隣り合わせでやっている自分の育児が間違っていないのだと肯定されている気分になって、ほっと安心して嬉しくなるのかもしれないと考察される。



 検診から帰宅後、わが子が一番かわいく見えた話を夫にすると、案の定「だからずっと言ってるじゃん、うちの子って可愛いんだよ」と言われ、もうこの病に抗うことをやめる。気付いたのだ、親バカ患者は共有欲が強く、いつでもうちの子って可愛いという気持ちを、他の人間にも共有してもらいたい、一緒に愛でて欲しいを言う欲求が奥底に流れていることを。そして同じ気持ちを一番共有してもらいたいと願っている対象はその配偶者であることを。

 



 このようにして私の闘病生活は幕を下ろした。今後の育児人生は様々な試練が待っているであろうが、基本的には夫とバカの一つ覚えのように「うちの子可愛い可愛い」と言い合いながら、この病と闘うのではなく、素直に受け入れ末永く付き合っていくことになりそうである。他の子と比べても無意味、どんなイケメンに別嬪さんがいようとも、親にとってはうちの子が一番、可愛いのだから!

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