(5)
「ちゃんとメッセージは届いたみたいだね」
教室の中にいたのは二人。一人は理沙。理沙は教室の真ん中で椅子に縛り付けられ、口には猿ぐつわのようなものがつけられ、思うように声が出せずううと唸るような微小な声しか出ていなかった。
「理沙……!」
「大丈夫だよ。怪我はしてないから。ただまあ、今後どうなるかは君次第だけどね」
そう言いながら、その手は乱暴に理沙の髪を掴み顔を無理矢理あげさせた。
目の前にしたら全てを受け入れる覚悟だった。なのに実際その姿を見ると、思わず目を逸らしたくなった。
理沙の真横に立っていたのは、由香だった。
「びっくりしました? ドッキリ大成功―!」
そうやっておどけて見せる姿は健二のよく知る由香だった。あまりにも場違いな由香の笑顔に、健二はただただ戸惑った。
「目で見た真実が頭で理解出来ないって感じ? じゃあ改めてちゃんと説明してあげようか」
そして由香だった声は、今度は男のような声色に切り替わった。
「中学以来だね、健二君。久崎信也だよ。そして、お疲れ様です先輩。眞崎由香です」
久崎信也を男の声色、眞崎由香を女の声色と器用に使い分けながら目の前の人物は自己紹介を行った。
「ははっ、何だよそれ……。さっぱり意味わかんねえよ」
あまりに突飛な現実に健二は思わず笑いが込み上げた。姿形は大学での後輩、眞崎由香なのに、その中身は実は久崎信也だという。俄かには信じられないものだった。
「わかんなくたって、それが真実。僕は久崎信也だけど、今は眞崎由香として生きてる。何も難しい事言ってないでしょ?」
「……本当に、信也なのか?」
「まあすっかり文字通り別人だからね。説得力ないかもしれない。でも本当だよ。DNA鑑定なんかしてみたら一発で証明されるよ」
途端にぐにゃりと世界が曲がったような気持ち悪さに駆られた。
「じゃあ……お前ずっと……」
「そうだよ。僕はずっと君の近くにいたんだよ、健二君」
何て事だ。すっかり自分が忘れ去った存在。そして今回の事件を機に記憶に蘇った元同級生。事件を起こしたとされる人間は平然と大学に通い、あろう事か同じ部活内でいつでも自分を殺せるような近さで平気で笑顔を振りまいていたのだ。
「拓海達は、お前が殺したんだよな……?」
その瞬間、信也の顔がまるで汚物でも見るかのように歪んだ。そこから溢れ出るのは嫌悪なんて生易しいものではない。圧倒的な殺意だ。
「何? 僕を責めるつもり?」
「……」
「いくら健二君にだってそんな事言われる筋合いはないよ。僕がどれだけの苦痛と屈辱を味わってきたか。そのお返しをしただけだよ」
「お返しって……」
「そっくりそのままだよ。あの刑事さんから話は聞いたんでしょ? ちゃんと一人一人にプレゼントしてあげたんだ。僕なりに精一杯の気持ちを込めてね」
残虐な犯行を嬉々として語る信也の笑顔は完全に狂っていた。
途端に胃袋から胃液がせり上がってきた。思わずそのまま口の中のものを吐き出しそうになるが、寸前の所でそれを健二は堪えた。
こんな奴と自分は当たり前のように日常を過ごしていたのだ。何も知らず暢気に。
「すっきりしたよ。積年の恨みを晴らせた。僕は無力なんかじゃない。女みたいな見てくれだからって、たったそれだけで僕の事を虐げて。挙句女になった僕に殺されてやがるんだから、ざまあないよ」
けたけたと腹を抱えながら笑う信也は本当に心の底から楽しそうだった。
信也だって被害者だ。それには同情出来る。だからってこんな事をしていいとも思えなかった。信也の行動が正しいのか、過ちなのか。目の前の事実に振り回されながらも健二の頭は目まぐるしく回転した。
「どうやって、あいつらを?」
中身は信也でも、外見は眞崎由香だ。もしや信也は、拓海達を殺すがために女という衣を被ったのだろうか。だとすれば、復讐の為にそこまでするその気持ちはやはり相当な恨みがあってこそ成せる業だろう。
「簡単だよ。SNS、健二君だってやってるだろ。あこには個人情報が満載だからね」
なるほど。確かにそれなら個人のアドレス等なくてもメッセージを直接送る事も出来る。しかも場合によっては住所等の情報も公開設定で何の垣根もなく開けっ広げにもなってしまう。
「馬鹿だよね。危機意識が全くない。石崎は昔から自己主張の強い奴だから、さも俺を見てくれって感じで情報保護もクソもなかったよ。だからこそ簡単にコンタクトが取れた。まずは久崎信也名義でメッセージを送る。お前のした事を忘れない、復讐してやる、ってね。けどその返事は僕の決心を揺るぎないものにした」
「……何て返してきたんだ?」
「誰だよお前、だってさ」
「あいつは、覚えてなかったのか?」
その瞬間、信也は近くにあった机を思いっきり蹴り倒した。突然の行動と轟音に理沙の体がびくりと震えた。
「そうだよ! 信じられないだろ!? あれだけひどい事をしておいて、僕の事は一切覚えてないだって!? それまで少し躊躇いもあったよ。でもその瞬間何の躊躇いもなくなった。ああ、こいつはやっぱり死んで当然だって」
「確かに……それはひどいな」
「だろ? そこで今度は眞崎由香の登場。最近信也って奴から妙なメッセージが来てないかって。信也の知り合いものなんだけど、ひょっとするとそちらに危害が及ぶかもしれない。一度会って話せないかって。最初は不審がってたけど、椚中学で二年生の時にいた久崎信也って子を覚えていないかって所まで話すと、ようやく合点がいったらしい。ああ、あの男女かって。そこであいつと会う約束をして、のこのこ現れた石崎が車に乗り込んできた所で、まずこれで一発」
そう言って信也はポケットの中から何かを取り出した。信也が少し指をぐっと押し込む小さな稲妻が目の前で光り、バチリと大きな電流音が鳴った。
「スタンガン……」
「ピンポーン。今回これは大活躍だったよ。刑事さんを黙らせるのにも役立ったしね。そんなこんなで石崎を拉致する事に成功し、めでたくジ・エンド。いざ会ってみたらかわいい女の子だからって油断しっぱなしだったから楽勝だったよ。そして残りの連中もほとんど同じ手口で葬った。ホント馬鹿ばっかりで助かったよ。後は僕の独壇場。最高に楽しい時間だった」
話だけ聞いていればあっけなく聞こえる。だが殺された三人の死はどれも壮絶なものだ。生半可なものではない。三人が殺された理由はまだなんとか理解は出来た。これまで受けた痛みの復讐。
健二は理沙を見た。自由を奪われ、何の抵抗も出来ない姿が腑に堕ちなかった。
例えいじめの存在を知らず、それを止めれなかった一人だとしても、理沙が今こんな姿にされている理由があるとは健二には思えなかった。
「お前の気持ちは分かったよ。でも、理沙は関係ないだろ!? 理沙がお前に何かしたのか!?」
信也は黙って健二を見つめるだけで、何も答えようとしなかった。
「答えろよ! 理沙もあいつらみたいに殺すのかよ。お前のイジメに気付いてやれなかったからか? イジメを止めれなかったからか? だったら俺も同じだろ? 俺をそこに座らせれば良かったじゃないか! なんで理沙を――」
「僕がなんで女になったか分かる?」
唐突に信也の声が健二を遮った。
今までの怒りや殺意に溢れたものではなく、淡々と何の感情も感じさせない冷たい声だった。
信也は一度目を伏せ、そして何かを決意したかのように健二の目を真っ直ぐに見た。
「僕は、君がずっと好きだったんだ。須藤健二君」
信也はまるで想い出がそこにあるかのように上を見上げた。
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