第4話 資料室
翌日は休日だった。だから夜勤明けの日に飲みに行ったのだ。
だが酒は一杯しか飲まなかった。二日酔いで休日を潰すわけにはいかなかったし、希榛には今日やりたいことがあったのだ。
希榛は少し憂鬱な気分で、警察署に入る。
総務課へ行って資料室の鍵を借りようとすると、すでに借りられているという。
資料室に行ってみると、確かに人の気配がした。紙とダンボールをいじる音がする。
日付の新しい棚に向かうと、そこには先客がいた。
小柄な男が、小さなダンボールから資料を出して調べている。メガネをかけた、若い男だ。希榛よりも細く、頼りない感じがする。
男は希榛に気づかず、紙を両手に持って一生懸命見比べている。
「……あの」
「ひいっ!」
希榛は小さく声をかけたのだが、男は持っていた紙を落とすほど驚いた。
「す、すみません、あの、これは、違うんです! 改めて会議で話したりしませんから……」
「ええと」
「すぐ出ます! 元通りにしますから!」
「俺はべつに」
「いえですからこれは――あ、あれ? どちらさま、ですか?」
男はそこでやっと、希榛が見覚えのない捜査員であると気づいたようだ。
「あ、もしかして僕、邪魔ですか? すみません、退きます」
男は今どき珍しい丸メガネのズレを直し、横に移動した。横分けでそばかすがあり、目がくりっとしている。ここにいるということは刑事なのだろうが、刑事らしさは感じられない。音楽教室の講師だと言われたほうが納得するような見た目だった。
「それ、久原祐輔さんの失踪に関するものですよね」
「あ……ええと」
希榛に、資料を調べているのを咎められたと思っているのか、男は気まずそうに目を泳がせた。
「俺も、それを見ようと思って来たんです」
「えっ?」
男は心底意外そうな顔をした。
「ああ、申し遅れました。サイバー犯罪対策課第三係の、織部希榛です」
「あっ、一課強行第三係の、山中一郎です」
山中という気弱な男は、希榛にぺこぺこと頭を下げた。若いが、年齢不詳な感じだ。希榛より年上かもしれない。
「同じ係の捜査員が失踪すれば調べるのは当然じゃないですか。俺も、ここに資料があるとは思わず、ダメもとで来てみたのですが、なぜそんなにこそこそしているんです?」
山中の怯えるような態度は異常ともとれた。
「捜査、打ち切られたんです……。他の捜査を優先すべきだって。自殺として処理されそうです」
「打ち切られた……」
だから、資料がこんなところにあるのだ。
「でも僕は、気になってるんです。久原くんは確かに追い詰められてたけど、だからって何もかも放り出して、誰も知らないところで死んだりしないはずです。変な言い方ですけど、死ぬならちゃんと覚悟して遺書も遺すような奴だと思うんです。彼はそんな後輩です」
久原の先輩ということはやはり希榛より年上なのだ。そんなどうでもいいことに少し驚く。
「つまり何か裏があって、圧力によって揉み消されようとしている、と」
「ええ。だから僕は、休日にこっそり調べようと思って。……あの、誰にも言わないでくださいね。――あれ? 織部さんもこの資料、見ようと思ったんですよね。サイバーの人が、なぜ?」
「俺も、個人的に気になってるだけです」
この時点では、Spiegelに結びつく点もないように思える。しかし気になるのだ。久原が鏡に怯えていたことが、一番大きな点だ。
「どのみち一人では大変ですから、手伝います」
久原が追っていたのは、《人体接続殺人事件》と名付けられた連続殺人だった。
発生した事件は全部で4つ。4組の男女が殺害され、2人ずつの遺体が組み合わされたものが発見されている。
発見現場は大きな公園や、花見スポットとして有名な河原、山の頂上などで、人目につきやすい場所だ。
そこに、遺体は気を付けの姿勢や、胸の下で手を組まされた姿勢で遺棄されていた。死因は、青酸化合物中毒や一酸化炭素中毒などで、遺体を切断、縫合する際にあまり出血した形跡がないことから、死後しばらく経って血抜きしてから損壊し、接続したものと見られている。
犯人はその後、次の犯行に及ぼうとした際に狙った男女に抵抗され、取り押さえられて逮捕された。
犯人の名は
久原は、拘留された北嶋に何度か面会していた。小さな手帳が残されており、そのときのメモには、自らの芸術性について語り続ける北嶋に恐怖をおぼえたとある。
久原は、2回の事件と4回目の事件で現場に臨場しており、その遺体を見ているようだ。遺体の様子が事細かにメモされている。
そしてその次のページに、「
「……この土御門総合医院というのは?」
「えっと、久原くんが通っていた病院、です。時期は、北嶋が捕まった後からですね……」
「病気になったということですか」
「さあ……確かに元気はありませんでしたけど」
希榛は携帯で、土御門総合医院について調べてみた。そこに精神科はなかった。何らかの疾患にかかったのかもしれないが、事件との関係性は分からない。
「あ、でも、病院の効果はあったみたいで、何回か通ううちに目に見えて元気を取り戻しているみたいでした」
「それなのに、失踪した」
「はい……。僕たちに言えないような、何か重大な病気があったのかなあ。だとしても、何も言わずにいなくなるなんて」
山中は、熱心に久原のことを調べている割には彼のことをあまり知らないようだ。先輩とはいってもそれほど親しくはなかったのかもしれない。
「久原さんは、鏡に怯えていたと言っていましたね。それはいつからですか?」
「病院に、通いだしてからじゃなかったかと……」
それはかなり重要な情報に思える。土御門総合医院に、何かあると見て間違いないだろう。
「ところで、久原さんは北嶋に会ったことはあるんですか」
「あ、あります。それこそ僕と久原くんと、二人で調書を取ったことがあって。でも、北嶋の言うことは残虐だけどよく分からないことばかりで。最初から自分の犯行を認めてはいたので、取調べ自体はスムーズでしたけれど」
罪を認めてさえいれば、多少の不可解な言動は問題にされない。希榛としては、北嶋のことも気になった。
「北嶋は、どうやって犠牲者を選んでいたのですか?」
「闇サイトです。そこで自殺者を募って、一緒に死ぬふりをして殺していたそうです。よくある手口ですが、全員は殺さなかった。だいたい男女2組集めていたそうですが、その中から気に入った2人だけを殺して、残りは睡眠薬でただ眠らせて、生きて帰したみたいです。殺害は別の場所に移動して行っていたので、生き残った人は、寝て起きたら自分たちだけがそこにいて、犠牲者と北嶋がいなくなっていたという状態ですね。そのあと生き残りの人たちがどうなったかは、残念ながら把握できていません」
つまり、見逃されて生き残った人たちは、そのあと独自に自殺しなおしている恐れもあるということだ。もともと死ぬつもりだったのだから、殺されかけたと言って警察に駆け込んでくるわけもない。
「なんでも、『美しく死ねる者だけを殺す』というのが北嶋のこだわりのようでした。繋ぎ合わせたとき、きれいに仕上がる人を選んで殺していたようですね。写真を見ても、殺されたのは美形の人ばかりでした。そういうわけで、集めたものの殺害せずに全員帰したこともあったと言っていました」
久原がいなくなった原因は、この事件であることは明らかだが、まだ材料が足りない。
希榛は、業務の合間にまたここに来て、久原の事件を調べることにした。
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