第8話 痕跡
ルシリア捜索は希榛と理瀬だけに与えられた極秘任務なので、空いていた会議室と鍵を与えられ、パソコンなどを持って一時的に異動するような形になった。
2人だけの部屋で、希榛と理瀬は、さっそく押収した物品の分析を始めた。
理瀬はパソコンなどデータ関係を、希榛は書類やゴミなどの物質関係を担当した。
「普段やってることとはいえ、憧れの人のPCを覗くのって罪悪感あります……」
「私情を挟むな。それこそ普段どおりにやれ」
希榛は遠慮なく、ルシリアの机の中に入っていた書類やノートを見て、ゴミ箱をひっくり返した。
「とりあえず検索履歴とメールを見てますけど、なんかこう、削除と隠蔽の仕方が凝ってますね」
普通に「削除」の操作をしただけなら、理瀬の技術と警察のツールで一瞬にして復元できるのだが、履歴に関しては何か特殊なソフトによる念入りな削除がされており、メールは全て暗号化されていた。
「無理そうか?」
「いいえ。ただいつもより手間がかかるだけで、不可能ではないです」
理瀬ははっきりと言い切った。こういうところで弱音を吐かず、強気で取組み、そして成果を出すところは、理瀬の尊敬できるところだ。
「織部さんのほうは、何か出そうですか?」
希榛は、パラパラとノートを見ながら首を傾げる。
「これは作詞ノートのようで、明らかに『どこかへ行きたい』とか『消えたい』とか書いてある。しかも具体的な場所まで、比喩的に書いてあるが」
「手がかりじゃないですか!」
「いや……そうは思えない。曲ごとに目的地がバラバラだし、それに全部完成した詞に見える。失踪を考えている奴にこんな冷静なことができるとも思えない。ノートとインクの状態からして、全部最近のものだ。一冊にかけた時間も短いだろう」
「つまり……?」
「つまり、これはカモフラージュだ。見ろ、前半では目的地が天国や地獄やこの世の果てだったが、この歌ではいきなり群馬になっているし、次の歌ではイギリス、次がロシア、そして栃木」
「なぜ北関東が挟まるんでしょう……」
北関東へのこだわりはよく分からないが、まあ遊びだろうと考える。
「カモフラージュしてあるということは、少なくとも自分から行方をくらまし、かつ追っ手をかく乱する意思があったということになる。まあその後、全然関係なく攫われた可能性もあるが」
どちらにしろ、捜す側からすれば厄介な状態なのは変わりない。
「……ええと、このデータセキュリティの堅さとも、一応整合性がありますね」
次に、希榛はゴミ箱に取り掛かった。理瀬は復元作業を続ける。
しばらく、沈黙が流れた。
「できました。履歴とメールの復元――何やってるんですか織部さん」
希榛は床をセロテープだらけにしながら、1枚の紙切れを手にしていた。
「こっちも復元できた」
希榛が復元したのは、シュレッダーにかけた病院の領収書だった。
他の紙ゴミは全てそのまま捨てられていたが、これは細かく裁断されていた。希榛はそこに目をつけ、紙片のパズルを完成させたのだった。
「縦にだけ割くタイプでよかった。これは、保険対象のセラピーを受けたときの領収書だ。《のぞみメンタルクリニック》とある」
「メンタルって、ルシリア様は病んでらっしゃったってことですか!?」
「……一週間前のものだし、そのころから失踪を計画中だったか、他のことで悩んだすえに失踪という考えに至ったかは分からないがな」
受けたのはセラピーだけで薬の処方などはなかった。
「それも気になりますが、こっちの復元結果も報告します。履歴は主にハイデントゥームのファンサイトで、管理者としてログインしたものでした。つまり、ファンと公式に交流していたということですね。あと、メールは気になるものがありました」
希榛は床から立ち上がって、モニターを覗き込む。
「この、《狼》って人からのメールです。何回か会う約束をしています」
狼という人物とのメールは、一見、仕事のメールのようだった。
打ち合わせの日時の確認に見える。しかし、他のメンバーに確認したスケジュールとは一致しない。
「まず仕事関係の人間なら本名でやりとりするはずだ。……少なくとも相手側はな」
ルシリアは、メンバーだけでなく、事務所にいた寡黙なマネージャーや、他のスタッフにも本名で呼ばせなかったそうなので、メールでもルシリアと呼ばれているのは頷けるが、相手もハンドルネームのままなのはおかしい。
「普通に考えるなら、こいつは部外者で、しかも関係者に知られたくない相手だということだ。メールが流出したときの対策として仕事風の文面にしているが、そこまでするのなら、何かありふれた偽の苗字でもつければいいのに《狼さん》のまま。こんな、考えなくても分かるような違和感を残すか……?」
敢えてそうしているとすれば、こうしてメールを誰かに見られることを前提として、その誰かにメッセージを残しているとも考えられるが、しかし何のために?
助けを求めている、というのが一番単純だが、それにしては厳重に隠蔽しすぎだ。
SOSなら、害をなしてくる相手以外には気づきやすいものでなければ意味がない。
そうでないとするなら、ルシリアと《狼》の間には何か強い結びつきとこだわりがあり、秘密を共有する仲だということになる。
「狼という奴が怪しいのは分かったが、これではどんな奴なのか、失踪に関与しているのかすら分からない。別の角度から捜査してみなければ」
今集まっている押収品から、これ以上直接的な手がかりは見つかりそうにないと希榛は判断した。
「別の角度、ですか」
「主に上から。――監視カメラの映像を見よう」
失踪したのは2日前なので、その日から今日までの3日間の映像が必要だ。
場所は、マンションをはじめとする自宅周辺、コンビニ、商店、駅、空港、港、高速道路だ。空港を除いて半径20キロほどである。
「検索してみると、結構な個数ですよ。これを2人で回収するんですか?」
廊下を歩きながら、理瀬が不安そうに尋ねてくる。
「いや……実は俺は参加できない。別の作業をしなければならなくて……」
「えっ、じゃあ今日じゅうには無理ですよ」
しかし監視カメラの映像は早く見なければならない。さっきの証拠品の検分に小一時間かかったのも惜しかったくらいだ。
「よう、大変そうだな」
声をかけてきたのは、缶コーヒーを持った班長だった。
「お前たちが呼び出されるちょっと前に話は聞いてたんだけど、失踪者の捜索に2人なんてむちゃくちゃだ。今、何に困ってる?」
理瀬は、監視カメラの捜査をしたいが映像集めに関してどう考えても人手が足りないと話した。
「そっか。お前らは部屋まで移されて、なぜか極秘任務扱いになってるから、俺でも深く関わると処分の対象になるらしいんだが、おつかいぐらいなら大丈夫だろう。俺もデータ集めに行こうか」
まるで当然のように、班長は軽く切り出した。
「班長が、ですか」
「織部、何だその微妙なリアクションは。ビックリしてるのか?」
「……はい」
希榛はとても驚いていた。例によって分かりにくいようだが。
「急に畑違いの、しかも重要な捜査を任されるなんて通常ありえない嫌がらせだ。でもやるしかないなら、上司としてできる限り協力するのは当たり前だろ。なにビックリしてるんだお前は」
そう言われれば、普通は喜んで力を借りるものなのだろうが、今は、というよりSpiegelのことを知ってからは、おいそれと他人を信用するわけにはいかない。
「ありがとうございます、班長!」
そんな中、理瀬が素直に礼を言った。
班長が敵でも味方でも、露骨に警戒するわけにもいかない。
Spiegelに対しては、常に相手に気づかれることなく対処しなければ相手の思うつぼなのだ。
「織部、お前もいい加減、人に頼ることを覚えろよ。何のために警察がチームで捜査するのか考えろ」
言っていることはもっともだ。その真意は分からないが、もし本当に協力してくれるならありがたい。
「……はい。ありがとうございます」
かくして、班長と理瀬はカメラ映像の回収へ、希榛は次の準備へと移った。
ルシリアはセラピーを受けていた。電話がかかってきたとき、希榛はセラピーについて質問をしていた。
図らずもピンポイントな質問になってしまっていたが、ルシリアは動揺を表に出さず、希榛が急に変なことを言い出したという反応を見せた。
質問のタイミングは偶然だったが、見透かした上で探りを入れたと思われてもおかしくなかったはずだ。
しかも《オオカミ男に会っていないか》とまで言ったのだ。ハンドルネーム《狼》とルシリアが接していることさえ、希榛に知られたと思ったはずである。
逆の立場なら希榛でも動揺しただろう。しかし、彼女は慌てていなかった。
だから異変に気付けなかった。
希榛の言った《オオカミ男》とハンドルネーム《狼》が同一人物であることはあり得ないだろうが、それでも気になる。
まあそれも、監視カメラ映像を見ればある程度分かるだろうとも思う。
今は間違いなく監視社会だ。少し前の中国を笑うことはできない。
日本の場合、表立って当局が監視しているとは言っていないので、中国よりも性質が悪い。
防犯のために、全てのカメラを敢えて見せる戦法から、見えないところにも隠して設置しておく戦法に切り替わった。
おかげで検挙率は格段に上がった。
いいことが起きた場合、たいていはその恩恵と相反する問題が起きるものだ。 しかし、プライバシー侵害などの人権問題は浮上していない。
なぜなら、知らないからだ。
希榛でさえ、通勤途中にある監視カメラの位置と数の全ては把握できていないのだ。
今のところ、誘拐と強盗の成功率は限りなく低い。ルシリアの失踪が自発的なものであれ誘拐であれ、何らかの痕跡は必ず残っている。
それから3時間ほどで、理瀬たちが帰ってきた。班長は、ここからは協力できないと言って帰っていった。
「集めてきましたけど、これを今から全部見るんですよね……」
テープの数は50本以上に及ぶ。注意深く見ていけば、とても1日では終わらない。
「全てじっくり見る必要はない。そのために俺も準備をした」
希榛は時間を短縮し、かつ作業の精度を上げるためにあるプログラムを作っていた。
モニターに、ハイデントゥームのドキュメンタリー映像を表示させる。
そしてプログラムを実行すると、ルシリアを黄色い枠が囲んで映像が停止した。
「これは、動く人の中から対象者を検出するプログラムだ。ルシリアの歩き方、足と胴の比率、耳の形など、自力では変えられない特徴を読み込ませてある。これを監視カメラ映像で実行する。映像の速度は関係ないから、早送りで構わないし、俺たちがじっくり見る必要もない」
いかにルシリアとはいえ、失踪するときまでゴスロリではないはずだ。普段が派手な人間が地味な服装をすると、それだけで見分けにくくなるものだが、このプログラムは意識的なごまかしが通用しない部分を見る。
「それを、私たちが出ている時間で……?」
「こういうのは少しでも早いほうがいいだろう」
理瀬がとても複雑な顔をしているが、間違ったことをしただろうか。
さっそく、テープを検証する。
といっても、ざっとプログラムを走らせるだけだ。10分ほどで、ほとんどのテープを見終わった。
「あとわずかですが、映っているんでしょうか……」
「映っているはずだ。消滅したわけじゃないんだからな」
そして、家から少し離れた繁華街の、昨日の監視カメラ映像を見たときのことだった。
「あっ! 織部さん、枠が!」
そこで映像を止めた。黒髪の、カジュアルな普通の女性が黄色い枠に囲まれている。
その部分を拡大し、解像度を上げてみる。
「うーん、よく見るとルシリア様ですね、確かに……」
真っ白な幅広の女優帽をかぶり、水色のカットソーに紺のロングプリーツスカート、そして黒のパンプス。普段のゴスロリとは似ても似つかない。
しかし顔つきは本人のものだった。もちろんいつもとは違いメイクは地味だが、大きな釣り目も形のいい鼻も少し口角の上がった唇も、本人の特徴だった。
楽しそうに、誰かと話しているようだ。
映像を引き、隣の人物にフォーカスして拡大、解像度を上げる。
「《狼》……」
「やっぱりこの人が、例の《狼》さんでしょうか」
一緒にいる人物は、そうとしか思えなかった。
「男の人ですね。若い、同年代くらいの……」
「ああ。こいつが《狼》で、ルシリアは誘拐じゃない。駆け落ちみたいなものだ」
「えっ、珍しいですね、断言なんて。まさか、見覚えがあるんですか?」
見覚えはあった。この世界のことではないが。
そして、《狼》と呼び続けたことにも納得がいった。
ルシリアにとって、彼は狼でしかなかった。
死人の国の魔女が愛したオオカミ男、シュタルク。彼はそれ以外の何者にも見えなかった。
オオカミ耳はさすがに生えていないが、服装も顔つきも髪型も、シュタルクそのものだ。
「あ……!」
カメラの映像は急に乱れ、黒くなってしまった。
「壊れたんでしょうか」
「さあな。残りのも見てみよう」
他のものも全て見て、最後のテープで再度発見した。それは、ルシリアの家の最寄りから2つ離れた駅の前にあるカメラで、やはりシュタルクらしき男と歩いている昨日の映像だったが、それも一瞬だけ映った直後に映像が途切れた。
「故障でしょうか」
「どうだろうな。それほど単純なものとも思えない」
あの男が本当にシュタルクならば、単なるカメラの故障ではなく、Spiegelが動いた結果ということになる。
「それにしては中途半端だな」
Spiegelなら、ルシリアが映った部分は完全に消してダミー映像と差し替えるくらいのことはしそうだが、と希榛は思った。
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