第82話帝都決戦 Ⅱ
悲鳴が聴こえる。怒声が聴こえる。嘲笑が聴こえる。
充満した死の臭いは人々を惑わし、狂わし、そして争いがまた生まれる。
帝都、否、帝国全土で今、争いが生まれ続けていた。
この帝都に乗り込んだ革命軍もその雰囲気に呑まれながら化け物達と対峙している。
皆、必死だ。
彼等に協力してやりたいと思わなくもない。ここまで来た仲間なのだから。
だが、ここで止まっても何も変わらないって事は理解出来ていた。
だから、鎌瀬山釜鳴は走り続けた。
道行く先で阻んでくる化物達を切り裂きながら、駆け、ある一点へと向かう。
そこは。
開けた空。
観客席が周りを囲う。
其処は、帝都の中心と言ってもいい場所であり、城に隣接する闘技場。
かつて、勇者同士の。
王国勇者対帝国勇者の模擬戦が行われた地。
鎌瀬山が九図ヶ原に手も足も出せずに敗退した、彼にとって恥ずべき場所。
そこに、鎌瀬山は辿り着く。
閑散とした其処には、誰もいない。
観客も、城の内部にも、人の気はない。
城からは、所々に穴があけられ、そこから中で化物達が暴れていたのが伺える。
不自然な程、その場所には何もいなかった。
帝都はあんなにも阿鼻叫喚の地獄絵図で、今も叫び声や地響きがこんなにも聞こえるのに、この場所は、何かに整えられたように、静かだ。
否。
整えられていたのだろう。
鎌瀬山も帝都に入った瞬間に感じていた。
自分に向けられた、気味の悪い感覚を。
全身を嘗め回されるような、気色の悪い感覚を。
それを辿ってここまで来た。
「よく来たなァ。雑魚勇者」
静寂を振り払い、声がする。
その声は鎌瀬山の顔を歪ませるには充分で。
視線を声の主に向ける。
「九図ヶ原……」
「久しぶりだな。ア?なになに、ちょっと顔つき変わってんじゃねェの」
九図ヶ原戒能は鎌瀬山の正反対に位置する入口から現れ、歩を進める。
それは、まさにあの時の再現だ。
「ったく。んなもん当たり前だろうが。帝国に引きこもってた引きこもり勇者と比べればな」
「ほざけ」
瞬間、九図ヶ原の姿は視界から消えた。
否、消えたに近しいスピードで鎌瀬山の元へと駆けその拳を振るう。
速さ、そして力。
近接系に特化した九図ヶ原の拳は、確かに鎌瀬山の顔面を捉え振るわれた。
しかし、それは鎌瀬山には届かない。
その拳は、その軌跡は、鎌瀬山には視えた。
ジャポニカを、鎌瀬山は振るう。
その刃が九図ヶ原の拳を捉え、切っ先に当たる寸前で九図ヶ原もまたその拳を止めていた。
「はんッ。なァに、ほんとに強くなってんじゃねェかよ」
九図ヶ原は鎌瀬山から距離を取り、口を開く。
以前の鎌瀬山なら反応できなかった筈のスピード。
それを止められた九図ヶ原の表情は一瞬歪み、直ぐに口角が上がる。
思ったよりも楽しめそうだ、と。
表情がそう物語る。
「お前が弱くなっただけだろうがよ」
「言ってくれるねェ」
鎌瀬山の挑発を、九図ヶ原は軽く受け流す。
それは余裕。
「まァよぉ。少し話でもしねェか?鎌瀬山クン」
「なんだよ。お前と話す事なんざ……」
「てめェにチャンスを与えてやろうって話だよ」
「……チャンス?」
「あァ。てめェがまだこの前のレベルならさっさとぶち殺そうとでも思ったんだが。なァに、意外と実力上がってんじゃねェのってな」
九図ヶ原は及第点、といったような瞳を鎌瀬山に向ける。
事実。
九図ヶ原は先ほどの一撃で、鎌瀬山を殺すつもりでいた。
所詮、王国勇者。
以前の実力よりも劇的に上がる事など考えていなかったし、それよりも東京太郎の方が興味があった。
しかし、今の鎌瀬山を見て考えは変わる。
自分が考えていたよりも実力も上がり、雰囲気も何となく違う。
馬鹿っぽさが残っていた数週間前とは違い、その目つきも、大分勇者のそれへと変わっていた。
だからこそ。
その瞳を汚したいと、九図ヶ原は考える。
「人族は今存続の危機だ。この話はわかるよなァ。雑魚どもが溢れかえり頭数だけは多いクズの集団。それが人族だ」
「……」
「前にも言ったが、オレらに群がり保護してもらう事しかできねェ家畜共だ。守ってやる価値すらあるのかも疑問だが……まァ、そこは考えねェ。わざわざ呼んでくれたんだ、一応は守ってやらなきゃなァ……だが」
九図ヶ原は繋げる。
「足りねェんだよ。オレ等勇者だけじゃ魔族共を滅ぼすのには足りねェ」
「……んなもん俺でもわかってる。こんな馬鹿げた争いをして、挙句の果てには勇者同士で潰しあいだ」
「はん。んだよ。わかってんじゃねェか。ならよ、てめェ、オレ等側につけよ」
九図ヶ原戒能は手を差し出す。
鎌瀬山はその行動に一瞬、驚きの表情を見せるがその表情を険しくさせ見返す。
「ほらよ」
カラン、と。
鎌瀬山の前に一つの注射器が投げ捨てられる。
それは、紅くドロドロとした液体。視界に入れるだけで不快感を催されるそれは。
「喰真涯の強化薬だ。……てめェ等がアレらをどう呼んでんのか知らねェが。オレらは『ヴィジョンズ』って呼んでる」
「ヴィジョンズ……」
「あァ。幻想種の出来損ない。世界で最も醜い生き物だ。人であることを失い知能を失い。ただ、目の前の存在を喰らいつくすだけの獣。世界から消えた存在。あの出来損ない等にはピッタリの名だ」
鎌瀬山の脳裏には、この数日間で葬って来た異形の存在を思い浮かべる。
それらは皆、確かに、人の形をしていなかった。
目の前の存在を貪り尽くす化物へと化していた。
無くした何かを取り戻そうと足掻くような、出来損ない。
「っち。俺にはやっぱ正義のマネは出来ねぇな」
「あん?」
鎌瀬山は自嘲気味に呟いた。
「正義ならよ。きっとヴィジョンズにされた罪なき人をうんたらかんたらっつっててめぇと対峙出来んだろうけどよ。俺には無理だ。可哀想とは思うがそこまでの気持ちにはなんねぇ。認めたくはねぇが本質はお前等に近いんだろうな、俺は」
この数週間。
鎌瀬山の行いは、全て誇らしいものの筈だ。
けれども、鎌瀬山はその全てを自分が選んで行ったとは、自分の意志で行ったとは言い切れない。
決められたレールを歩かされているような、そんな不快感の中で鎌瀬山釜鳴は歩いていた。
もしも。
タロウのような干渉が無ければ、自分はこの革命には参戦していないことは考えるまでもない。
正義の様に誠実には生きられないし、そこまでこの世界の人間にまだ思い入れがあるわけでもない。
そんな、いい加減で、不誠実で、酷い人間であったことは。
成長した今、過去の自分を見たら、嫌でも自覚してしまう。
ならば、と。
鎌瀬山は考えた。
何故自分はこの場に立っているのかと。
悪しき勇者を対峙せんとする、勇者を演じているのかを。
思い浮かんだのは。
クル子。
ニーナ。
二人の少女の為に。
二人の少女の前では、鎌瀬山釜鳴は英雄でいなくてはならないのだ。
かっこ悪く、ぎこちない。
そんなハリボテだったとしても、鎌瀬山釜鳴は、ニーナを研究所から救い出したあの時に。
彼女にとっては、いつまでも憧れの勇者でいられるようにと。
そう誓ったのだ。
彼女たちに握られた両の手に、応えられるような、勇者に。
鎌瀬山は足元に転がる強化薬を踏みつぶし、ジャポニカを構え。
それに呼応するかのように、鎌の刃も朱色に染まる。
「んな汚え手なんざ握る手は残ってねぇんだよ」
それは、差し出された手に対する明確な回答。
「くひゃひゃひゃ。寒い寒い。オレには理解できねェよ。てめぇ等王国勇者の思考も芽愛兎みてェな思考もよ。気持ちわりい」
「わかんねぇだろうよ。お前みたいなやつにはな」
「わかるわけねェだろクソが」
駆け出し振るったジャポニカの刃は、九図ヶ原のシャルマハトへとぶつかり火花を散らす。
勇者と勇者。
人類の希望は今、激突する。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
音ノ坂芽愛兎は弱い。
それは、何処でも、如何なる場合でも世の摂理の様に、彼女に重く圧し掛かる。
音ノ坂芽愛兎という存在は、生まれながらにして最弱の星の元にいるのだろう。
それでいて、彼女には無駄に正義感があり諦め強い心がある。
敗北続きで、勝ちを知らない。
それでも諦めない。その度に彼女の心は気付かない内に侵食されていく。
自分というものを削りながら、彼女はいつだって闘ってきた。
弱く、だからこそ醜い。
勝てる筈がないものを諦めず挑み続けるさまは、周りから見れば滑稽でしかなく一種の気味悪さを感じさせた。
その無意味な行動は、醜く見える。
だから、彼女の傍にはいつだって誰もいなかった。
一時、誰かが傍に来ても、彼女に気持ちわるさを抱き、離れていく。
けれども。
力こそが全てのこの世界で。
初めで、自分から離れない人が居た。
なんだかんだ言っても、話ちゃんと聞いてくれる人がいた。
初めて、自分の事を好きになってくれた人が居た。
そして、その人は直ぐにおかしくされた。
彼女に勝利は訪れない。
敗北の星の下に生まれた彼女は、今。
「……健也君」
初めての勝利を得るために、勝負の舞台へと上がる。
其処は、どこかの広場。
否、元は何かが在った場所なのかもしれない。
けれどもその面影は無く、ただ開けた更地だった。
「音ノ坂芽愛兎……全ク、哀れナ女ダ。最愛の男ヲオレの影二見て、叶わぬ願いヲ期待する」
その中心地。
音ノ坂芽愛兎とナスネを待ち構えるように、喰真涯健也はそこにいた。
「勇者喰真涯。随分と、定着なさっているようですね」
「……ほう?貴様ハ気付くのカ?」
「気付くも何も、不動様に見通せないことなどございませんから」
「不動の受け売リか……」
「……どういうことなのです?」
ナスネと喰真涯の会話を横で聞きながら、芽愛兎は呟く。
定着。
その言葉の意味を一瞬理解することが出来なかったが、段々と、芽愛兎はその言葉の意味を咀嚼する。
「芽愛兎様もお分かりとは思いますが、勇者喰真涯は変わりました……いえ代わったと言うのが正しいのでしょう」
「代わった……?」
「えぇ。変化ではありません。目の前の勇者は、厳密に言うなら勇者喰真涯ではなく、勇者喰真涯が変質して出来た存在でもありません。その存在そのものも違う……勇者喰真涯を乗っ取った幻想種の魔族ですよ、アレは」
ナスネの言葉に芽愛兎の表情は驚愕に変わり、次第にそれは希望に満ちたものに変わる。
変わっているものを戻すのは、難しい。
一度変わったものを、元の形に寸分違わず直すなんて難しい。
でも。
ただ、代わっているだけなら、取り戻すだけでいい。
邪魔者を追い出して、彼を救い出せばいい。
「くハハハ。当たりだ不動の子飼い。オレは、幻想種のダレか。魔王様より生まれし、過去の幻想ダ。カツて散った幻想種ノダレか。そレが、オレダ」
幻想種の魔王の血液。
初代の『蟲毒の血』と言われるそれは、遥か過去。初代勇者世代からの歴史の血清。
敵を喰らい、敗れた見方味方を取り込み。
そうして、色濃く歴史を紡いできた血液。
その群から。数えるのもバカらしくなるほどの群より偶発的に生まれし幻想。
それが、今の喰真涯健也の身体に入る存在。
「不動の固有武装……確カ『ネームレス』と言っタか。ヤツには相応しくない名ダ。俺にコソその名ハ相応シイ。俺は名も無き幻想。故二、ネームレスと名乗ロウ」
「不動様に頭を垂れなさい愚か者が!!」
瞬間、ナスネは薙刀を構え駆けだす。
その動きは、勇者の芽愛徒兎でさえも一瞬見失ったほどだ。
不動の固有武装の名を汚された。
それは、不動に絶対なる忠誠を誓うナスネにとって激昂に値するには充分過ぎた。
「焔よ。焼き尽くしなさい!!」
薙刀を振るい、ナスネは叫ぶ。
薙刀は炎に包まれ、灼熱を斬りつける。
灼熱は、喰真涯を取り囲み業火の渦へと変わる。
「焔龍ゴケイアロスにハ如何なる焔も通じナイ」
しかし、その業火の渦は消し飛び、中から現れた喰真涯に傷はない。
「くッ。雷撃よ……」
「無駄ダ」
黄色い閃光を放ち、雷を纏おうとせんとしたナスネの薙刀は、纏った雷も意味もなさずに掴まれる。
「雷獣ヴァジュラにソノ程度の雷撃ガ効ク筈がナイ」
その身に、多種の魔族、人族、魔獣を取り込んできた初代勇者の血液。
それは、喰真涯の持つ限外能力によりその身に取り込まれ能力を行使する。
それは、喰真涯健也がかつて成るであろう勇者の完成形の一つ。
己が身で、幾万幾億の能力を用い、一人で完成された存在。
個でありながら、軍を成す。
「多種の属性を秘めた武具か……ソウカ薙刀と、向こウノ世界デハ言うのだな。しかシ、この武具……固有武装カ?」
「ッ!?」
『喰真涯健也』の記憶を辿り、見慣れない武具の名を当て、そして……その武具の本質を感じる。
触れただけで分かる。大分弱いが、これは勇者の持つ固有武装の一種であると。
ナスネの表情は驚きへと変わり、薙刀に力を籠め、引き離そうとするが。
捕まれたその手は固くビクともしない。
世界最高峰の腕力を持つとされる魔獣『アブラハリ』の腕力。
その能力を、喰真涯は使う。
「勇者でもない子飼いの貴様ガ何故……あァ、そういうコトか。不動の限外能力ヲ見る事は叶わなかっタガ、あァ……予想はツイタ」
「離しなさい!!」
「離すまでもナイ。コレは、オレが喰らオウ、貴様とトモにナ」
『偽りの偶像』
喰真涯の右手は竜の顎へと変質し、ナスネ諸共、喰らおうと顎を開く。
「しまッ!!」
ナスネはそれを見ても逃げることはしない……否、出来なかった。
ナスネの影は、分裂した喰真涯の影に抑えられ、それと同様にナスネも空間を固定されたようにその部位を動かすことが出来ない。
影を分裂させ捕縛し、獲物を喰らう魔物。
怪鳥『シャドラ』の能力。
これは、簡単な挑発に乗り、相手の出方も考えずに仕掛けたナスネのミスだ。
否。
ナスネにも、頭に血が上っていたとはいえ、冷静な側面はあるし、完全に無策で突っ込んだわけじゃない。
このように動きが封じられたとしても抜け出せる魔術は、距離をとれる魔術も用意していた。
しかし。
「ガイアの魔眼だ。見たモノの魔術ヲ打ち消ス」
喰真涯はその上を行く。
魔術そのものを打ち消す魔眼を持つ魔獣ガイアの能力。
全てを封殺し、すべてを打ち消す。
個にして軍。
幾多の能力を従え、全てに対応する。
存在の完成形。
ナスネが弱かったわけじゃない、喰真涯という存在の前では、彼女もその他塵芥と変わらない。
ただそれだけだ。
開いた竜の顎は、ナスネへと迫り。
恐怖に振るえるナスネの瞳には。
一人の勇者が。
見えた。
「纏うのです『暴食』」
芽愛兎は、ナスネと喰真涯の間に入り込み、黒点で纏われたその右拳で竜のを正面から殴り飛ばす。
喰らう能力に喰らう能力。
お互いの能力は、その細部は違えど、芽愛兎の方が一歩優勢だったようで、竜の顎は押し返され、喰真涯も後方へと吹き飛ばされる。
「芽愛兎様……その力は……」
ナスネは芽愛兎の右手の黒点を見て呟く。
それを視界に捉えただけで分かる。その力がどれほど強大なものだと。
それは紛れもない東京タロウの七つある固有武装の一つ。
『暴食』を身に纏い、芽愛兎は。
「ボクは、この戦いで恐らく死ぬのです。この力は、それ程までに恐ろしいのです。使ってみてわかったのです。タロウ君の実力が……こんなにも、彼が強いだなんて」
呟く芽愛兎をナスネは視て、驚愕する。
その瞳は真っ赤に充血し、黒点を纏う右手からは血が絶えず流れ、服には赤黒いシミが浮かび上がっていた。
「ボクは彼を絶対に救う。……だから、ナスネは彼が元に戻ったら、ボクが頑張っていたことを彼に少しでもいいから話して欲しいのですよ」
闘う前から既に血だらけの、最弱の勇者は、微笑みながら照れながら呟いた。
それは勇者でもなんでもない、ただ恋心を患う少女の微笑み。
右手の黒点は数を増やし生き物のように蠢く。
「ボクの全てをあげるのです。……だから、ボクに一時だけ。彼を救える力を」
黒点はそれに応えるように、芽愛兎の右腕の皮膚を食い破り姿を現す。
血が垂れ、真っ赤に染まる芽愛兎はそれでも。
「返してもらうのですよ、健也君を!!」
瞳に希望を秘め、最弱の勇者は駆けだした。
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