第5話 身元

 サイバー犯罪対策課では、不正アクセスによる金銭の略奪やウイルスを使用したデータベースへの攻撃、犯罪に関わるネット上の情報発信などを監視している。

「《クラウン・セメタリー》に動きがありました。日程の変更です。決行日は、明日……!」

 理瀬が緊迫した声を出した。監視していた自殺サイトに新しい書き込みがあったのだ。自殺の決行日が明日に変更になった。

「……その主催者の身元、割れたぞ」

 希榛は理瀬に、主催者と思われる者の書き込みが行われたパソコンのIPアドレスを出力したものをプリントアウトして渡した。

「ネットカフェでの書き込みもあるようだから、これを持って店に行って、監視カメラでも見てくれば顔も分かる」

 次に、希榛は理瀬に別の画面を見せた。

「ついでに、このサイトの主催者も分かった。これは携帯の書き込みだから、位置情報を辿れば追える」

「えっ」

 理瀬が何か言う前に、希榛は理瀬の携帯に情報を送った。

 班長を見やると、理瀬に向かって「行ってこい」と慌てて言った。理瀬は班の他のメンバーとともに席を立ち、慌ただしく出かけていった。

 希榛は理瀬たちに手を振って、席を立って班長に近づいていった。

「……班長」

「な、何だ」

 班長はなぜか希榛を怖がっていた。声が低く、無表情だったせいだろう。

「俺はこの人に話を聞いてきます」

 希榛が携帯で見せたのは普通のブログの画面だった。希榛はメッセージのやりとりをして、会う約束を取り付けていた。

「この人は、北嶋徹の主催した集団自殺の生き残りのようです。そのときのことを、何か知っているかもしれません。行ってもいいですよね」

「えっ、なんで今……今動きのある自殺サイトとか追ってくれてたじゃないか。調子いいみたいだし、そっちを続けてくれよ」

 一気に2つのサイトの身元をつきとめた希榛には、当然、その業務を続けてほしいと思っているようだ。

「新也たちが追ってくれています。そこから他の繋がりも見えてくるはず。少なくともあと2つくらいは。だったら俺がそこにいなくてもいいと思います。というわけで、行ってもいいですよね」

「でも……」

「いいですよね」

「は、はいっ」

 さらに低い声で、少し近づいて言ってみた。それだけで班長は震えあがった。

 上司に対する態度としてはどうかと思うが、利用できるものは利用すればいい。

 希榛は無言で課室を出た。後ろでひそひそと声がする。その内容も聞こえたが無視した。



 ブログの主は、《ミス・リグレット》と名乗っていた。自分の後悔や失敗を明るく楽しく報告するような内容で、文章が面白いのでファンがついている。

 会合場所に指定されたのは某コーヒーチェーンだ。平日の午前中なので客はそれほど多くない。

 希榛は窓際の席に、その女性を発見した。

「ミス・リグレットさんですか」

「はい!?」

 女性は20代後半くらいで、黒髪ストレートのセミロングヘアに黒いカットソーを着ていた。慌てて、携帯から顔を上げる。

「そうですけど、なんで分かったんですか? 『着いたらご連絡ください』って言って、まだ待ってたのに」

「さきほどから、そのエスプレッソをまずそうに飲み、三角スコーンを首を傾げながら齧り、携帯で文章を打っているように見えましたので。あと、その爪です」

 彼女の爪には、小さな真鍮の薔薇やパールの飾りがついた豪華なネイルアートが施されていた。ブログには、職業はネイルアーティストだと書かれていた。

「そうなんです……なんだかここ、コーヒーの名前が複雑で。よく分からないのでエスプレッソって言っちゃったんです。そしたらこんな小っちゃいのが。あと、このスコーン大きいですね。しかもすごく甘い」

 彼女はさっそく、自分の失敗をブログに書きながら希榛を待っていたようだ。

 希榛は自己紹介をして、彼女の向かいに座った。

「本名は、橋本はしもと晃子あきこっていうんです。よろしくお願いします」

 ミス・リグレットこと橋本は、ぺこりと頭を下げた。

「えっと……刑事さんってことは、何かの事件の捜査なんですよね。私が関わったことで、また誰かが……?」

「いいえ。新しい事件にあなたが関与しているというわけではありません。単に、前の自殺サイト連続殺人のときのことを、もう一度詳しくお聞きしたくて」

 橋本は一つひとつ思い出しながら語り始めた。



 ネイルアーティストになる前は、地元では有名な美容院で働いていたのだが、そこで同僚からの激しいイジメに遭っていた。毎日の仕事が忙しいうえにイジメが重なり、体も心も疲れ切っていたのだという。

「それで、例のサイトを見つけたんです。誰にも見つからない静かな場所で、自分じゃ思いつかないような方法で楽に死ねるのならと思って、参加してみました」

 そのときの場所は、ここからもう少し北のほうへ行ったところの山の中腹だ。北嶋が、橋本の自宅の最寄駅までわざわざワゴンで迎えに来た。

「そのときの様子は?」

「私のほかには北嶋さんと男性2人に女性1人でした。私が最後の参加者だったみたいです」

「他の参加者の印象は?」

「はい。やっぱり殺された2人は美形でした。美男美女って感じでしたね。若くて、女性はもちろん男性も、なんとなく中性的な感じがしました。生き残ったのは私ともう一人の男性でしたけれど、私はほら、ぱっとしない地味な感じじゃないですか。あとはもう、オジサンでしたからね。中年の。まあ美しくはなかったですね」

 さっきから容姿のことばかりだ。

「そこまで美しさにこだわる理由は何です?」

「あ、それは北嶋さんがこだわってたからですね。すみません。なんだか執拗に若い2人を褒めて、私たちはぞんざいに扱われたんです。『こっちにはなかなか理想的な美しさの人間はいない』とか言ってましたね」

「こっちには……?」

 橋本はエスプレッソをもう一口飲んで顔をしかめた。

「それもよく分かりません。『やっぱりもとの場所みたいにはうまくいかないな』とも言ってましたけど、頭おかしかったんでしょうかね」

 取調べでもずっと、要領を得ないことばかり言っていたと資料にあった。

「それで、その……実行するときはどうだったんですか?」

 橋本は、希榛に少し顔を近づけて声を潜めた。

「……薬を打たれたんです」

 その言葉を周りに聞かれて誤解されないための配慮なのだろう。ひそひそ声になっていた。

「それは睡眠薬ですよね」

 だから希榛もひそひそ声で答えた。

「ええ。北嶋さんは私たちに順々に注射を打っていったんです。これから死ぬっていうのに一回ずつ針を変えてね。最新の極細の針だったので痛くありませんでした。私はすぐ眠りました」

「あなたたちは、自分で自分に手を下すのが怖かったのですか?」

「えっ?」

 橋本はきょとんとした。そこから声のボリュームが普通になる。

「北嶋は練炭の煙やガスを車内に充満させていましたか?」

「いいえ」

「では、あなたは注射の中身が睡眠薬だと知っていたのですか?」

「……いいえ」

 そこで、橋本はおかしいなと思い始めたようだ。

「そういえば、注射については何の説明もありませんでしたね。でも、なんとなく毒薬を注入されたと思っていました。だから、寝て起きたときにはワゴンの中、オジサンと二人だけで呆然としてしまいましたね。こんなマヌケな場所が地獄のはずないと思って脱出して、街に出て普通に帰りました。オジサンに挨拶までして。……全然自殺の要素ないですね」

 橋本は自殺願望がそのときまであったにもかかわらず、睡眠薬が切れた直後から日常的な感覚を取り戻したということになる。



「私は何の違和感もなく、自分の人生の終わりを北嶋さんに預けようとしていました。自殺しに来たくせに、殺されようとしていたんですね。しかも、あの瞬間からどうでもよくなって生きている。仕事辞めて転職して、うまくいってる。私にとってはその程度のことだったんです。私と一緒に脱出したオジサンにとっても。もしかしたら……あの若くてかわいい2人にとっても、実はそうだったかも……。でもあの子たちはそれに気づかず……もう……」

 橋本はそこで急に泣き出した。若く、しかも美しい2人のことが哀れになったのだ。

 希榛はどうしていいか分からず、しばらく黙って見ていた。泣くなとも言えない。間がもたなくなり、ブレンドコーヒーとキャラメルマキアートを取りに行った。戻ってきてもまだ橋本は泣いていた。

「とりあえず、これを飲んで落ち着いてください」

 希榛はキャラメルマキアートを橋本に差し出した。

「……甘っ」

 驚くほど甘かったようだ。それによって涙も一瞬止まった。希榛のブレンドコーヒーは濃かった。

「あの人は、最初から私たち――じゃなくて、美しい人を殺そうとしていた。弱った心に付け込んで、自分の趣味のために人を殺し、死体をあんな風に勝手に繋ぎ合わせて、芸術を気取って。死のうとしてた私が言うことじゃないですけど、許せません」

 異常な殺人者に対して許せないという思いまで抱けるほど、橋本の心は回復しているようだ。

「織部さん、もう二度と、あの子たちみたいに犠牲になる人がいなくなるように、自殺のサイトなんか潰してしまってくださいね」

 そして強い目で、希榛を見つめてきた。

「はい。それが仕事ですから」

 橋本はなぜか残念そうな顔をした。







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