第4話
「友達……?」
僕はすごく間抜けな顔をしていたんじゃないかと思う。
だってそうだろう。まさか「友達になろう」なんて台詞を、現実で聞く事になるなんて思わなかったから。今時、漫画でもそんな台詞は使わない。
友達なんて気付いたらなっているもの……いや、それも違うような気がした。「なんとなく」つるんで、「なんとなく」遊んで。そんな風に「なんとなく」一緒に居るうちに、ふと「あれ? こいつと僕ってどういう関係なんだろう」なんて考える。その時になって適切な言葉を探してみるけれど、見つからなくて、当たり障りのない言葉を選んで、初めて出てくる言葉。
それが「友達」なんじゃないだろうか。
自分でも穿った考え方だな、と思う。でも、友達ってなろうとしてなるものじゃないよな、なんて考えた。
「そう、友達」
何が嬉しいのだろうか。少女は「にこにこ」という擬音が聞こえてきそうなほどの満面の笑みで僕を見下ろしていた。
彼女の肌は、透き通っていた。これは比喩じゃない。彼女の顔はまるで幽霊の様に半透明で、向こう側の青い空の色を微かに映していた。これは「消失」が近い者に見られる特徴だ。
身体の色を徐々に失い、ゆっくりと、溶けるように、この世界から去っていくのだ。
「ダメかな……」
突然、彼女は悲しそうな表情を浮かべる。
この時の僕の気持ちを説明するのは難しい。
でも、少なくともこのまま黙っていちゃだめだと思った。
ともかく何か返事をしないと。
僕は裏返りそうになる声を抑えながら言った。
「い、いいよ。……なっても」
僕は何故だか彼女を見るのが急に気恥かしくなって、目を逸らしながら言った。僕だって男だ。同年代の女の子に仲良くしましょう、と言われて嬉しくないはずがない。それによく見ると女の子は結構可愛い。なら拒絶する理由なんてないだろう……男なら誰だってそうさ、と誰にするでもない言い訳を考える。
「ほんとに!」
彼女はおもちゃを買ってもらえた子供みたいにきらきらと目を輝かせた。
「やった……えへへ」
太陽の様に晴れやかな笑顔。そんな顔で彼女は僕を見下ろしていた。
「それじゃあ――」
彼女が何か口を開きかけたその時だった。
「居た!」
彼女の後ろの方から甲高い声が聞こえてきた。それは心の底からあげる感情の籠った声。僕は思わず、ビクンと身をすくめる。
「こんな所に居たのか!」
また別の、今度は低い声。
年老いた男女が、息を切らして立っていた。女性の方は、疲労の為なのか、あるいは安堵の為なのだろうか、その場に力無くしゃがみ込んでしまった。
「よかった……」
そして、女性は涙まで流し始めた。顔を手で覆っているが、嗚咽ははっきりと僕の耳まで聞こえてくる。
「どうして、勝手に抜け出したりしたんだ!」
男の方は、息を整えた後、怒鳴り声を上げてこちらへと迫って来る。
え、僕が何かしたのか?
動揺で、何も考えられなくなり、思わず反射的に謝ってしまいそうになる。
いや、でも、僕何もしてないよな。あ、まさか夏休みの宿題を全くやってないから……いやいや、それでもそんな事を見知らぬおじいさんに怒られる筋合いなんてないし――
混乱で口をぱくぱくさせている僕には、目もくれず、男は僕の前に立つ少女の手を取った。
「帰るぞ」
「あ、え?」
僕は思わず間抜けな声を漏らす。
すると男はぎろりと目だけを僕の方に向けて睨んだ。
そこでようやく気付く。さっきの言葉はこの女の子に向かって言っていたのか。
よくよく考えれば当たり前で、かっと体温が上がった様な気がする。変な声を出してしまった事と合わせて、僕の中で羞恥心が暴れ出す。
「娘が何か御迷惑でも」
娘。とするとこの人は、この女の子の父親なのだ。だとすると向こうでへたり込んでいるのは、母親だろうか。
父親と言うより祖父くらいの年齢に見えた。しかし、それはほとんど真っ白になってしまっている髪の毛の為なのかもしれない。もし、髪の色が抜けていなければもっと若々しく見え、少女の父親としても妥当な年齢に映るだろう。
そして、父親の肌も少し薄くなっていた。彼もまた少しずつ消えようとしているのだ。
「ご迷惑を?」などと声をかけながらも、その口調は威圧的だ。何かあらぬ疑いをかけられている様な気がする。
僕はなんと答えればいいのか解らず、戸惑っていると。
「違うの!」
少女は大きな声を上げた。
そして、父親の方を見ながら続ける。
「この人は、今、たまたま会っただけで……どうしても外に出てみたくて……ごめんなさい、もうしません……」
だんだんと弱弱しくなった声は、最後には凋んで消えた。
女の子は袖で顔をぬぐっている。泣いているのだろうか。僕はその背中を呆然と見つめ続けている事しか出来ない。
男はしばらくその様子を見ていたが、溜息を一つついて言った。
「……勝手に抜け出してはダメだぞ」
どこか気の抜けた弱弱しい声で言った。
「悪かったね」
それだけ言って、男は少女の手を握り、庇うように彼女の背中に手を回す。父親は「歩けるか」と声をかけ、少女は「平気」と答えた。
おそらくは母親なのだろう、女性も立ち上がり、ふらふらとした足取りで後に続いた。
僕はただ、取り残される。
何なんだ?
何が起こっているのか全く解らない。いきなり知らない女の子に話しかけられ「友達になって」と言われ、戸惑っていたところにその両親がやってきて、まるで僕が何か悪い事をしたみたいに睨んで、女の子に庇われて。そして、今、その少女は去っていこうとしている。
一つ、言えるのは、今ここで何もしなければ、二度と彼女に会う事はないだろうという事。
それでいいのか?
僕は自分に問いかける。
ここで彼女を呼び止めて、名前を聞いて、事情を聞いて、仲良くなって――
そんな真似は出来ない。
なんで出来ないのって聞かれたら、出来ない物は出来ない、というしかない。
だってそうだろ? 知らない女の子に話しかけるだけでもハードルが高いのに、その親まで居るんだぞ。さっきあんな風に僕を睨んだ父親が居るんだぞ。
ここで女の子を呼び止めるなんて、青春小説みたいな真似出来る筈がない。
僕は何の力もないただの子供なんだから。
その時だった。
「私、スオウミキハ!」
少女は振り返って僕の方を見ながら叫んだ。
「あそこに居るから! 良かったら会いに来て!」
それだけ言うと、彼女は前を向いて再び歩き始めた。
彼女の父親は、彼女を支えたまま何度か僕の方を振り返り、険しい表情で何かを言いたそうに僕の方を見ていたが、結局何も言わず、この場を後にした。
「あそこに居るから!」と少女が指差した場所。
そこは、山のすぐ麓にある大きな市民病院だった。
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