第23話

 科学が通用しなければ、あとは宗教に頼るしかない。

 「世界教」。

 それが、今この世界で幅を利かせている二大新興宗教のうちの一つであった。

 その教義は「消失は善なる旅立ちである」という事であった。要するに、この団体は人が消えるこの世界を肯定していた。人が消える事は「楽園」に至るための手段なのだと。

 「審判の日」にようやく、世界は正しい形を迎えただとか、それは数百年前から予言されていた事であるとか、胡散臭い教義を並べ立て、多くの信者を獲得していた。その最大の理由は、「消失」を教義に組み込んだ事だろう。

 今、「審判の日」の前から存在した宗教はほとんどが廃れている。なぜなら、どの宗教の教義にも「消失」などという現象が起きるなどと予言していなかったからだ。こんな理不尽な世界の終わり方を教えてくれなかった神様を誰が信用するだろう。

 「世界教」は、そうして信仰心を失った人々の心の隙間に入り込んだ。「消失」を肯定した事も大きかったのだろう。消えてしまった人間が「楽園」に居ると言うのが本当なら、今まで消えてしまった人間は皆、救われた事になる。家族や恋人、友人を失った人間にとっては、それが救いとなったのだ。

 確実に言えるのは、「世界教」が今ではかなり大きな勢力になっているという事だった。


 ミキハの母親は、この宗教の熱心な信者であった。その事は、僕がミキハと共に居た時に、僕を熱心に勧誘してきたからよく知っていた。「消えた先の世界は楽園なのだ」とか「楽園には、神様が居て、皆を幸せにしてくれる」だとか、そんなことを陶然として語っていた。この宗教の事を語る時のおばさんは、普段の虚ろな瞳に、ほんの少しの光がさしている様に見えた。あの光を、きっと希望と呼ぶのだろう。


 正直に言うと、僕はそんなおばさんの姿を恐れた。心の底から何かに依存している人間の姿とは、この様なものなのかと感じた。

 だが同時に、宗教に依存するおばさんの気持ちはよくわかった。


 彼女はもうすぐ娘を失う。


 きっと、娘は消えてしまうだろう。

 そんな娘の行きつく先が「楽園」であるというのが本当なら一体どれだけ救われるであろうか。

 でも、僕はおばさんと同じ様に宗教を信じる事など到底できそうになかった。どうして「消失」を肯定できるのか。消えた先で、自分がどうなるのか、誰にもわからないのに。


 ただの死と何が違うのか、誰にもわからないというのに。


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