第22話
「負けちゃった」
それは、ミキハの体調が普段よりも少し良いある日の事だった。久しぶりにオセロをした。ミキハは手に力が入らないのか何度も駒を落とした。それでも、いつも負けるのは僕だった。それくらいにミキハは強かった。
でも――
「まさか負けるなんて……」
ミキハは本気で悔しそうに僕を睨んでいた。
「僕だっていつまでも負けっぱなしじゃない」
「ようやく一回勝ったくらいでいい気にならないでよね」
彼女は机に顔を伏せる。
「カケルに負けるなんて……」
「いくらなんでもショック受けすぎだろ」
「……私とお母さんがオセロしたらどうなるか知ってる?」
「は?」
あまりに唐突な質問に、僕はうまく答える事ができない。
「大抵、私が負けちゃうの。流石に全敗ってことはないけど」
「嘘だろ……」
おばさんの姿を思い浮かべる。ミキハだって相当強いはずなのに……。
「カケル、私がオセロ、すごく強いと思ってるでしょ」
「事実、そうじゃないか」
「私、別に強くないの。カケルが負け続けているのは、カケルがミスばかりしてるせいだよ」
余りに衝撃的告白だった。こんな告白は欲しくなかった。
「要するに、僕がバカだと……」
「………………」
ミキハは顔を伏せて、黙り込んだままだった。
「……ちくしょう」
小さな声で呟く。今まで僕が勝てないのは、ミキハが本当に強いからだと思っていた。だから勝てなくても仕方がないと。しかし、彼女の言い分が正しいのであれば、僕が救いようのない雑魚であるために敗北を重ねているのであり、そんな実力差すら解していない愚か者ということになる。
だが待て。
「今日は勝ったじゃないか!」
「だから、こんなに落ち込んでるの」
「……そうですか」
ミキハはやっと伏せていた顔を上げる。
「カケルに負けるなんてな……」
「君が落ち込めば落ち込むほど、僕も落ち込むんですが……」
「あー、カケルに負けるとは」
「もうやめてください」
そんな風に言うとミキハは噴き出し、ころころと笑い出した。
「あはは」
僕もつられて笑い出す。
「ははは」
しばらくの間、病室には笑いが満ちていた。ずっとこんな風にしていられたら。
しかし、そんな風に思うこと自体が、この時間の終わりを解している証明に他ならない。
「カケルは本当になさけないね」
「なんだよ」
「私の周りでこんな風に思わせる人間は、生まれて初めてだよ」
ミキハは続ける。
「私の周りにはいつもお医者さんとか、看護師さんとか、しっかりした大人しか居なかったから」
ミキハは笑顔のままで言い切った。
「私がしっかりしなきゃと思わせるような人が傍にいるのは生まれて初めて」
「……うるせえよ」
僕は何故だか滅茶苦茶恥ずかしくなってしまった。羞恥心のバーゲンセール。出血大サービス。
要は彼女に情けないって言われたから恥ずかしいのだろうか。
わからない、自分の感情の出所が。
そう言って、彼女は盤上に目を落とす。
「あーあ、黒の方が多くなっちゃった」
なんとか競り勝っただけなので、盤面の白と黒は大体半々だ。僅かばかり黒の方が多い。
「カケルを真っ白にしてやろうと思ったのにな」
「なんだよ、それ」
「白の方がいいよ。ほんとに」
彼女は無邪気に笑う。
そして、唐突に表情を消して呟く。
「だって、私はもうすぐ透明になって消えちゃうから。そのときは、きっと白い方が綺麗だよ」
意気地無しの僕は何も言う事ができず、黙り込む。
「でも、やっぱり一人で行くのは、怖いんだよね……」
ミキハはぽつりと呟くとベッドに寝て、布団を頭の上にまで被った。
布団越しのくぐもった声。
「カケルも来てくれたら、な……」
色々な言葉が喉にやってきて、音を与えられる前に消えていった。形を与えられなかった言葉は、絶対に誰にも伝わる事は無い。
僕の思いも、憤りも、何もかもが。
ただ僕の中だけで渦巻いた。
僕にはどうする事も出来なかった。
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