大根おろし

「これ、おねがい」

コトリ。

尚美が机に置いたのは、おろし金と皮が剥かれた大根だった。

長さは約15cm。

「全部でいいの?」

「うん」

読んでいた本をマガジンラックに片付けた春樹は、尚美の後を追うようにキッチンにやってくる。

「どしたの?」

「手。洗わないと」

「ああ」

昼食の用意をしている尚美の横で、蛇口をひねり手を洗う。

水を止めた後、手から雫を滴らせていると、目の前に尚美の手が現れた。

人差し指が指す方向には、タオル。

「ありがと」

「大根、最後の最後までおろさなくていいからね」

「ん。ピンクにはしないよ」

部屋に戻り、さっきまで寝転がっていたソファに座りなおした。

「さてと」


机の上にあるおろし金は、金と言いながらプラスチック製で、最近よく見るお皿型である。

おろす部分が島のように中央にあり、ドーナツ状の溝に大根おろしがたまっていく、そんなスタイルだ。

日ごろ料理をしない自分でも、大根おろしくらいはできる。

と、春樹本人は思う。

「確かこうだよな……」

やや細めの大根をしっかりと握ると、おろし金の島で円を描くようにぐりぐりと大根をおろし始めた。

ざしゅ、ざしゅ。

「おう。結構簡単」

大根は春樹の想像よりもはるかに早くちびていく。

上手くできているとわかってからは楽なものだ。

にわか料理人は、考え事をする余裕さえ出てきた。

ところで何で大根おろし?

確か今日の昼はパスタだって言ってたような。

ジュアー!

キッチンから聞こえてくる炒め物の音。

バターの香りを鼻腔に受けると、一気に空腹度が増した気がする。

休日の昼、恋人の家ですごす時間は、大根と一緒にのんびりと削られていった。

ざしざしざし、ざしざし。

大根はいつの間にか数センチになっていた。

一応手をおろさないように注意しながら、春樹は最後の最後まで大根を削っていく。

くしくし……かしゅ。

最後の一欠けは、自分の口に放り込んだ。


「できたー?」

「うん。なんとか純白のまま」

両手を開いてみせる春樹に、尚美は笑いで応える。

「プラのおろしだから、多少擦っても手は削れないよ」

そして、溝の大根おろしをこぼさない様に、器をそっと持ち上げた。

「ありがと。もうすぐできるからね」

「うん。他なにかする?」

「ううん。大丈夫。もう少し待っててね」

「ん」


春樹の労働の対価はすぐに姿を現した。

コト、コト、コトン。

テーブルにいくつかの食器が並べられる。

マグカップに入ったスープが2つ。

メインディッシュはチキンピカタとフルーツトマトが乗った大皿。

そして、春樹と尚美の前にそれぞれ、スパゲティの皿が置かれた。

「おお」

「どう?」

「うん、ちょっと予想外」

つやつやと光る麺の上には、たっぷりと大根おろし。

さらにその上に、しいたけ、えのき、まいたけのバターソテーが乗り、周囲を刻み海苔が飾っている。

「本当はねぎだれとか作りたかったんだけど、面倒になっちゃって。ソースはこれで我慢して」

尚美が最後に出したのは小さなポン酢の瓶だった。

いただきます。

二人は一緒に手を合わせてからほぼ同時にフォークを持つ。

しかし尚美はそこで動きを止める。

いつものように。

春樹が食べるのをじっと見ている。

パクリ。

もぐもぐ。

「うん、うまい」

「ほんと?よかった」

このやり取りの後、初めて尚美も一口食べる。

「んー、ちょっと水っぽくなるかと思ったけど、大丈夫だったね」

「うん。さっぱりしてるよ」

「春樹がおろしてくれた大根の力だね」

「あははは。」

春樹はすりおろされた大根をフォークですくう。

ソテーされたしいたけが一切れ乗っている。

「こんなことで食事が美味しくなるんだったら、いつでも手伝うよ」

「ありがとう」

「毎日でもいいよ」

パクリ。

ポン酢で少し茶色くなった大根おろしは、程よい酸味と少々の辛味、そして甘味を楽しませてくれた。

「え?」

もぐもぐもぐ……

春樹は無言でテレビのリモコンをとり、電源のボタンを押した。

画面には、ニュースキャスターのまじめそうな顔が映っている。

尚美がちらりと覗き込むと春樹の表情もいつも以上にまじめそうに見える。

顔は完全にテレビの方を向いていたが。

「大根料理ばっかりじゃないから……他の事も手伝ってもらうよ?」

「……できる範囲で」

「うん。できる範囲で」

尚美は皿の大根おろしに目を落とし、嬉しそうに微笑んだ。

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