第75話 ユーズヘルム州 太守館


鎌瀬山釜鳴含む革命軍が進軍し、東京太郎がユニコリアとの邂逅を果たした最中。


太守であるアリレムラ・ユーズヘルムの死去。

その知らせが響き渡る。


そんな予想だにしていなかった突然の事態に太守館だけでなく、州都全体が慌ただしく騒がれていた。


錯綜する情報の中、事の顛末はこうだ。


アリレムラとリウリスは鷹狩りの最中、謎の怪物達と遭遇、そのまま交戦することになった。最初は何とか均衡した状態であったが、疲れ知らずの怪物達に徐々に押され始めてしまう。

このままで全滅してしまうと考えたアリレムラは次期太守であるリウリスを失うわけには行かないとリウリス一人を逃がすためにアリレムラ自身が囮となり怪物達に向き合い。

その隙にリウリスは何とか逃げおうせるもアリレムラを含め他の騎士達は皆、犠牲になってしまった。という事になっていた。


聞くものが聞けば骨董無形な話ではあるが、革命中という事もあってか民衆はそれらを冷静に受け入れるだけのキャパシティはなく、結果、何も考えず受け入れるという楽な方向に流されてしまう。

アリレムラの死去確かに、パニックになる事態ではあるが、リウリスの名は次期太守の候補筆頭として知れ渡っていたのも民衆が受け入れた要因の一つだ。


「どうやら、民衆の扇動はうまくいったようですね」


執務室。その部屋の奥に位置する椅子に深く座り込んだリウリスは部下からの報告を聞き満足げに頷いた。


「それで私の愚妹の部下達はどうでしたか?」


「はっ、現状ではリウリス様に面と向かって反発する者はおりません。しかし、プラナリア様が革命を成功させるとなると……」


「そうですか。全く父上も面倒な事をくれましたね……太守代理として急ぎ私が革命軍を引き継ぐ必要がありますか」


先程の余裕そうな表情からとって代わり苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。


「? それが出来れば確かに彼方も手が出せませんが、今からでは帝都向かっている革命軍に間に合わないかと」


「ふふふ、その懸念は最もですが何も問題ありませんよ。貴方は只戦の準備をしておけば良いのです」


「……畏まりました」


リウリスの部下は主人に向かって余計な事を聞けば消されると理解していた。だから、疑問に思った事を口に出すことも無く只、膝まずき了承するだけだった。



部下が部屋から出た後、執務室に一人になったリウリスは誰もいないはずの部屋で何度も誰かを呼び掛ける。


「おい、おい、いないのか? おいドレッド?……ちっ」


反応が帰ってこない事に苛立ちが湧き、舌打ちをする。

予定通り父上を処理することが出来、残る問題は妹であるプラナリアだけだ。

だというのに、そのプラナリアを始末する為に必要であるはずの男が姿を現さないのだ。


先程は部下の前であったため、その焦りを態度に出すことをおさえていたが、部下がいなくなった瞬間、その込み上がる感情を抑える事が出来なかった。


「ああぁアアァァァどいつもこいつもっ!おいっ、ドレッドっ!いねぇのかっ?」


「リウリス様……何か御座いましたか?」


ノックの音に続いて聞こえた執事の声を聞き、冷静さを取り戻す。


「ああ、大丈夫ですよ」


そう、まだ大丈夫なはずだ。

まだ時間はあるのだ。あの男さえ来れば直ぐに帝都まで行けるのだから。

それにここで奴が俺を裏切るメリットも無い。

だから、大丈夫だ。

奴も言ってたではないか。私が、いや俺が皇帝になるのだと。

ああ、そうだ。


そうだろう?


そ、う、ダヨナ?







次の日の朝、リウリスは混乱していた。

そのきっかけは自分でも理解できていなかった。


哀しみ、悦び、怒り、戸惑い。入り乱れた感情が自分という存在を不確かにしていく。


この状況になった経緯も過程も全て自分の望んだ通りのはず。

それなのに、何でこんな事にと叫ぶ自分がいるのだ。

それは可笑しい。そんなはずはない。

私が間違えるはずがない。

しかし……。

私は……私は……。一体何を?

いや、違ウ。私ハ、俺ハ、俺ハ。

俺ノ価値ヲ理解出来ナイ塵を、始末シタダケダ。


そう、ダロウ?


……アア、ソウ、ダ。


「リウリス様?顔色が悪いようですが如何なさいましたか?医者をお呼び」


心配する執事の会話を切る形でリウリスは答えた。


「いや、俺は大丈夫だ。大したことじゃない」


「俺?ですか?」


「ん?ええ、そうです。少し心境の変化がありましてね」



「そう、ですか。お父上がお亡くなりになってからそうまだ経っておりませんし、余り無理をなされないように」


執事は主人の口調が変わったことに一瞬、困惑した様子を見せたが直ぐに労るように優しい笑みを浮かべた。


「分かってますよ……今、俺が倒れる訳にはいきませんからね」


リウリスはそう笑みを浮かべるがその笑みには何処か陰りが見えた。


その夜、リウリスは太守舘の地下牢に足を運ぶ。

その理由は単純だ。荒れた心を落ち着かせる為に憂さ晴らしをしに行くだけだ。



ランタンを片手に持ち、ある一つの牢獄を照らす。

そこには、ほっそりとした女性が一人踞っていた。

その女性の無様な姿にリウリスは嘲笑する。


「リウリス……」


光に照らされ眩しそうに目を細目ながら女性は答えた。


「気分はどうですかナータ姉さん?」


ナータ・ユーズヘルム。ユーズヘルム家の長女であり病弱な身体の為、部屋から余り出ることがない彼女が本来このような薄暗い地下牢に入れられるはずがないのだが、父であるアリレムラの死因を嘘だと暴きリウリスに反論してきた為、幽閉されていた。


「……最悪ね」


「ふふふ、そうですか? でも俺はいつもそんな気分でしたよ」


「ええそうね、貴方、妹相手にいつもびくびくしてたもの」


ナータにとっては只の昔話。

しかしその言葉を聞いた途端、リウリスの表情が能面のようになる。


「俺がプラナリアに怯えていた、だと?」


敬語で無くなった弟の口調にナータは喫驚するが、直ぐに普段通り優雅な笑みを浮かべる。


「そうでしょ?だから妹がいない今になってこんな事をしてる。妹がこの場にいたら貴方なんて直ぐに殺されてしまうだろうし」



「ふ……ふふふ、いつの話をしてるんですか?ナータ姉さん?今の俺は昔の私とはもう違うのですよ?今の俺には力がある。プラナリアだとしても敵うはずもない力をね」



笑いながらリウリスは手を掲げる。すると、暗がりから異形の者達が姿を表す。


「これは……」


「どうですかナータ姉さん、僕の新しい部下は? 超越した身体能力、人間を超えた再生力、そして命令に忠実。素晴らしいとは思いませんか?」


恍惚な笑みを浮かべるリウリスとは対称にナータは嫌悪感を露にする。


「リウリス。貴方の自信の源がこれなの?こんなおぞましい物で良くそこまで大口が叩けたものね」


「はあ、もしかしてナータ姉さんも父上と同じ考えですか?本当に馬鹿しかいないなこの世界は。だからいつまで経っても魔族との差は埋まらない」 


「周りが見えていない馬鹿は貴方の方……それに結局のところ。他人の威を借りてるだけの貴方に皇帝も太守も無理よ」


「……ナータ姉さん、さっきから、立場は分かっている?」


「私は分かっている。寧ろ立場を分かっていないのは貴方の方。こんな事をしても貴女は王になんてなれないわ。貴方には……才能が無いもの」


「少し、黙って下さい……」


ナータの言葉に怒りを露にし、ナータのほっそりとした首を締める。

以前なら何とも無い事のように流していた話だと言うのにリウリスは我を失うほど怒り狂っていた。


才能が無い?そんな事言われるまでも無く己が一番自覚していた。

何をするにしても後ろについて真似をしてきた妹。その天才の妹が憎くてしょうがなかった。

自分が数年かけて磨いた技術を経った数日で追い抜き、自分の届かぬ高みへと軽々と昇っていく姿を後ろから見て悔しくて涙が零れた。

これが才能の差だと嫌でも理解させられた。


だが、だからと言って認められるはずが無かった。

自分より優れた妹の存在など。


「んっ__」


ナータは苦しそうに顔を歪めるがリウリスの手を退けようと抵抗もしてこない。

それはナータ自身が自分と弟との筋力差を理解しているからこそ、抵抗しても手を払うことは出来ないと思っていたからだが、リウリスからしたら歯牙にもかけられてない気分になり、更に首を締める力は強くなる。それにより気道を完全に塞がられるがナータは抵抗する素振りすら見せず、悲しそうにリウリスを見ていた。


その瞳がリウリスを余計に苛立たせる。


どいつもこいつも分かったような目をして此方を見てくる。

哀れむように愚か者を見るように。

父上も姉も妹も同じようにだ。


ふざけるな。俺は認めない。

俺ガ一番優レテいるのダ。この俺ガ!


リウリスの思考が黒く深く沈んでいく。

この時リウリスは『ナニカ』による干渉を受けていた。


それは人の最も触れられたくない感情に触れ、揺さぶり、理性を壊し、思考を曲げていく呪。



アア、ソウダ。



このままでは窒息死の前に頸椎の骨を折って殺してしまいそうになるが、リウリスはふと良いことを閃いた様で腕の力を弛めてナータを離した。


床に崩れたナータは咳を溢しながら弟の方を見る。

その表情は愉悦に歪み、ナータの良く知る弟の表情とはかけ離れていた。


「けほっ……はぁはぁ、貴方、本当に、リウリスなの?」


「ふふふふふ、ふふふ……はっはっはっはっ!」


「何が可笑しかったの?」


「ふふふ、まさか姉さんが父上と同じ事を言うなんてね……そんなに俺が俺らしくないですか?」


「ええらしくない。貴方は確かに自分より優秀なプラナリアを憎んでいた。けど、それでも、家族の事は大切に思っていたはずよ」


「俺は貴女達に失望したのですよ……あの戦うしか脳のない愚妹を認める貴女達を!だから、父上も姉さんにも罰を与えてやるんですよ」


「それがこれなの?やっぱり貴方、何処か可笑しいわリウリス。貴方は賢い筈……こんな事して太守に、皇帝になれるはずがないって分かっている筈よ」


「ナータ姉さん、俺は、冷静ですよ?何処も可笑しくなんてない。可笑しいのは貴女達なんですよ?私がプラナリアに負けるはずがないじゃないですか?ねえ?」


「……」


ナータは絶句していた。

そして、自分の知るリウリスは既に何処にもいないのだと悟る。


「ですけど、分かりましたよ。ナータ姉さんの心をどう折ればいいのか?どうしたらプラナリアより俺の方が優秀だと理解するのかを」


「こんな事をする貴方を私が認めるとでも?」



「ふふふ、ふふふふふっ。ええ、貴女は認めますよ。間違いなく」


リウリスの浮かべた笑みにナータはびくりと身体を震わす。

ナータにも恐怖心はあった。しかし、だからと言ってリウリスの行いを認める訳にはいかなかった。




リウリスが牢獄から立ち去り、暫く経過した頃。


一人の少女の苦悶の声が地下に響いた。


「っ痛いよ兄様……」


その幼い舌足らずな声をナータが聞き間違える筈がない。


「ファルファラっ!?」


ファルファラ・ユーズヘルム。ユーズヘルム家の末妹である彼女がこの太守館にいるのは当然な事だ。

しかし、この場で幼い妹の声を聞くことになるとはナータは思っていなかった。


ファルファラは継承権を持つ少女であるがまだ7にも満たない幼女だ。それに歳が離れているからかリウリスとプラナリアどちらにも良く懐いており、将来二人の関係を上手く取り合ってくれるのではないかと周囲に期待される程、皆を愛し愛されていた子どもだった。

だから、いくら可笑しくなってしまったリウリスでもまだ子どもであるファルファラにまで手を出すほど腐ってはいないと信じていた。

しかし、ナータのその考えは甘かった。



「ナータ……姉様?ナータ姉様だよね今の声? ねえ、兄様が変なの、可笑しいの……いつもと違うの。痛いことするの。酷い事するの。辞めてって言っても辞めてくれないの……」


苦しそうに呟く妹の声が地下に響く。


「ファルファラっ。大丈夫なのファルファラ?」


既にリウリスは父親を殺してしまった事により完全に歯止めが効かなくなっていたのだ。

父親を殺した直後、彼の胸中は罪悪感、後悔、達成感、優越感。

相反する感情が渦巻き混沌と化していた。 

その己の感情の処理に頭が追い付かず結果、彼は考える事を放棄した。


リウリスの選んだ選択は『思考の停止』。

それは呪術への抵抗に対して完全に無抵抗になると言うことだ。

その結果、彼は沸き上がる感情の苛烈さに身を任せ己の本来求めていたはずのモノとは異なる行動をとってしまうようになっていた。


暗がりから現れたリウリス。そしてそのリウリスに縄で引き摺れる小さな身体。

その姿を見てナータは激昂する。


「リウリスっ!」


リウリスに引き摺られた少女。ファルファラ・ユーズヘルムは小さな身体を縮こませていた。

幼いながら整った顔立ちの妹の頬は殴られて青く腫れていた。



「ふふふ、ふふ……どうしましたナータ姉さん?」



「貴方、妹にまでっ!!うっ!」


ナータ余りの怒りに鎖が付けられている事すら忘れ勢い良くリウリスに飛び掛かろうとして、自分の首を締めてしまう。


「ナータ姉様……痛いの……痛いの……」


ファルファラが痛そうに脚を触れている。

その脚を見てナータははっと息を呑む。

ファルファラのほっそりとした脚は本来なら曲がる筈の無い方向に折れ曲がっていた。

それは強引に折られたこと事が一目見て理解できてしまう。


「勘違いしないで下さいよナータ姉さん。俺だって最初はファルファラに手を出すつもりはありませんでしたから。ただ、こいつが逃げようとするから仕方なく、脚を踏んづけたら折れてしまっただけですよ」


「なら、なんで両足が折られているの?」


「……。もう一本は面倒をかけさせた罰ですよ。子どもは言うだけでは分からないですから」


「なんで?なんでなの?リウリスっ、貴方に一体何があったというの!?」


「何が、ですか?ふふふ、くふっ」


ナータの悲痛の叫びもリウリスは愉快そうに笑うだけだった。


しかし、


「うう……うぅぅ、ひっく」



愉しそうに笑っていたリウリスはファルファラの呻き声を聞き、ぴたりと表情が固まった。


「…………」


「リウリス?」


その唐突の変化に戸惑うナータ。

しかし、リウリスはナータの声すら届いてないようで無表情のまま固まっていた。


「…………」


「うっ……痛いの」


リウリスは表情を変えること無く突然ファルファラの腹を蹴り飛ばした。


「うぅ……兄様」


痛がるファルファラを気に介した様子も無くリウリスはそのままファルファラを何度も蹴る。蹴る。蹴る。蹴る。蹴る。蹴る。蹴る。蹴る。蹴る。蹴る。蹴る。蹴る。蹴る。蹴る。蹴る。蹴る。蹴る。蹴る。蹴る。蹴る。


「リウリスっ!!止めて!!ファルファラが死んじゃう!」


リウリスの奇行にナータが叫びを上げる。

リウリスは文官とは言え大の男だ。その蹴りをまだ幼い少女がまともに受けて平気な筈がない。

骨のおれる音が響く。


しかし、リウリスは止まる事をしない。


只、無機質に繰り返し蹴り続ける。

苦しむ素振りを見せていたファルファラも次第に意識を失ったようにぐったりとしはじめる。


それでもリウリスは止まらない。


「ああ、あああ……止めて……止めて!あぁぁぁアァぁぁぁァっ」


ナータは絶叫と共に必死に手を伸ばす。


しかし、首の鎖が完全に延びきってもまだファルファラには届きそうにもない。


誰か、誰か助けて。その言葉が漏れる寸前に暗がりから一人の少女が姿を現しリウリスの無防備な背を貫こうとする。


殺った。吸血鬼の少女、ルミナスはそう思った。


しかし、リウリスの背を貫く寸前の所で腕を捕まれる。


「いかんないかんな。それはいかんなぁ。これは大事な贄な。殺すのはいかんなぁ」


そう呟きながらどろりと闇から泥が溢れ出し、身体を形成していく。


「くっ!」


ルミナスは自分の特攻が失敗に終わった事を悟る。

ルカリデスに言われ館にまた潜入していたルミナス。

彼女の任務はあくまで偵察。リウリスに手を出す予定は無かった。

しかし、気高い彼女はリウリスの非道をもう見過ごす事が出来なかった。


「貴方、ずっと隠れてましたわね?」


形成された泥人間にルミナスは問いかける。


「隠れていた?違うな。それは違うなぁ。俺はずっとここにいたな。此所は俺で俺は此所。分かるな?」


「___あ?その声はドレットですか?なんですかその姿は?」


先ほどまで壊れた機械のように同じ動作を繰り返していたリウリスであったが泥人間の男が姿を現した途端、人間味を少し取り戻していた。


「あー……これはこういうものだな。気にするな」


「そうか、そうだな」


その泥人形の適当な解答にリウリスは何も疑問を持たずに納得する。

その盲目的信頼は間違いなく呪術による干渉によるものだった。


「やはり、貴方が裏でこの男を操っていたのですわね」


「操る?違うな。私は煽っただけ。心の内を解放しただけな」


にらみ会う二人の魔族。

一方、突然現れた二人の魔族にナータは困惑していた。


「あ、貴方達は何なの?リウリスに何をしたのっ!?」


男は相手にすらしないかと思われたが意外にもにこやかに笑いながら挨拶をした。


「俺な、ドレット。あんたの弟のダチな。宜しくお姉さん」


「リウリスの友達?」


「そうですよ姉さん。彼は僕の最高の友人。ドレット・マクラーレン君ですよ」


「ドレット・マクラーレン?余り聞いた事がない名前ね……」


「それもそうさな。俺な、南東の海の向こうから来た承認だからな」


「海の向こうから……?」


「その男の話は聞かない方が良いですわよ」


ドレットの言葉に戸惑っていたナータにルミナスが間髪入れずには忠告する。

正気を失ったリウリスを見れば、この男が呪術を行使したのに間違いないのだ。

そのきっかけが一体何なのか分からない以上下手に会話をするのは危険だった。

会話がその呪術の前提条件かもしれないのだから。


しかし、ドレットは柔和な笑みを浮かべ、距離を詰めてくる。


「そりゃあ酷いな。何をしたって言うんだ。俺な、いい人なんだな」


「どの口が言いますのかしら……」


距離を詰めてくるドレットに対してルミナスは同じように後ろに後退りする。

ルミナスは自分の状況がどれほど追い込まれているか理解しているつもりだった。

リウリスの暗殺が失敗した以上、逃げ出さなければならないのだがこのドレットと名乗る男とは天地がひっくり返っても勝てぬ実力さがあった。


それにこの男、一見ほんわかした態度だが、全くといって良いほど隙を見せない。

優しげな眼の奥には敵対者を射ぬく鋭く冷徹な視線がルミナスに向けられていた。


「ドレット、その女は一体誰ですか?俺たちの敵対者?のようですが……」


「さあてな。俺も分からんなぁ知らんなぁこんな女……と言うわけでな。誰なんだあんた、な?」


「私ですの?私は吸血鬼ですわ」


その返答によってドレットの雰囲気が変化する。


「……それだけでいいのな?」


先ほどまでは一切感じられなかった殺意。

それが明確にルミナスに向けられていた。

ああ、これは死にますわ。とルミナスは思いつつも。


「……」


何も返事を返すことはしなかった。


「そうか、死にな」

泥で形成されたドレットの腕がルミナスに向けてつき出される。



直後、轟音が響く。

大地が砕け、壁が軋み割れる。


「なっ…」


ドレットは柔和な笑みを崩し、驚愕で目を開く。

しかし、直ぐに冷静にその音源、天井を見上げる。

天井は軋み、裂け。

その視界に映るは一人の鬼。


お互いに視線が交差する。

ドレットは周囲の壁を取り込み、天井を破壊し降って来た鬼に対して防御体制をとる。

一方、赤鬼は落下する勢いで拳を降り下ろした。

またしても轟音が響き渡る。


弾け飛ぶ土片。舞い上がる木屑。


一人の鬼、ルカリデスはルミナスのすぐそばに着地した。


「間に合ったか」


「ほんとぎりぎりでしたけど」


「悪かった……タイミングを合わせる必要があったんだ」


「もしかして、私のせいで狂ってしまったかしら?」


「いや、一応問題ない。勇者鎌瀬山のとこのちびっこ達が思いの外協力的でな」


ルカリデスが言うちびっことはクルムンフェコニは当然だが、ニーナ達、強化人間の子ども達のことだ。

彼らの協力の元、リウリスが新型強化兵士と呼ぶ化け物達を討伐している。


「あ、貴方達は一体?」


ナータが事態の変化を読み込めずに困惑した


「この二人が娘さんか?」


「ですわ」


「あんたらには悪いが事情は後だ。まずは俺らと逃げてほしい」


「へ? え? あ、はい!」


床に倒れているファルファラを軽く担ぐ。


「あら、戦わないのですの?」


「いや、あれと殺り合うのはちょっとな」


人の姿をしていたはずのドレットの身体は泥々に崩れ始める。


「逃げれると思うな?此所は俺の中……」


ドレットが手を翳した瞬間、地面が胎動した。


「土の魔術か!?」


発動のモーションを見せる素振りすらなく、大地が蠢きルカリデス達を取り込もうと津波の如く迫り来る。


「ちっ!」


四方を囲まれたルカリデスは叫ぶ。


「ルミナスっ!頼む!」


ルカリデスの狙いを理解したルミナスは翼を広げ、ナータとファルファラを抱き抱える。

そして、即座にルカリデスが突き破って来た天井に空いた穴から脱出する。


地下牢に残るはドレッド、ルカリデス。


「やっぱ、やるなお前、あー結構楽しめそうだ」


「こっちはうんざりだがな……」


ルカリデスは溜め息を吐きながら拳を構えた。

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