第9話 介入

「とりあえず、駅で聞き込みしてみるか……」

 ルシリアが映った駅は、在来線と新幹線が通る駅で、どこに向かったのか絞るのは難しそうだが、他に手がかりはない。

 もう夕方だ。さすがに今日中に見つかりはしないだろうが、焦ってくる。

「同時に、この男の人のことも調べましょうよ。普通の恰好したルシリア様より、この人のほうが特徴的です」

 シュタルクらしき男は、耳と尻尾以外はSpiegelで見たシュタルクそのものだ。虹彩が金色で瞳孔が縦に裂けている。顔つきもかなりの美形で、仮想世界の住人らしい、作り物のような顔をしている。

「こうして見ると目立つな」

 だが、多くの人が行きかう繁華街で、少し個性的な美形が歩いているからといって強く印象に残り続けたりはしない。

 とくにそこは、たとえ地毛をピンクや青に染めた人が歩いていてもそれほど奇異には映らないような場所なのだ。

「まず、顔を照合にかけてみましょう」

 全国の警察に登録された前科者のデータベースと、解像度を上げたシュタルクらしき男の画像を照合させてみた。

「一致しません……」

 前科はないようだった。

 シュタルクが現実世界の人間でない以上、別の誰かなのは間違いないのだが、いったいどこの誰だというのか。

 バンドではなく、死人の国のハイデントゥームのことを知っていて、かつ魔女ルシリアと現実の高森琴音を結び付けることができる人間など、希榛以外なら健吾しかいない。

 しかし、シュタルクらしき男は健吾ではない。顔つきはともかく、背まで似せることはできないからだ。健吾は小柄だった。

「駅では一応訊いてみるが、バンドの2人にはまだ黙っておこう」

「知らない男と楽しげにしている様子は見せられませんし、この狼さんのことが外部に漏れたら大変ですもんね。あのお2人を信用しないわけじゃないですけど」

 何でも協力するとは言っていたが、今不確定な材料を与えれば、拡散して無関係な人間にも勝手に協力を乞う可能性がある。



 監視カメラ映像にあった駅に行って、駅員に訊いてみた。

 しかし、やはりというべきかその日の客のことは細かく印象に残っていないという。

 有名な仮想アイドルのホログラムコンサートの日で、奇抜な恰好をした若者がたくさんその駅を利用していたからだ。

 一刻も早く行方を追いたいが、直接繋がりそうな手がかりは途絶えてしまった。こうなればまた、他の可能性を求めて証拠品の検分に戻るしかない。

 署について部屋に戻る途中、理瀬は自動販売機に飲み物を買いに行った。希榛にも、勝手に甘い飲み物を買ってくるだろう。

 この間も、プリン・ア・ラ・モード風シェイクなるものをプレゼントされてしまった。糖分を補給するためだと言われたが、プリン風シェイクの中のメロンとリンゴの果肉感が気持ち悪く、さらにまるごと入っていたチェリーを飲み込んでしまった。

 無言無表情で完飲したので、まずかったことはバレていないはずだ。

 逆に好評と受け取られていたらどうしよう。

 もうあんな変なものは飲みたくないが、だからといって一緒に自動販売機まで行くと、プレゼントを当然と捉えているように見えるのでどうかと思い、敢えて何も言わないでおくことにしている。

 悪いのは冒険心溢れる激甘ジュースを売り続ける飲料メーカーだ。

 そんなことを考えていたのだが、なかなか帰ってこない。

 心配になってきた。

 理瀬も希榛につきあって根をつめて捜査していたので、疲れているだろう。

 希榛が心配するのもなんだが、どこかで倒れているかもしれないと思った。

 探しに行ってみた。場所は、2階ロビー。自販機と休憩用ソファがある。



 いた。

 理瀬は、誰かに話しかけられていた。

 相手は山中一郎。久原祐輔の捜査をやめると言った捜査員だ。

「VRセラピー研修なら受けましたよ。これ、家庭用なんですか?」

 理瀬は、山中から何かを受け取っている。

「そうです。まあ厳密にはセラピー用のものではなく、もっとエンタメ性の高いものなんですけど、ね。すごく楽しいし、ストレス解消にもなるんです」

 山中はいつになく溌剌とした笑顔だ。

 嫌な予感がした。

「……おい」

 このまま会話を終わらせるべきではない。

 山中が希榛に気づき、笑顔で会釈してきた。

「お久しぶりです」

「あんた、新也に何を渡した?」

「織部さんもよく知っているものですよ」

 間違いない。

「……新也、それをこっちに渡せ」

 理瀬は戸惑い、おずおずと希榛に近づく。

「どうしたんですか……?」

「いいから、今渡された物を俺にくれ」

 理瀬が手に持って訝しげに眺めているそれは、小さなメモリーカードだ。

「そんな怖い顔しないでくださいよ。彼女も怖がってるじゃないですか」

 山中は白々しくそんなことを言う。

 希榛は半ば奪い取るように、理瀬の手からメモリーカードを取った。

「なんかピリピリしてますねぇ。それじゃあ僕、行きますね」

 山中はその場からしれっと立ち去ろうとした。

「待て」

 希榛はその左肩を掴み、耳元に口を近づける。

「……いつまでも自由に動き回れると思うな、Spiegel」

 山中はにっと笑った。

「あなた1人で僕らの自由を奪うことはできませんよ。現にあなたは、僕らに遅れを取っている」

 その通りだ。そして今回の失踪事件にもやはりSpiegelが関わっていると暗に認めている。

 山中はそっと希榛の手を振り払って去っていった。

 危なかった。こんなときに、Spiegelに理瀬を取られるところだった。

 山中はやはりSpiegelと入れ替わっていた。妙に明るくなっていたのはそのせいだったのだろう。以前の彼なら、理瀬に親しげに話しかけられるとは思えない。

「あの……」

 理瀬が気まずそうに、さきほど買ったと思われる缶ジュースを差し出した。

《むせるほど酸っぱい! 本格レモンスカッシュ》である。

 しかもよく見たら、例のプリンシェイクと同じメーカーだった。一体なんなのだ。

「ありがとう」

「いえ……」

 まださきほどの態度を怖がっているのか、不安げな顔をしている。

 気まずい。

「……今日、夜、時間あるか」

「はいっ!?」

 驚かせてしまった。自分でもどうかと思うほど低い声が出たので当然か。

「話があるから。……でも、ここでは無理だ。誰が聞いているか分からん」

「あ、ああー……。はい。時間あります」

 怒られると思っていたのか、安心したような微妙な返答だった。しかしなぜ怒られると思ったのだろう。

 それから夜まで、レモンスカッシュにむせながら証拠品の検分をしていた。

 すると、ビリーの書類ファイルの中から、新設のVRセラピーサロンの小さなパンプレットが見つかった。

 ビリーに電話をかける。

『あー、そういえば街で配られてたんでもらってきたっスよ。一週間ちょい前ぐらいっスかね。なんか、VRセラピーって流行りじゃないっスか。そんで、ネットで調べてみたんスけど、サロンのってどっちかっていうと楽しむのがメインで、治療するなら病院とかじゃなきゃダメって書いてあったんスよね。で、自分、行ってみたんス。病気じゃないんで、むしろ映画感覚で気軽にセラピーしてみたくて』

「……どうだったんだ?」

『いやぁ、まあまあっスね』

 語彙の豊富でない若者らしい回答だった。

「まあまあ、とは? 映画感覚でもそれほど面白くなかったということか」

『んー、まあ自分、癒し系とか苦手なんで。最初は新鮮だったんスけど、なんか飽きてきちゃって。イージーリスニングよりロック派なんスよね』

 それは分からないでもなかった。面白さを求めるなら確かに物足りないだろう。

『で、そのことをメンバーに言うと、みんな興味なさげな感じになって。それから忘れてたっス。……さーせん、参考にならなくて』

「いや、いいんだ。ありがとう」

 それが一週間少し前のことなら、それがきっかけでルシリアは別の体験を求め、より効果の高いクリニックでのセラピーを受けたのかもしれなかった。



 夜、8時に署を出た。

「それで……お話は、どこでします?」

「カラオケボックスに行こう」

「カラオケですか?」

 理瀬が素っ頓狂な声を出した。

「他に内緒話に適した場所も思いつかない」

 人に聞かれたくない話は、車の中か家でするのが一番だが、その他の密室はホテルかカラオケくらいだ。希榛はまだ寮を出る引っ越しの準備中で異性を入れられないし、まさかホテルに行くわけにもいかない。

 署から少し離れたカラオケに行くと、店内ではハイデントゥームの曲が流れていた。ゴシックメタルの曲はカラオケには向かないはずだが、人気らしい。

 部屋の電気をつけ、テレビを消して静かにした。ウーロン茶を2人分取ってくる。

 ドアを閉めると、周囲の部屋からの音漏れも聞こえない。最近のカラオケは防音に気を使っているようだ。

 Uの字型のソファのカーブ部分に希榛が、少しだけ離れて理瀬が座った。

 ウーロン茶を一口飲んだあと、希榛が口を開いた。

「……夕方、俺は少し怖かったと思う」

「ええ」

「すまん」

「いえ」

 言葉が続かなくなった。不器用が全然治っていない。

「何かあったんですよね。あのSpiegelという、セラピー? で」

 理瀬がぎこちなく切り出した。

「あれはセラピーなんかじゃない」

 希榛は、やっとSpiegelのことを話した。

 健吾に誘われたこと、自分の世界のこと、案内人のフィーユのこと、出会った他の体験者のこと、そしてルシリアと琴音のこと。

 理瀬は驚いたり頷いたりはしたが、質問などは挟まなかった。


 自分を裏切った、唯一の親友のこと。


 それを話すときは、言葉がいつにも増してうまく出てこなかった。

 Spiegelの中のキハルを一度倒したが、また出会っていたことも、なんとか話すことができた。

そして全てを話し終える。

「…………」

 また言葉が出なくなって、理瀬の顔を見た。

 不安げな顔をしているかと思ったが、意外とそんなこともなかった。

「俺が、あんたにこの話をしたのは……あいつにSpiegelを勧められていたからだ。つまり、まだ影響下にないあんたはオリジナルだ、と」

「私を、信用してくださったのですか」

「それもあるが、あんたを守らなきゃならないと思った。俺は、もう二度と目の前で誰かがいなくなるのを見たくなかったから。でも、ルシリア――いや、高森はいなくなった。取り戻さなきゃならない……」

 Spiegel内での名前で活動している時点で、自分の世界を恋しく思っているのは間違いなかった。一度引き留められている彼女は、全てを承知でまたSpiegelに戻ってしまうかもしれない。

「キハルは……俺を絶望させると言った。そのうえでSpiegelに戻らざるを得なくすると。俺の絶望は、俺のせいで誰かがいなくなることだ。捜査を進めた終点が絶望だとするなら、もしかするともうすでに、高森は――」

 無事にルシリアを見つけ出したいと思う反面、キハルからのあの宣戦布告が、もう全てを物語っていて、最悪の結末は用意されたものなのかもしれない、と希榛は思っていた。

「そして今日、Spiegelはあんたにまで手を出そうとした。俺が気づかなければ、あんたも奪われていたかもしれない……。俺を絶望させるために、そんなことのためにあんたが……」

 言いかけて気づいた。

 いつの間にか、理瀬の右手を掴んだまま話していたことに。

「あ、す、すまん。悪かった。触るつもりは……なかった……」

 慌てて手を離す。

「俺は、どうかしている。このことになると冷静さを失う。――怖いよな。俺がこんなに不安がっていれば、あんたも不安になるに決まっている。これじゃ、あんたを守ることなんて……」



 言葉の途中で、息を呑む。

 理瀬の両手が、希榛の右手を包み込んだのだ。

「落ち着いてください」

「……すまん」

「謝ってなんて言ってませんよ。ゆっくり息をしてください」

 理瀬は柔らかく微笑んでいる。

 指示に従い、深呼吸してみた。

「夕方から顔が真っ白で、心配でした。一人でこんなこと、抱え込んじゃダメです。私なら大丈夫です。いなくなったりしません」

「だが……あんたまで狙われるようになったんだ、俺じゃ、守り切れるかどうか」

「もう、私はただの年下の女じゃないですよ。警察官の後輩なんですから。織部さんは私を守る必要はないです。織部さん一人で守るんじゃなくて、お互いを守り合うんです。それが仲間ですよ」

 そうだ。理瀬は希榛に近しい、奪われるかもしれない存在というだけではなかった。

「そうだな……。俺の認識が間違っていた。あんたにも失礼だったな」

「はい。――今日やっと信じてくれて、私に全部話してくださったんですよね。嬉しいです」

「嬉しい……? こんな話を聞いて、嫌じゃないのか?」

 この話は、不安になるような内容だったはずだ。

「いいえ。重要なお話です。自分たちを守るうえでも、ルシリア様を捜すうえでも。倒すべき敵もはっきりしましたし、むしろよかったと思っています」

 ただし、と理瀬は笑顔から少し厳しい顔になった。

「これからは、怖いときは怖い、苦しいときは苦しいって言わなきゃダメですよ。一人で抱え込んで危険な目に遭ったり倒れたりしたら、私が悲しいですから」

 健吾にも昔、同じようなことを言われた。だがそのときとは、意味合いが少し違う。

「あんたが……悲しむ……」

「そう。私のためとも思ってください。織部さん、言ってくれないと分かりにくいですから。織部さんの苦痛に私が気づけなかったら悲しいです」

 健吾は、あまり希榛に感情表現を求めなかった。多分それは、健吾が相当努力して読み取ってくれていたからだろう。表現が苦手な希榛に無理をさせないでいてくれたのだ。

 思えば、助けを求めなくても、健吾は大きな音に怯える希榛を庇ってくれて、他人とうまく接することができなかった希榛のそばで、代わりにコミュニケーションを取ってくれていた。

 それは、健吾がしつこいくらいそばにいて、希榛を知ろうとして、守ろうとしてくれていたからで、これからは自分で誰かを知って、守らなければならないのだ。

「分かった。頑張る」

「はい。頑張りましょう」

 なぜか、くすりと笑われてしまった。

 でも、不安はもう薄れていた。




 



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