第72話ユーズヘルム州の平穏な日々

 



 ユーズヘルム州。太守の館。

 その館の主であるアリレムラ・ユーズヘルムは館の中央に位置する寝室にいた。

 バスローブを羽織り、机の前に鎮座する椅子に身体を預ける。

 既に初老と言っても良い歳であるが、その鍛えあげられた肉体からは歳を微塵にも感じさせなかった。


「……こんな時間に来客か。用件はなんだ?」


 アリレムラはため息混じりにそう呟いた。

 薄暗い部屋中に自分以外誰一人見えないはずだ。

 しかし、アリレムラの注意は何もない暗闇、そこに向く。


「あら。気づかれてしまいましたわ。私、これでも夜の王なんですけど」


 問いかけに答えるように一人の少女が暗闇から姿を現す。

 アリレムラは姿を現した相手に背中を見せながら僅かに視線を向けた。

 つい先程まで見えていなかった事が不思議に思わずにはいられないほど目立つ金の髪、そして紅い瞳。


「魔族……となると皇帝の差し金か?」


 皇帝のここ最近の不自然な行動。

 若かった頃の彼とは似ても似つかぬ所業、帝国の異変。

 その全てを持って皇帝が狂ってしまっていることを感じ取り、その背後に魔族の影を薄々は感じていた。

 故に、皇帝側の魔族がこうして暗殺をしてきたとしても不思議ではない、と言った考えだった。


「いえ違いますわ。ところで何故私の気配に気がつけたのか教えて頂いてもよろしくて?」


「戦をしていると気配に敏感になるものだ。たとえ魔性の類いだろうと近寄れれば気づいてしまう。それだけの事だ」


 大したことではないと話すアリレムラに少女は驚愕する。

 闇の王たる吸血鬼の種族特性を人間相手にそんな風に破られるとは考えてもいなかったからだ。

 なんて常識外の男だと思いつつ、少女はため息を溢す。


「はあ、能力スキルすら使わずに破られるなんて屈辱な話ですわ」


「これでも私は帝国の州を守護する太守でね。そこらの者とは断じて違う」


 弱肉強食の傾向が強いこの帝国で州の太守を任せられているこの男が弱い筈が無く、当然そこらの魔族におくれをとるはずがない。

 経験と実力に裏付けされたその言葉には確かな重みがあった。


「しかし、皇帝の差し金でないとなると、プラナリアの差し金と言うことになるが問題ないか?」


「あら、また驚かされてしまいましたわ」


 口ではそう言ったものの少女には見抜かれた事に対しての動揺は一切無かった。

 バレても何も問題ない。それだけの自信がこの少女にはあるということか。

 アリレムラは警戒心を高め、椅子から立ち上がり少女の方に振り向く。


「今の状況で私の命を狙う者など、皇帝かプラナリアしかおらん」


 素手で殺れるか。

 アリレムラは魔族の少女と対峙し、そう判断した。

 油断している訳でも舐めている訳でもない、長年の経験から研ぎ澄まされた感覚が被我の実力差を把握出来たのだ。

 しかし、少女が次に発した言葉によってそや警戒が打ち解ける。


「まあですけど、私今回は忠告に来ただけですの。元々私達はこの作戦に乗り気ではありませんし」


 そう少女はつまらなさそうに告げた。

 そして、そのままくるくる回りながらベットにぺたりと座る。

 少女の言葉を真に受けるか迷ったアリレムラであったが、少女の様子を見て、身体の力を抜いた。


「ほわざわざそんな事の為に姿を現したのか。私に警戒されるリスクを考えなかったのか?」


「隠れていたのを貴方が気づいたんじゃないですの。それに考えた上でどうにかなると考えましたわ」


「そうかなら、有りがたく忠告を聞かせてもらおうか」


「そうですわね。選択肢は幾つかあるのですけどやはり此方のおおすめとしては太守の座から降りて貰うことですわ。いかが?」


「ふ、はい分かりましたと太守を辞められるほどこの立場は軽くないんだよ」


 自嘲気に話すアリレムラ。

 少女も始めから断られるのは予想がついていたのだろう。

 特段、驚く様子も見せない。


「その返事はノーと受けとりますわ」


「因みに忠告を断った訳だが殺り合うか?」


「いえ、しませんわ。因みに実の娘に命を狙われているお気持ちを聞いても宜しいですの?」


「……私はこの世界が弱肉強食である事は認めているのだ。だから、私の席を娘が奪おうとしても構わないのだ。だが、譲る気はない。娘に夢があるように私にも夢がある」


「聞いていた話ですと弱者を救う優しき太守でしたけど、弱肉強食を認めていたのですね」


「それは事実だからな。事実を認めない程、私も頑固ではない。強き者が弱き者を餌にするのはこの世の真理だ。私はそんな世界の中、這い上がってきたのだから隠しようがない。だが、だからといって全ての人がその真理通り生きる必要はないだろう。不変の事実であろうと本能であろうとそれに逆らうのが人間なのだ。我々は獣ではない、理性を持った人間なのだと」


「つまり、貴方は弱肉強食が事実だと認めてはいるけどその事実を否定したいのですわね」


「矛盾していると思うかも知れんがそう言うことだ」


「いえいえ、立派なお考えだと思いますわ」


「……驚いた。魔族に誉められるとは思わなかったな」


 自分の理想が魔族に認められるとは思いもしなかったのだろうアリレムラは驚いたように眉を上げる。

 そんな反応をされた少女は不満そうに瞳を細める。


「良く思うのですけど、貴方達は魔族の事を野蛮人のように思いすぎですわ。魔族もですわよ。ですけどまあ、魔族に好戦的な者が多いのも事実ですし、私も世間一般でいう魔族と少しずれていますけども……」


「そうなんだろうな。貴様は私の知っている魔族とはだいぶ違うようだ。しかし、それも仕方のない事なのだ。魔族は位置的な都合で出会うことがあるのは竜人が大半だ」


 現在、竜人は人族を滅ぼすのに躍起になっている魔族だ。

 既に10近い国を落とされ、支配され、領土的には既に人族は囲まれてしまっている。


「長年、人の国を滅ぼし、対話より先に手が出るような奴等しか知らぬ我らとしては魔族とは野蛮な奴でしかない」


 しかし、武力に関しては人は魔族に大きく劣っている。

 だから、勇者召喚が行われたのだ。

 武力には武力で対抗するしかないと。

 そんな人族からしたら魔族は全て蛮族だと思っても仕方がない事だろう。

 そんなアリレムラの言い分に対して一応竜人についてのフォローをいれる魔族の少女。

 それは己達の団長が竜人だからだろうかしっかりとした所は分からなかったが、なんとなく反論せねばと思ったのだろう。


「今の彼らが好戦的なのは魔王が変わったからですわ。確かに彼らは戦いが好きで好きでしょうがない人が多いですけど、誰彼構わず殺すような種族ではないですの」


 彼女がそう言えるのは彼女自身が魔族の中では強い部類に入るからであろう。

 実際はアリレムラのいう通り魔族には好戦的な種族が多く、人より弱肉強食の傾向が強いのは事実だ。

 しかし、魔族の長である魔王の影響は無視できるほど小さいわけではない。

 現に竜人の魔王が入れ替わるまで大規模な侵略は一切無かった。

 そう考えると今代の魔王の影響を強く受けているとも言えた。


「新しい四大魔王の一人か……」


 アリレムラは不快そうな表情を浮かべた。

 ここ数年の魔族との戦争は全て魔王グラハラムによって引き起こされたモノが大半だ。

 少し前までは人族の生息圏内に少数で暮らしていた魔族との争いが度々起きる程度であったのだが、魔王グラハラムが竜人族の魔王に即位してからは毎年数10万を超える人間が死んでいる。

 その結果、大多数の人間がグラハラムの事を嫌悪、憎悪しており、アリレムラもその一人だ。


「あの魔王は私達穏健な魔族からしたら良い迷惑ですわ。獣人も幻想種も、悪魔種もピリピリしてますわよ。ふう、少し長話してしまったかしら、忠告はしたわ後はお好きに」


 少女はうんざりとした表情で溜め息を吐いた。

 そして、話はこれで終わりと言わんばかりにベットから立ち上がり暗闇の方へ歩いていく。


「一ついいか……今回の件に魔王グラハラムは関わっていないか?」


 その質問に少女は踵を返してくるりと振り向いた。


「今回の件?貴方の暗殺にということかしら?」


「いや、違う。皇帝、ひいては帝国事態の暴走にだ」


 帝国の暴走。それは皇帝により引き起こされたモノである。

 帝国勇者の影響を受けたと言う者もいるが、それは違う。

 帝国勇者が召喚されるずっと前から帝国は狂い始めていた。

 その始まりはいつだったのか分からないが狂いだした歯車はさらにズレていき、今に至る。

 既に帝国は後戻りすることの出来ない状況だ。



 しかし、ここまで可笑しくなったのは何故なのか?

 魔族。主に、今現在公国を脅かしているグラハラム。

 仮にそれが囮なのだとしたら。真の狙いは、帝国を内部から突き崩すことだとしたら。

 それが本当に関わってきたのなら話が変わる。

 しかし、アリレムラの期待した答えが返ってくることは無かった。


「んー、可能性としてはあり得るかも、程度?申し訳ないけど私も余りそこら辺は詳しくないですの」


「……そうか。忠告は一応感謝する。次合間見えた時は敵同士か」


「それはどうかしら?」



 少女は影と同化し姿を消した。





 ________________。

「どうだった?」


 血色の瞳をした男は姿を現した金髪の少女に尋ねた。


「駄目でしたわ」


 金髪の魔族、吸血鬼であるルミナスがそう答えた。


 その返答を聞いた男は赤黒い腕を組みながら、


「そうか……」


 とだけ呟いた。


「ですけど、話の通じる方でしたから死んでしまうのは惜しいですわ」


「それは……つまり予定を変更したいと言うことか?」


「いえ、予定通りに様子見しますわ。知恵が回り自分で考え動ける人物は非常に貴重ですけど、目指すべき理想が異なるならいずれ障害になりますし」


「意外だな。あいつの考えに賛同していたのか?」


『あいつ』それが誰なのか言うまでもないだろう。

 誰よりも傲慢で誰よりも尊い意思を持つ者。

 その男の理想に彼らは惹かれた。だから、この場に残っていた。


「貴方もそうでしょ?だからここに未だいる」


「まあ……もううんざりだからな。殺すのも殺されるのも……のんびり暮らすのが一番良い……って何笑ってんだルミナス?」


 そんな男の返答を聞いてくすくすと笑うルミナス。

 その笑みは楽しいというより安堵に近い笑みだった。


「そっちの方がやっぱ貴方らしいですわ」


 男は、ルカリデスは捻れた角をとんとんと叩きながらどう反応を返せばいいのか分からず、わざとらしくため息をついて話を反らした。


「はあ、話を戻すけど、万が一生き残ったらどうする?」


「そうですわね……生き残ったとしても表舞台からは消えて貰う必要はありますわよね?」


 男は暫しの思考のすえ、答える。


「……まあ、それが指示だからな」






 明朝、太守館に一人の男が現れた。

 男の名はリウリス・ユーズヘルム。

 アリレムラ・ユーズヘルムの一子にして太守を引き継ぐ青年だ。


「父上、ただ今戻りました」


 リウリスは太守館に着くや直ぐに執務室に向かい、父であるアリレムラに今回の任務の報告をし始めた。

 リウリスが今回行った事は隣国である都市国家カンナベルグに使者として赴き、貿易問題で荒れていたノコノコッチ州とカンナベルグの間に入り調停を行う事であった。

 これは両者の陣営が公平で知られるアリレムラ・ユーズヘルムにこのいさかいを納めてほしいと考え依頼された案件であり、次期太守として経験と実績を積ませるためにリウリスに任せたものであった。

 結果として数ヶ月近くかかってしまったものの二者の和解は成立し事態は終息した事をリウリスは報告した。


 報告を聞いたアリレムラは息子が立派に務めを果たしてきた事を嬉しく思い、満足そうに頷く。


「うむ。任務ご苦労だったカンナベルグもノコノコッチ州もどちらも厄介な相手だったろう?」


 アリレムラはリウリスからカンナベルグでの詳細を聞こうと話を振るがリウリスはその意図を理解しつつも無視し、今の帝国の状況を尋ねた。


「いえ、そんなことは。それより、武力蜂起した話は本当ですか?私は何度も止めたはずですが」


「お前のいない間に事を進めて悪いとは思っている。だが、これは私がしなければならない事だったのだ」


 アリレムラは申し訳なさそうにそう呟いた。

 しかし、今の帝国の情勢下で次の世代に負の遺産を託すわけにはいかないと考えており、己が動ける内にこの乱れた治世を正しておきたかったのだ。

 それ故の行動。しかし、その考えを理解している筈もないリウリスは不満そうな表情を浮かべながら、提言する。


「ですが、革命するにしても早急すぎたのではないのですか。それにプラナリアが軍を率いているそうですね?何故、私が戻るまでお待ちしてくれなかったのですか!?」


 リウリスの不満は最もであった。

 自分がいない間に勝手に話が進み、しかも妹であるプラナリアが大将として軍を率いているのだ。

 この案件が終われば俺が太守だと意気揚々とカンナベルグに向かい、そして帰ってきたリウリスにとって見れば寝耳に水であった。


「落ち着けリウリス。おまえの憤りは理解できる。私も本来なら、リウリスを大将にすえ、プラナリアを下につける考えだった」


「なら……何故ですか?」


「タイミングの問題だ。帝国最強の男である勇者・不動青雲がおらず、一時的にだが王国勇者が戦力に加わった。考え得る限りでも絶好の機会。一秒でも惜しかったのだ。今この時を逃せば革命は失敗すると」


「……」


「元よりお前は文官だ。今回の革命でわざわざ前線に出る必要はない。戦事はプラナリアに任せておけばいいのだ」


 確かに父の言う通り荒事はプラナリアの方が向いているだろう。それはリウリスにも分かっている。

 妹は武力に関してはこの州で右に出るものがいない程なのだから。

 しかし、今回の戦には。この革命には、あの妹を大将の座に座らせてはならなかった。


「……それが」


「ん?どうしたリウリス?」


 下を向きながらぼそりと呟くリウリス。

 その言葉を聞き取れなかったアリレムラは聞き返すが。


「いえ、何でもありません。長旅で疲れてしまったようなので今日はもう、休ませて頂きます」


 リウリスは顔を上げて笑みを浮かべそれだけ伝えると部屋を退席しようとする。

 アリレムラはそんな息子の背にゆっくり休むといいとだけ伝えると机に視線を戻した。


 そう告げられた息子がどんな表情を浮かべているのか気づきもせずに。



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