第85話帝都決戦 Ⅴ


暗く深い中を芽愛兎は進む。


否、泳ぐと言った方が正しいかもしれない。


自らを『暴食』でネームレスと共に喰らい、その存在を同化させた。

身体を捨て去り、精神体のような存在になった芽愛兎は真っ暗な世界を進む。


光は消え、闇に飲まれた。


頭が痛くなるほどに、掠れた叫び声は空間を蹂躙し、ガンガンと心を揺さぶる。

ここは、行きつく場所。


喰われ、糧にされた魂が一点に集い、怨念を巻き散らかす場所。


その場に降りた魂は、通常なら他の怨念と同化し、哀れな叫びへと変わる。

しかし、芽愛兎の魂は自我を保ち、その暗闇の中を進んでいた。


不思議と、その叫びは聞こえなかった。

何かが自分を守ってくれるように……そんな気がして。

芽愛兎は自分を守る何かに導かれながら、闇を進む。


それでも、自分の魂が限界だというのが分かる。

『暴食』の利用。


一時、自らの固有武装と概念武装を無理して働かせ『暴食』の所有権を其れ本体から自分に移すことに成功できたがそれも僅か。

『暴食』に己を喰らわせた今、既に所有権は『暴食』自身に戻りつつあり、それと同時に芽愛兎の精神崩壊も進んでいっている。


明確な死。


今度こそ、精神は粉々に砕け、存在の死を迎えるのが芽愛兎には薄々と感じていた。

それに悲観したりはしない。

元より、勝ち目のない自分が、勇者最弱の自分がこのステージへと昇ってこられたのも『暴食』のお陰なのだからその代償を払うのに後悔はない。


けれども、一番叶えたい願を叶えるまでは。

自分の助けをきっと待っているであろう最愛の人を助け出すまでは、死ぬことは出来ない。


初めて、自分から離れて行かなかった人。

初めて、めんどくさがりながらもちゃんと話を聞いてくれた人。

初めて、自分を好きだと言ってくれた人。

初めて、自分の身を案じて優しくしてくれた人。

初めて、恋に落ちた人。



「ふふ。わかっているのですよ。あれはボクの勘違いだって」


芽愛兎は笑う。

彼女自身考えれば考える程に、彼の告白はおかしなものだと気づいていた。

けれども、彼女はそれを正すことはしなかった。


彼に勘違いでも好きだと言われたとき、彼に対する恋心は自覚に至ってしまったのだから。


「それでも、ボクは君に恋していると自覚してしまったのですから……勢いに乗ってしまった事を許して欲しいのですよ」


芽愛兎は呟く。

気付けば、眼前には白く光る存在が。


暗闇の中でも白く、白く。

無数の黒い魂の中に、自分を導くように、ポツンと光る魂がある。


その光は暖かみと安心感を覚えた。

それだけで、涙が出る。


精神は崩壊し、あと少しで消える最中。

闇を彷徨って、やっと見つけられた。


「やっと……ボクは……勝てるのですか……?」


崩壊しかけた魂で、進む。

ぽろぽろと、存在が崩れ落ち、それでも、芽愛兎は手を伸ばす。


健也君を助けたい、健也君に触れたい……健也君に会いたい。


もう魂だけだから涙は出ない筈なのに、涙が出た気がした。

足は無いはずなのに、確かに進む足がある気がした。

手はないはずなのに、確かに伸ばす手がある気がした。


「ボクは……ボクは……」


芽愛兎は手を伸ばす。

その魂を。

優しく暖かい気持ちにしてくれるその魂を抱きしめる。

安心感が、芽愛兎を包む。


「君に会えてボクは幸せだったのです。君に会えて嬉しかったのです。……健也君に恋が出来て、健也君に恋をして、ボクは、きっと世界一幸せだったのですよ」


抱きしめ、涙を流し、その表情は安堵の笑顔に満たされる。


「ありがとう健也君」


芽愛兎の魂は、その一言を残して消え去った。

そして……瞬間、喰真涯健也の魂の輝きはこの暗闇を掻き消した。




歴代最弱の勇者・音ノ坂芽愛兎。

彼女は初めての勝利を掴む。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」


『暴食』によって覆われた巨大な球体。

それは数分の時を経て、割れる。


響くは苦しみに満ちた声。

ネームレスの身体は、ドロドロと溶け出し、今にも崩れ落ちそうに腐っていた。

時折ボコボコと魔獣の出来損ないのような体の部位が現れては破裂する。


蟲毒の血に吸収されていた魔獣、及び過去の存在がネームレスの身体を奪わんとせんと争い合っていた。

その苦しみに悶えるように、ネームレスは叫ぶ。


それに相対する様に立つは一人の青年と抱かれた少女。


白髪の髪にひび割れたような跡が顔に残る勇者 喰真涯健也。

金髪の髪を頭の後ろで馬毛のように垂らし、口元を覆うマフラーを付けた勇者 音ノ坂芽愛兎。


芽愛兎の身体のどこにも傷は無い。

『暴食』に侵食された右腕も、右目も、どの体の部位も正常に闘う前の綺麗な身体に戻っていた。


「うぐあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」


ネームレスのドロドロに溶けた一つの首だったものからは黒点が……今まで芽愛兎の中に居て自我を確立し独立した存在になった『暴食』が吹き出しネームレスを喰らい始める。


それに対抗するかのように、過去のダレか、何かの魔獣が拮抗し、その苦痛にネームレスは苦痛の声を挙げる。


「無様だな。ネームレス」


「ぐが……ぁぁぁあ。喰真涯イイイイ!!」


「お前には世話になったよ。……返させてもらうぞ」


喰真涯は手を翳す。

そこに現れるのは一振りの刀。


「お前はこれを『死屍刀装』と言っていたっけ。概念能力も固有武装も勇者の心の在りようによって変わる。だからお前は、死者の怨念しか使えなかった。けど俺は」


構えた刀の刀身は、『死屍刀装』のように禍々しくない。

光を伴い、それは周囲に希望をもたらすかのように淡く輝く。


以前、芽愛兎が『写鏡円果』で写し模倣したものと似通っていた。


怨念ではなく、願いを。

憎しみではなく、慈しみを。

絶望ではなく、祈りを。


「この刀は、怨念だとか、そんなものを吸うんじゃない。死して尚求めた願いを、希望を。誰かの助けを、願いを叶える刀。俺の中にいる、俺に力を貸してくれる存在に対して少しでも恩返しが出来る刀なんだ」


喰真涯は呟き、視線をナスネへと向ける。

それの意味するところを感じ取ったナスネは、駆け寄り、彼から芽愛兎を受け取る。


芽愛兎の身体は軽く小さく華奢で。

とても勇者とは思えない、本来なら庇護すべき少女に分類されるであろう体躯。

それでも、彼女は『勇者』だった。


悪を滅し、民を助け、希望を救った。


「芽愛兎を頼むよナスネ」


「私の名を……?」


「ずっと中から見てた。随分と迷惑を駆けちゃったし芽愛兎が世話になったね。不動にもお礼を言っておいてよ。あいつ、少しは芽愛兎を気遣ってくれてたみたいだからさ。……俺がああなっちゃったのって自分にも原因があるって、少しは自覚があったみたいで驚いたよ」


「……えっと。それを不動様の前で言わないほうがよろしいかと。恐らく殺されます」


「わかってるよ。あいつはそういうやつだ。けどな、今の俺は前みたいには負けないよ……けどその前に、まずはあの化け物を倒して少しは帝国にかけた迷惑を返さないとな……俺かなりやばいことしかしてないから」


ナスネに芽愛兎を預け、ネームレスに視線を向けた。

ドロドロに溶けた身体は地面に張り付き、何本かの首は腐り落ちそこからまた別の顔が生え腐り落ちを繰り返す。

最早、それは一つの生命ではない。


生き死にを繰り返し自滅を繰り返す物体。

生存競争をその小さな器で繰り広げる。


「喰真涯イイイイイイイ。再び貴様を……喰らえばアアァァァァァァァァァ」


憎しみと怨嗟に満ちた声音でネームレスは吠える。

それは帝国全土に響き渡り、大地を揺らす。


ネームレスの中で、その感情に賛同する声明が一つまた一つと増える。

この自滅する身体を永らえ完全な状態にして自らの物にしようと、ネームレスの中に存在する全ての魂はイマこの時だけ一つに纏まった。


それは個としての群体。


「ァァァァァァァアアァァァァァァアアァァ!!喰真涯イイイイイイイイィィィィィィィィ」


纏まったソレは、ドロドロに溶けた身体を一つの巨大な蛇へと変えその大口を開け喰真涯へと迫る。

ただの単調な突進。

思考する知能はもはや存在せず、ただ目の前の喰真涯を喰らいたい感情が支配したただの獣。


「今、俺の中にはオレを認めてくれて力を貸してくれる存在しかいない」


それを喰真涯は、顕現させた刀を構え立ち向かう。


「お前を倒す。それが俺に力を貸してくれると言ってくれた魂に対する恩返しだ」


喰真涯は呟く、本来の固有武装の名を。

光り輝く刀身は、その輝きを増し、一つの光の柱を立てる。


神々しく、希望に満ちた光。

喰真涯の中に存在する魂。

初代勇者の蟲毒の血と混ざる前に居た魂……そして、蟲毒の血から喰真涯を認め彼に力を貸す事を選んだ魂たちの力の結晶。


光は世界を照らし闇を払う。

それは、絶対の一撃。


御霊刀装みたまとうそう


喰真涯本来の固有武装。

その名を口にし、光を振り下ろした。


光はネームレスを正面から包み、やがて浄化する様に一つの光の柱へと変わる。


「がッ……ァ……喰真……がい……」


それは数瞬。


光が消え、その場にはネームレスはいない。

過去のダレかとその身体を争っていた魔獣たちは浄化され、消えた。


その場に残るは、蠢く黒い黒点だけ。


「……あれは」


喰真涯はそれに見覚えがあった。

芽愛兎を蝕み、侵していた能力の残骸。


その弱弱しくなった黒点を見て、背筋がゾワリと沸き立ったのが分かった。

直感が告げる。


目の前の『暴食』は危険だと。


喰真涯はそれを見て警戒態勢をとると共に、一つの最悪の説を思い浮かべる。


ネームレスは御霊刀装みたまとうそうで消し去った……しかし、その直前に弱ったネームレスを『暴食』が喰らっていたのなら。


喰真涯が消し去ったのは力の無くなったネームレスで、その力を目の前の『暴食』が喰らっているのだとしたら。


『暴食』の恐ろしさは直接ではないにしろ疑似的に相対していた喰真涯にも十分にわかっている。


音ノ坂芽愛兎という最弱の勇者を魔王レベルにまで押し上げられる恐るべき能力。

それが、仮にも歴史の血ともいえる初代勇者の蟲毒の血を取り込んでしまったら。


王を冠する魔獣、偉人達は当然ながらあらたな生を得ようと分類する喰真涯にはついて来ずにネームレスの中に残った。

その全能力が、『暴食』に渡っているのだとしたら。


「まずいな……」


喰真涯の予想は事実、ハズレではあるが正解にも近かった。


『暴食』が喰らい己が糧にするのは知識かその資質から来る質量。

東京太郎が使う『暴食』には能力を吸収する異能はついておらず、当然のことながらそれを模倣して生まれた芽愛兎の『暴食』も性質はほとんど同じだ。


東京太郎が用いる場合、黒点を増やすための質量を太郎が、知識を『暴食』が喰らっており『暴食』端タウではそのどちらかしか吸収することが出来ない。


故に、喰真涯の御霊刀装みたまとうそう喰らい一時的に数を減らした目の前の『暴食』は、ネームレスを質量に回すことでその数を膨大に増殖させる。


ネームレスを喰らう事は、歴史を喰らうも同然。

そこに介在する質量は、『暴食』を限りなく増殖させるには充分過ぎたし、喰真涯にすらその増殖した『暴食』を止めることは出来ないだろう。

芽愛兎から模倣された偽りの『暴食』は止めることは出来ない。


そう、この場にオリジナルの『暴食』が存在しなければ。


『暴食』に『暴食』の大剣が飛来した。

否、それはオリジナルの『暴食』の大剣。


偽りの『暴食』に突き刺さったそれは、瞬間、分解して包み込む。


其れは一瞬だった。一瞬にして偽りの『暴食』は何のアクションもとることが出来ずにオリジナルの放った『暴食』に吸収され飴玉サイズまで圧縮された。


喰真涯の横を、『暴食』の少女が通り過ぎる。


これが、自分の仕事だと、狙いだった、とこれ見よがしに見せびらかせるように圧縮された偽りの『暴食』をその場にいって手に取ると喰真涯たちへと見せびらかし。

パクリ、と口に含み噛み砕く。


瞬間、ボンっ!!とお腹が膨れ満腹とばかりに『暴食』の少女はお腹を擦った。


「どうやら彼女?は敵じゃないみたいだけど……。東京太郎か……」


目の前の『暴食』の所有者であろう人物の名を呟きながら、喰真涯は考える。

彼ほどの人物がまだこの戦場に参加していないことを、彼の能力から創り出されたであろう『暴食』の少女だけがこの場に現れていることを。


底が見えず暗躍する東京太郎に若干の疑惑を覚えるも。


「ゴアァァァァァァァアアァァァァァァァァ!!!!!!!!!!」


帝国を再び轟音と叫び声が襲う。

地響きを混じり合わせたそれは、巨人。

幻想種に成り損ねた哀れな強者の集合体。


「皇帝……」


喰真涯は呟く。その正体に喰真涯は予想がついていた。


それは、帝国の王。

力を求め続けた皇帝の成れの果て。

蟲毒の血が暴走した、姿。


それが帝国首都の南で出現し、暴れている。


「芽愛兎を頼むよナスネ。俺はあれを倒さなくちゃいけない。俺のせいみたいなものもあるし」


「……わかりました。勇者喰真涯ご武運を。フジネを頼みます」


「任せて。生きてる限り絶対に救って見せる」


ナスネも妹のフジネが皇帝と相対していたことを思い出し、不安になるが、固有武装を先ほどの技で失い戦力の低下した自分はほんとうに足手まといでしかないことも自覚していた。

だから、芽愛兎を抱きかかえながら、喰真涯に頷いた。


その言葉を聞き終えると、喰真涯は地面を強く蹴り跳躍する。

白髪と亀裂の入った頬。赤目。

最弱の勇者に救われた帝国最強の一角は再び戦場へと向かう。




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