第21話



「何を読んでいるんだ?」


 いつものように僕は学校帰りにミキハの病室を訪れる。最近はベッドで寝たきりであることが多かったミキハが今日は身体を起こし、一冊の古びた文庫本を手にしていた。


「ん? これ?」


 ミキハはふにゃりとした笑顔を僕に向ける。こんな柔らかな笑顔を見たのも久しぶりな気がした。最近は、苦痛のためか、どこか無理をしている表情を浮かべているのが常だったからだ。きっと、今日は体調が比較的いいのだろう。

 ミキハは答えの代わりに、持っていた本を僕に差し出す。


「『ロミオとジュリエット』?」


 それは文学に疎い僕でも知っている有名な物語だった。

 ミキハは僕に尋ねる。


「読んだことある?」

「いや……でも、内容は知ってるぞ」

「へえ」


 まあ、昔読んだマンガの中で語られていたあらすじ程度のもので、細かい内容なんかはまったく知らないのだが。


「要は、恋人二人が結ばれなくて、すれ違いの末に二人とも死んでしまうって話だろ」

「そうだね。ジュリエットは毒を飲んで死んだふりをして家のしがらみを捨てて、ロミオと共にどこか遠くで暮らそうとしていたんだけど、ロミオは本当にジュリエットが死んでしまったと思って、自殺しちゃうんだよ。仮死状態から生き返ったジュリエットは死んだロミオを見て、本当に自殺してしまうの。そういうお話」


 ミキハはどこか遠くを見るような顔で滔々とあらすじを教えてくれた。

 僕は手渡された文庫本を見つめながら言う。


「シェイクスピアの四大悲劇ってやつだっけ?」


 ミキハは僕の方を見て言う。


「違うよ」

「あれ?」

「『ロミオとジュリエット』は四大悲劇じゃない」


 ミキハは指折り数えながら話を続ける。


「四大悲劇は『ハムレット』『オセロ』『マクベス』『リア王』だよ。『ロミオとジュリエット』は、いわゆる四大悲劇には含まれないんだよ」

「そうなのか」


 僕はシェイクスピアなんて『ロミオとジュリエット』くらいしか、まともに知らなかったものだから、いわゆる四大悲劇とやらに、当然『ロミオとジュリエット』も含まれるものだと思い込んでいた。


「私も理由まではよく解らないけどね。まあ、確かに最後に恋人二人が死んでしまうなんていかにも悲劇だと思うよね」


 その通りだ。愛し合う二人が引き裂かれ、死を選ぶ。これを悲劇と呼ばずして何を悲劇と呼ぶのだろう。

 だが、ミキハはどこか陶酔した様な顔をして、呟いた。


「でも、もしかしたら、これは悲劇じゃないのかもしれないよ」

「悲劇じゃない……?」

「うん。だって――」


 ミキハが自身の死を自覚していると知ってから、僕にとって彼女の言葉は楔となった。その一言一言がいつ「遺言」となってもおかしくない。だから、彼女の何気ない一挙手一投足が僕の心に確かな痕を残していく。

 その中でも、この言葉は強烈だった。


「一緒に死ねたんだもん。きっと、それは二人にとって幸せなことだったんじゃないかな?」


 その一言は確かに僕の心臓を穿ち、律動を停止させた。

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