第11話

 結論から言えば、僕は病院に行く事をやめた。


 結局、僕は人間の「死」を明確に突き付けられるのが怖かったのだと思う。絶対に失ってしまう物をわざわざ手に入れようとする必要はないじゃないか。そんな風に思った。

 「今なら何もかも無かった事に出来ると思うの」というおばさんの言葉が頭の中で回り続けた。


 今なら無かった事に出来る。何もかも。

 僕は裏山にも行かず、家でだらだらと過ごした。珍しく真面目に「夏休みの宿題」に取り組んでみたりもしたが、全く頭に入って来なかった。


 そして、一週間が過ぎた。僕はそうやって家の中で過ごす事に飽き飽きしていた。今の世の中、生き残っている人間でこんな自堕落な生活をしている者は少ないらしい。「消失」という現象を打破するために勉強や研究に励んでいる者や、この滅びゆく世界に足跡を残すためにスポーツや芸術に全力で取り組んでいる者が多いと聞く。よく考えれば、それは当然だ。なぜなら、そういう人間こそ「生きる気力」に満ち溢れていると言えるからだ。そんな人間は消えない。逆にそういう張り合いが無い人間は消えていく傾向にある。だから、活き活きとした人間が増えたというよりは、そういう人間しか生き残れなくなったと言うべきなのだろう。


 僕の様にただ漫然と生きている人間は消えていく。そういう世界なのだ。


 しかし、僕は「消失」どころか「透明化」すら始まっていなかった。今、生き残っている人間の中でもおおよそ半数の人が「透明化」していると言われている。「透明化」は精神的ショックで引き起こされる。失恋や離別によって「透明化」が始まるのはよくあることなのだ。

 だから、ミキハとその家族が「透明化」しているのも、何も特異な事ではない。一度始まった「透明化」がとける事は無い。だから、「透明化」が始まった後は、その進行を少しでも遅らせる為に心を強く保つしかないのだ。

 初めてミキハに会ったとき、少し「透明化」が進んでいるとも感じたが。入院しているのならば得心がいくとも思った。誰だって病気の時は「生きる気力」が弱くなるものだ。

 まさか、長く生きられないとまでは思わなかったが。


 僕が「透明化」すらしていない理由は、正直解らない。特別な目標も生きがいもない、僕みたいな人間は真っ先に消えてもおかしくない様に思える、などと他人事の様に思う。


 僕は生きて、まだ何かをしなければならないのだろうか。

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