(2)
無気力な涙にとっての休日は人生に潤いを与えるものではなく、ひたすら泥のように眠る事で体力を回復させるに過ぎない時間だった。
ひたすら眠り、腹が空いたと思えば適当なインスタント食品やスナック菓子を頬張り再び眠る。その繰り返しだった。だからその日も、眠り続けていた体が食糧を求める本能に叩き起こされようやく目を覚ました。
何かを口にしようと周辺を探ったが残念ながら食のストックはなく、そこで何も買っていなかった事に気付き、思わずが舌打ちが漏れた。面倒だが腹の減りは抑えられない。涙はのっそりと体を持ち上げた。
外はすっかり真っ暗だが、昼夜が逆転した生活を続けている涙にとってはこちらの方が見慣れた景色だ。日の落ちた時間に空いている店などコンビニしかなく、適当にすぐ食べられるような食品をがさがさとカゴに詰め込みさっさと会計を済ませた。
膨らんだコンビニ袋を手に家路へと戻る。腹の減りと腕にかかる荷物の重みから早く解放されたい気持ちで歩いていると、ふと、視界の中に異物が入り込んだ。
後もうすぐで部屋に到着するという所で、アパートの入口付近の塀に何かがある事に気付いた。おぼろげな街灯だけではその正体は分からず、その時点では涙からは黒くて丸い何か程度にしか認識出来なかった。
怪しい存在に涙の足取りは一気に重くなった。だが、その入り口を通らなければ部屋には戻れない。どうしてもその物体の傍を通るしかなかった。
ゆっくり、ゆっくりと歩を進める。黒の物体との距離は徐々に近づき、それに比例して言い知れぬ不安が心を圧迫していった。
やがて、それとの距離が人二人分程度にまで近付くとようやくそれが何か分かった。
それは膝を抱えてうずくまった、人間だった。
――こんな所で、一体何をしてるんだ?
正体が分かっても不安の霧は晴れるどころか、逆にその濃さを増した。
深夜の暗がりでうずくまる人間。到底まともな存在とは思えない。
関わらない方がいい。そう思ってさっさと通りすぎようと思った時、涙はその身なりを見て足を止めた。
――制服?
暗くてよく分からなかったが、どうやら身に着けているのは男子生徒が着る学ランだった。更に目を凝らし注意深く見ていると、体は震え、何故か足元は裸足で両足ともすりむいたような生傷がいくつもついていた。
さすがにこんな子供を放っておくわけにもいかないかと思い、少し面倒に感じたが涙は少年に声を掛けた。
「ねえ、大丈夫?」
涙の声に目の前の黒が一瞬びくっと震え、そしておそるおそる頭部が持ち上がり、顔がこちら側へと向いた。
「え!?」
涙は思わず大きく声を漏らした。
顔にいくつもついた痛々しい傷跡や、女の子のように整った綺麗な顔立ちに驚いたわけでもなかった。
――運命。
よぎった言葉はその二文字だった。
こんな事があるのか。
あまりの衝撃に涙の体は頭のてっぺんから釘で刺されたように身動きがとれなくなった。
この少年と私が今ここで出会ったのは、運命としか思えなかった。
もし私がちゃんと食料を買っていて、買い物に出る必要がなかったら。
もしこんな時間まで私が寝ていなければ。
もし起きた時間がもっと早かったら。
一つでも歯車が違っていれば、動きが変わればこの出会いはなかった。
――この子を助けなきゃ。
その思いに囚われたら、もう何の不安もなくなった。
「怪我、手当しなきゃ」
涙は少年と同じ目線まで屈み、優しく頭を撫でた。涙の行動に驚いたのか、少年のうるんだ瞳が不思議そうに涙を見つめた。
「ほら、立って」
優しく呼びかけると、少年は小さく頷きゆっくりと立ち上がった。制服は全体的にひどく汚れていた。ひょっとすると服の下の見えない部分にも傷があるのかもしれない。
涙は少年に寄り添い、少年を支えた。
――玲奈。
もう二度と会う事の出来ないはずの顔が、今そこにあった。
もちろん、そんなはずはない。
そもそもこの子は男で、あの子は女だ。
同一人物なんて事はあり得ない。
何より、あの子はもうこの世にいない。
だが少年の顔は、あの子が生き返ったかのようにそっくりだった。
藍城玲奈。
少年を支えながら思い出すのは、五年前に死んだ妹の笑顔だった。
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