第18話

 僕達は病院の近くの喫茶店に入った。こじんまりとした個人経営の店だ。どこか老人のような雰囲気の観葉植物。天上でゆっくりと回るシーリングファン。シックな内装の古式ゆかしい店だった。前から存在は知っていたが入ったのは初めてだ。こういう喫茶店は意外と、この滅びゆく世界の中でも残っている。


「好きな物を頼んでいいからね」


 そう言われてもやはり遠慮はするし、そもそもこういう喫茶店で何を頼むのが正解なのかもわからない。僕はおじさんが頼んだのと同じコーヒーを注文した。


「話というのは、ミキハの事なんだ」


 雑談もそこそこにおじさんは本題を切り出した。


「僕は、キミがミキハに会うのは構わないし、むしろ歓迎しているんだ」

「……どうしてですか?」

「あの子は生まれつき身体が弱くて、学校に通えなかった。だから、同年代の子と仲良くなったのはこれが初めてなんだ」


 それはミキハ自身も言っていた事だった。


「だから、君が嫌でないのなら君がミキハと仲良してくれる事を拒む理由は無い。うちの家内は反対のようだったけど」


 そこに年老いた店主自ら、コーヒーを運んでくる。他の従業員は一人も見受けられなかった。


「家内は、君が浮ついた気持ちであの子に近付いたと考えていたみたいだ。だから、あの子がもう長くない事を知れば、去っていくだろうと……」


 僕は何も言う事ができない。それは事実だったからだ。もし、あの日、気まぐれに裏山を訪れ、ミキハが病院を飛び出す様な事が無ければ、僕はミキハの事を忘れ、二度と病院を訪れる様な事は無かっただろう。


「でも、君は再びあの子に会いに来てくれた。あの子は本当に喜んでいたよ……」


 おじさんは運ばれてきたコーヒーに手をつけようとせずにしみじみと語った。僕は自分に運ばれてきたコーヒーにもなんとなく手をつけがたく、ミルクと砂糖を入れて、ただぐるぐるとコーヒーをかきまわし続けた。


「親はね、子供が喜んでくれるのが何よりも嬉しいんだ……だから、君が迷惑でなければ、あの子が居なくなる最期まで傍に居てあげて欲しい……」


 おじさんの声は凋んで消えていく。僕が作ったコーヒーの渦の中へ溶けていく様に。


 僕はそのコーヒーを飲んだ。砂糖もミルクも入れたはずなのに、まだ苦い。コーヒーというのは、こんなに苦い物であっただろうか。


「僕からの話というのは、それだけだよ……勝手なお願いで悪いね……」


 僕は何とも答える事ができず、ただ黙々と機械的に、苦いコーヒーを体の中へと流し込んだ。

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