第10話 望み

 希榛が一生懸命復元した領収書にあった、《のぞみメンタルクリニック》に行ってみることにした。

 この新幹線みたいな名前の病院は、駅ビル内の小さな病院が並ぶいわゆる「クリニックセンター」の中にある。

 自動ドアを抜けると、白い大理石風の床と壁にかこまれたホテルのロビーのような待合室がある。狭い間口のわりに奥行が広く、患者も多く訪れているようだ。

 電話で先にアポを取ってあったので、すぐに院長室に通された。

 院長は、おそらく40代だろうが若く見える、きれいな女性だった。黒髪のショートヘアで、癖のように柔和な笑顔をうかべている。

「お2人とも、ずいぶんお若い刑事さんなんですね」

 希榛はともかく、理瀬は年齢より若く見える。というより、幼く見える。

 2人は手帳を出して、一応自己紹介をした。

「どうぞ、おかけください。私は院長の楢崎ならさきのぞみです」

 このクリニックは、院長とその双子の娘たちで経営している。双子の姉は「かなえ」妹は「たまえ」だ。その3人がセラピストで、あとは事務職員を数人雇っている。



「一週間ほど前、ここに、えーと、高森琴音という女性が来ましたよね。そのことについてお話願えますか?」

 まずは理瀬が、アポの内容確認のように基本的な質問をする。

「高森さんは失踪してしまったんですよね?」

「そうです。ルシ――高森さんの家に、ここの領収書があって。何か手がかりになるんじゃないかと思ったんです」

 理瀬はつい《ルシリア様》と言ってしまうのを我慢しているようだ。

 楢崎は、何か考え込むようにしながら口を開いた。

「確かに高森さんは私が担当しましたが、特徴的な悩みがあったようには思えませんでした。『少し疲れたから癒されたい』とか、よくあることをおっしゃっただけで」

 ここはメンタルクリニックだが、精神疾患の本格的な治療だけでなく、サロンよりもしっかりしたリラクゼーリョン効果が得られるセラピーも実施している。

 希榛は事前に調べた内容をふまえて質問した。

「高森はVRセラピーを受けましたね。ここで受けたメニューは何ですか?」

 VRセラピーは、セラピストとの面談によるマッチングや本人の希望で内容を変えることができる。

「前世療法です」

「前世……」

 前世療法とは、古くからある催眠療法の1つで、セラピストの暗示に従って患者は催眠状態になり、自分の前世での姿や行動をイメージして疑似体験することによって、トラウマを克服する方法だ。

 楢崎は催眠系セラピスト特有のゆったりした話し方で説明する。

「ここでは、患者さんの脳波の分析と私との会話を同時に行い、私がヴァーチャルの情景をリアルタイムで患者さんの目の前に作りだすことで、誰でも前世を体験できるようになるんです」

「つまり、厳密には催眠療法ではない、と」

「えっ……ええ、まあそうですね」

 希榛の解釈に、楢崎は顔を強張らせ、苦笑した。

「確かに、この方法なら暗示への順応性は関係ありませんし、少しリラックスして私と素直に会話していただければいいだけですので、催眠療法とは言えないかもしれません。個人差なく全員がヴィジョンを見ることができますので、従来の方法と比べて確実で効率的ですよ」

「脳波と会話……ですか。その、当然、記録されていますよね」

「はい」

 楢崎は笑顔で答える。一瞬前と全く同じ笑顔だ。

「VRセラピーの映像はそのまま記録されます。これをもとに次回のセッションにつなげますので」

「では、その映像を見せてください」

「分かりました。少し準備しますので待っていてくださいね」

 楢崎はそう言って、院長室を出た。

「ずいぶん素直に受け答えしてくれましたね」

 理瀬が声を潜めて言う。

「ああ。強引にセラピーの記録を見る予定だったが、脅しすら必要なかったとはな。正直、当惑する」

 別に楢崎にやましいことがなければ何も隠すことはないのだが、希榛は一筋縄でいかないことを想定していた。

「もしこの間に映像が差し替えられていたら、回収して復元する必要がある。そのときには脅しの出番だろう」

「そうですね。昨日の織部さんのお話だと、どこに敵がいるか分かりませんものね。楢崎さんもその恐れはありますよね」



楢崎がノートパソコンを持って戻ってきた。

「このパソコンに記録があります。高森さんの視点で再生されますよ」

 希榛と理瀬が近づいてその動画を見る。

 まず、画面はまだ黒い。楢崎の声がする。

『ギアをかぶっていただきますが、まだVRには入りません。準備をしていきますね。目を瞑ってください』

 どうやらいきなり映像を映し出すわけではないようだ。

『ゆっくりと呼吸していきましょう。私が数を数えますので、それに合わせて、まずはゆっくり吸ってください。1……2……3……4……』

 声で誘導して、患者をリラックスさせる。基本的な暗示だ。

 何度か数を数えながらのゆっくりした深呼吸を繰り返すと、次は体から力が抜ける暗示をかけて、いよいよイメージングとなる。

『あなたの意識の、いちばん深いところに降りてきました。目の前にドアが見えてきますよ。だんだん……見えてきます。どうですか、見えましたか?』

『はい……』

 ルシリアがややぼんやりした声で答えた。

『それはどんなドアですか?』

『白いドアです。大きな洋館の、ドアです』

『こんなドアですか? 目を開けて見てください』

 すると、画面に真っ白なドアが急に現れた。ここからVRのようだ。

『はい。こんなドアです』

『ここは、あなたが前世で住んでいたおうちです。ここはあなたの前世の世界。記憶も、そのときに戻りました。当然、このドアの向こうがどうなっているか、今のあなたは知っていますよね。だって……あなたの家なのだから。――さあ、まず玄関はどうなっていますか?』

 そうして、ドアの前でルシリアに家の内部を説明させ、その通りの映像を作って見せていく。ドアを開けて、中に進む。

 ルシリアの説明通り、屋敷が構築されていく。


「この屋敷は……」

 希榛は作られていく屋敷を眺めて呟いた。

 それはどう考えても、あのハイデントゥームのルシリアの城だ。

 最終的に、ルシリアの私室にたどり着いた。

 そこは希榛がSpiegelで訪れた、あの部屋だ。

 そして――


『私には従者がいました』

『どんな方ですか?』

『狼です。私の魔法で人間の姿になったオオカミ男です。名前は《シュタルク》。若いけれど私より年上で、オオカミ耳が生えています。髪は黒で、服装は――』

 ルシリアはシュタルクのことをかなり細かく設定した。

 ついに、目の前にあのシュタルクが現れた。その男は確かに希榛が会ったことのあるシュタルクだった。

『ああ……!』

 ルシリアは感嘆の声をあげ、シュタルクに近づいていく。

 魔女とオオカミ男は抱き合った。

『ごめんなさい、あのとき、助けられなくて……』

 ルシリアは泣いていた。あのときというのは、希榛が現実の高森琴音を連れてきてハイデントゥームにパラドックスを起こし、崩壊させたときのことだ。

 シュタルクはルシリアを手放し、その直後に落下してきたシャンデリアに潰されて消えた。

 そのことを、ルシリアはずっと悲しんでいたのだ。


 現実に戻ったあと激しく殴られ、大声で罵倒され尽くしたことを思い出す。

 確かに荒っぽくて傷つける方法ではあったが、そのおかげでルシリアは現実に戻ってくることができたのだと希榛は思っていた。

 しかし、考えてみればSpiegel内の名前と世界観を引きずってバンドまで組んでいるのだから、あの世界との切り離しができたわけがなかったのだ。


「セラピーが終わって、ルシ――高森さんはどんな様子でしたか?」

 理瀬がまた呼び方に気を付けながら質問する。

「泣いていらっしゃいました」

 理瀬が驚いた顔をする。

「前世療法を受けた患者さんには珍しくないことなんですよ。それと、前世療法という名前ですが、おそらく本当に前世の記憶を引き出したわけではないと私は思っています」

「えっ、そんなこと言っちゃっていいんですか?」

 理瀬はもう素で訊きかえしていた。

「その世界が前世である、というのはあくまで、イメージのきっかけですから。潜在意識というのは、普段の意識からは考えられないような不思議なものを見せてくれることがあります。でも、それは普段の私たちが簡単に知覚できないほど脳の奥のほうにあるだけで、そこではしっかり整理されているものなんです」

 つまり、潜在意識には潜在意識流のルールともいうべきものがあり、トラウマの原因などはそのルールに従って保管されている。

 ただ、そのルールは普段の意識状態の人間には理解できないので、保管庫の扉は開かれない。

 保管庫を開けるには、潜在意識により近い意識状態になる必要があり、催眠によってその場所に行き、イメージという鍵を使って保管庫の中のものを見るという方法がある。

「ですから、高森さんの前世が本当に魔女だったというわけではないとは思いますが、潜在意識の中にあの不思議なお城と従者さんとして何かが現れて、その何かと触れあうことによって、彼女の表面には出ないわだかまりと決着をつける、

というのが治療の形となります」

「なるほど……」

 楢崎は、あの世界が何かの比喩のようなものだと思っているようだが、ルシリアにとってはそのままの体験なのだ。前世でもなんでもない。

「この体験が、高森さんの失踪につながったということでしょうか……?」

 楢崎は一転して不安げに尋ねてきた。

「今の時点ではなんとも」

 重要な出来事だろうが、断言はできない。希榛は否定も肯定もしなかった。

 この体験は、ルシリアをSpiegelに呼び戻すには充分なものだっただろう。

 しかし、彼女の世界は崩壊し、ログインも拒否されている。ソフトが手元にあったとしても、自力では入れない。

 以前のように、Spiegel内に留まっているとは考えにくい。

「ありがとうございました。また何かあれば、お話を伺うこともあると思います」

 希榛は、聴取をここまでにすることにした。

 ルシリアが来たのはこの1回だけ。これ以上のことは、現時点では分からない。

「いつでもご連絡ください。私も、気づいたことがあれば連絡いたしますので」

 楢崎は、丁寧に挨拶をした。

 理瀬が慌ててついてくる。

 


 



 













 

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