第70話幻想種



ウルール・カイドールには分からなかった。

この男がこの状況下で楽しそうに笑みを浮かべていられる理由が。精神性が。神経が。


倒壊した建物。

その合間合間から混乱し逃げ惑う民衆。

その直ぐ背後には異形な姿へと成り果てた人々。

彼らに既に人の心は一欠片も残っておらず、同族であったはずの味方を襲っているその光景は正に悪夢。




その光景を見て、この男は、この勇者は笑った。

小さくではあるが口角を上げ、確かにそう見えた。


「面白いね。まさかここを潰しに来るなんて。州都を向かう時点で彼方には気づかれていたはず。それなのに尚、タブルクを狙うとは思っていなかった」


都市タブルク。

州都の近郊に位置する大都市であり、太守であるデモナーレが逃げ延びた場所。

太守が狙いであるなら次にここを狙うのも可笑しくない話だ。


しかし、彼の言う通り。

今この場には勇者がいるのだ。

彼方もそれに感づいている様子はあったし、現に妨害もしてきた。


それほど警戒していたと言うのに、敵はその勇者がいるこの場所を次の標的としたそれが理解出来ない。



「敵の狙いが読めませんね……しかし、既に霧によって幾人もの人が化け物に姿を変えはじめています。早急に片付けないと被害は拡大する一方かと」


太守デモナーレとパルマ市長と会談している最中、それがおよそ10分前の話。

その後、直ぐに事態の収拾に協力する為に外に飛び出した。

その時点で霧が発生してからだいぶ経過してしまっている。


「まあ協力するつもりだけど、余り僕が出来る事は無いかな……この霧に対しては太守達が対応するだろうし」


「ではどうされる気ですか?」


「今のところは特に。まあ敢えて言うなら観察かな」


「観察……ですか?」


ウルールから見たこの勇者は一見まともに見える。

しっかりとした言葉遣いを使い、常識人的発言をする。

帝国勇者とは程遠い、勇者としての振る舞い。

しかし、それが表面的なモノでしか無いことをウルールは理解していた。

ふと見せる彼の仕草や言動が常人とは異なる精神性を露呈させ、彼が一瞬人なのか悪魔なのか分からなくなる。

そんなウルールの考えが表情に出てしまっていたのか太郎が言い訳を口にする。


「別にこの光景が面白いから観察している訳じゃないよ。上空から霧の発生箇所。風の流れを読めばこれを仕出かした相手の位置をある程度特定出来ると思ったんだ」


「そんな事が可能なのですか?」


「まあ、運が良ければ出来る程度なものかな。そもそも霧の発生させ方が分からないからね」


太郎は自信なさげに答える。


それをウルールは嘘だと認識していた。

今の返答は一見、自己評価の低い謙虚な人間に見えるかもしれない。

しかし、彼は誰よりも己を信じ、己を評価している。

言うなれば傲慢の化身。それがウルールの太郎の評価でもあった。

そしてウルールは彼がその傲慢さに釣り合う確かな実力があるとも理解している。


だから、彼はきっと直ぐに敵を見つけるだろう。


「やっぱりね。ウルール、少し出てくるよ」


ほら、とウルールは内心で思った。


「どちらにですか?」


「あっちだね」


そう指を指す方向はまだ霧が発生していない方向だ。

けど間違いなく、彼は敵の位置を把握したのだろう。


霧の流れだけではその方向に行く理由がつかない。

つまり、彼は私に説明したそれ以外のモノも見ていたのだろう。

しかし、それを彼は口にする事はしなかったし、現になお、私に説明をしようとしない。

それは彼にとって他人は駒でしかないということなのだろう。


勇者はどいつもこんなものなのか、とウルールは思うが、直ぐに思考を取り払って太郎に頷いた。



「分かりました私は市長たちと合流しようと思います」


「用がすんだらそっちに向かうよ」


それだけ告げると太郎の姿はウルールの前から瞬時に消え去る。








太郎は建物上を飛び交いながら、目的の場所を目指し駆けていく。

目的地近くの屋根の上に飛び乗った太郎はあたりを見渡した。


そこには小さな門があり、多くの民衆が外に逃げる為に詰め寄っていた。

皆、手には貴重品を握りしめ、今か今かと外に出るのを待ちわびる。

中には馬車や竜者を持ち出している者もいた。


中には怪しそうな風貌をした者も何人もいた。

しかし、太郎はそれらに気にかける事をせず、別のモノを探す。

探しているのは馬車、竜者といった荷車だ。




今街を覆っている霧の量からして敵が使っている道具はかなりの質量なはず。

それを動かすにも持ち運ぶとしても荷車は必ずし必要になる。

だから必ず何処かにあるはずだった。


それからすぐ、門から少し離れた所に馬車が何台も停められているのを見つけ、その場所に飛び下り、馬車の中を開く。

中は空っぽで何も積まれていなかった。


しかし。


「ビンゴだ」


からっぽの荷台の床は大きく突き破られており、その下の下水道に繋がっていた。


州都の次にタブルクが狙われた理由。

それは無数に考えられる。

その中で可能性が高いのは。

第二の州都として発展しているという点。

太守がいるという点。


この二つだろう。

しかし、断定には至らない。

だから別の視点で考える必要があるのだ。



まず、蠱毒の血を使われた強化薬を改良したものであるのなら、物理的な制限がまず存在する。

これだけの広範囲に霧を散布する為の多量の強化薬、それに器具が必要だ。

それを持ち運ぶには時間がかかる上に、警戒体制になれば貨物のチェックもされるとすれば既に持ち込まれていたと考えるのが妥当だ。


そして次にそれだけの物量を誰にも気づかれずに街全体に張り巡らせるにはどうするか?


街全体にあり、ある程度の広さを備え、誰にも見られない場所が必要だ。


そんな都合の良い場所あるはずがないと思うが、州都とタブルクにだけは存在していた。


それは下水道であった。




都市として発展しており、インフラ設備が進んでいて人口も多く、物資の流通が激しい為に関門の検査も甘い。

そんな第二の州都であるから敵はここも狙っていたのだろう。



そんな事を考えながら、太郎は地面に空けられた穴に足を踏み入れ地下水路に潜り込む。


「ひどい臭いだな」


下水の臭いに太郎はうんざりするもかつかつと音を立てながら地下水路を歩く。


「ッ!!」


そんな太郎の背後に一体の化け物が闇に紛れ、爪を降り下ろした。

当然、降りた時点でその気配に気づいた太郎は身体を反転しつつ軽く避ける。


そして虚空を切り裂いたその一撃を見下ろしながら、腕を降り下ろす。

その一撃で脊髄を撃ち抜き、異形の化け物を地面に叩きつけた。


「ウラァ……コカカッ……」


言葉になっていない奇声をあげながら化け物は起き上がる。


「背骨を砕いても動くか」


起き上がった化け物を見ながら、太郎はそう呟く。

ふらつきながら立ち上がった化け物と同様に太郎に視線を向ける。

その身体は既に再生仕掛けている。

細胞の超活性による瞬間再生で撃ち抜かれたはずの肉体は瞬く間に回復していく。

普通ならその殺しても切りがない存在に恐怖し、困惑するモノだが、太郎はその化け物の別の点に興味が湧いていた。



「君、理性があるみたいだね」


「コカカカッ……」


それに応えたかのように化け物は後ろに飛び去る。

そして、胸部から異常に発達した肋骨を伸ばし、太郎を囲むように迫る。


それを異にも介さず、太郎は蹴りを撃ち込む。

当然、後ろに飛び退いた化け物にその蹴りが当たるはずもないが、悪の体現者として圧縮された高密度な生命体の一撃は魔素を含み、そして大気を震わす圧となって化け物に直撃する。


見えない一撃によって伸びた肋骨は根元から砕け、直撃した胴体は壁に強く打ち付けられる。


「コカアァッ!」


しかし、地面に倒れおちた化け物はやはり直ぐに身体を起こす。


「何度まで再生するのか興味はあるけど」


右腕の刻印から溢れ出る『暴食』の化身が獣の頭部を形成する。


「喰らえ暴食」


凝縮された黒点アーテルで構成された獣の頭部が太郎の腕から放出された。


化け物は大きく開かれた竜の口に肉体を裂かれ、咀嚼されていく。


ペットに餌を与えているような感覚を覚えつつ、太郎は通路奥の暗闇に視線を向ける。


いつのまにか、暗がりから赤い瞳が幾つも輝いていた。


「キキサキサマ、勇者ヵカ?」


その暗がりから一人の化け物が姿を現す。


六本の腕を生やし、皮膚は青黒い。

額には昆虫の触覚のようなものが二つ。

その姿は今まで見た化け物と違い、魔族の見た目に近かった。


「まあ、そう呼ばれてるけど。君は?」


「クカカッ…、勇者ヵ、クカカヵヵ、面倒ナコトダ」


「此方の質問には答えてくれないか」


「クカヵ、失礼、ナムラクアイ」


「ナムラクアイ?」


「私ノ、名ダ……カツテノナ」

 

「そうかナムラクアイと言うのか。で、君と会話が出来ていると言うことは、強化薬の制御は出来るようになったと言うことかな?」


「クカカカッ、コレヲ、知ッテイルカ……クカカ、流石、勇者ヵ、ソウダ、我々ハ魔族ニ対抗スル力ヲトウトウ、手ニ入レタノダッ…クカカヵッ」


「それは素晴らしい事だ。それで一つ質問なんだけど」


「ナンダ?我々ノ狙イカ?クカカッ…答エルトデモ?」


「いや、それはどうでもいい。気になっているのはやはりその強化薬では人の姿を維持したまま力を制御することは不可能なのかな?どいつも人の肉体を放棄した化け物しかいないから興味があるんだよ」


「クカ、クカカカカヵヵッ!ヤハリ勇者ハ変ワッテイル……」


「失礼だね、僕はまともな方だよ」


「クカカッ、元来ノ肉体ノ強サ。ソレニ依存スル……私ガ知ッテイルノハソレダケダ」


「つまり、肉体が頑強な勇者であれば人の姿を維持したまま強化出来る可能性があるということか」


もしくは、ルカリデスのような例外か。

太郎の脳裏には、クルルカと共に戦場に送った一人の魔族の顔を写し出そうとするが……興味が無くあまり覚えていなかったため、思い出すのを諦めた。


「クカ、勇者ヨ、血ニ興味ガアルノカ?此方ニ付ケバ融通ガ」


「結構。それよりもう満足したから殺り合おうか」


「殺ル気カ? ナゼ?」


「君の知性がどれだけあるか確認したかっただけだからね。雑談は終わり。知りたいことは後から君の身体で調べさせて貰うさ」


「クカ、傲ルナヨ勇者……私ノ肉体ハ、クカカヵ、人ヲ超エタ生命体デアルゾ」


「傲っているのはどっちかすぐわかると思うよ」


瞬間、交差する二人。


結果、初撃での打ち合いに勝ったのは太郎であった。

ナムラクアイの六本あるうちの一本をもぎ取り、無造作に投げ捨てる。


「クカカッ…速イ速イ」


「だろうね。確かに君の速さは人間にしては上々だよ。けどそれでも、勇者には遠く及ばない」


「クカッ」


先程と同じようにされど先程より更に速くナムラクアイが太郎に迫る。


「おっと……」


それに対して太郎は横にステップを踏み、なんなくと避ける。


今の速さは先程の1.5倍程度といったところだった。

確かに急激に速くはなったが、それでも勇者には届かない。

もし勇者に一撃入れたいのなら今の倍の速度は必要だろう。


太郎はそう分析しながら、ナムラクアイの方を見る。

ナムラクアイは避けられる事は想定済みだったようで表情に変化は見られない。

しかし。


「速サガ足リナイヵ」


そう呟いたかと思うとナムラクアイの身体が変質し始めた。


5本の腕は複雑に曲がりながら一本の大槍に変形し胴体と一体化していく、そして次に上半身は細く洗練され、下半身はより太く強靭に変貌していく。


その一槍の槍に変質していく様はさながら、急激な『適応』であった。


より速く、より鋭く。

眼前の敵を貫くために最も最適な肉体への変質。

その急激な変化にどれ程の負荷が身体にかかるのか分からないが、そう何度も使えるモノではないのは苦しそうするナムラクアイをみれば一目瞭然だった。


「クカッ」


刹那、閃光が走る。


変質したナムラクアイの最速の一撃は太郎の心臓目掛けて撃ち抜かれる。

その速さに太郎は避けるのは厳しいかと悟る。

元々太郎は速さに秀でたタイプではない。

速さだけで言うなら、英雄王の方が速い。

なら太郎の優れた点は何なのかと言うと、それは圧倒的な膂力、そして耐久力であった。

だから太郎は避けられないと判断した時点で真っ向からナムラクアイの一撃を受け止める。


衝撃が太郎達を中心に響き渡る。

下水道として使われる地下水路はそれほど耐久性があるわけではないので辺り一面に亀裂が入る。


ナムラクアイは片腕で槍を止められた事が愉快なようで笑みを浮かべる。


「クカカッ、クカカカカッ…遠イイナア。勇者トハコレホドカ」


亀裂が入った槍から身体全体にひび割れが広がっていく。


「これは……」


「クカカッ…限界カ」



速さと貫通力。

その二つにのみ焦点を絞り、肉体を削り、磨き、高める。

その一撃は、確かに勇者に届き得た。

太郎はそう確信する。


だが。


強化薬、それが勇者の力を元に造られていることから勇者に匹敵する力を手に入れる事は可能かもしれない。

しかし、その勇者の力を扱うには人間の身体は脆弱すぎた。

結果、自分の肉体を超えた一撃を放ったナムラクアイは肉体の崩壊を起こし始めていた。


「ナルホドナ。油断シテイルヨウニ見セタノハ表装ダケカ」


「……さてどうだろ?」


太郎は『暴食』の権能を発動する。

右腕の刻印から黒点が溢れだす。


「喰ら____」


太郎は言葉を言い切る前に黒点を周囲に展開し、防御体制を取った。


それと同時に薄蒼い焔で地下水路を焼き焦がした。


ナムラクアイは予め知っていたように後方に飛び去り、そのまま撤退していく。

それに付き従うように潜んでいた他の化け物達も逃げていく。


「クカカッ、貴様トハマタ会ウダロウ。ソノ時ガ貴様ヲ貫ク時ダ」


「『暴食』全てを喰らえ」


防御に展開していた暴食を最大限広げ、地下水路を埋めるほどの黒点が濁流の如く焔を喰らいながらナムラクアイ達に襲い掛かった。


しかし、その攻撃は突如壁にぶち当たったように弾け霧散する。


「こんにちは。怪物さん」


現れたのは齢20代前半の女性であった。

その女性は、頭に一角の角を生やし、全身は薄蒼い炎に包まれている。柔和な雰囲気を持つその魔族の女性は、太郎を柔らかな瞳で見つめた。


太郎はその姿を一目見て、理解した。



「君が、幻想種か」


「貴女、博識ね」


魔王を有する四つの魔族の一つ。

元来、魔族にも寿命があり魔王は世襲制であり人族とそう変わらない。

だが、魔王を要する所属で1種族だけ例外が存在する。

それが幻想種。

最古の魔王が存在し、寿命の概念が存在しない生命体。


故に、魔族内では最も個の戦力を保有する魔陣営。



太郎の思考は動く。

個体数は少ない半面、全てに置いて他生物とは一線を超えた生命体か。

確かに感じられる威圧感は今までの中で一番だ。

これは様子見なんてしてる場合じゃないか。


太郎は始めて自身を脅かす虞がある相手を前にして、警戒を最大限引き上げる。


暴食を高濃度に集中させ、黒き大剣を生成する。



しかし、それを見た幻想種の女性は首を左右に振り、静かに言った。


「今の貴女と戦うつもりはないの」


「それは困るね。折角会えた大物を簡単に逃がす訳にはいかないよ」


明らかに勇者に匹敵、あるいは超える力を持つ相手。



「慌てなくてもまた会える。今じゃないだけ……」


それだけ告げると女性は片手を前に掲げる。

その瞬間、急激な魔素の放出を感じとる。

それはまだ発動していないと言うのに数千人分の魔素量をも超えるエネルギーであった。


常人なら消し飛ぶであろうその余波に髪をたなびかせながら、太郎は黒点を霧散させる。


「ならしょうがないか」


それだけ呟くと黒点で地面を突き破る。

そして、地上に這い出た黒点で女性を覆い囲む。

あれだけの魔素だ。

周囲にも甚大な被害を被るのは目に見えていた。

だから太郎はその被害を抑える為、黒点を防御に回していた。

その太郎の考えを分かっているのだろうが目の前の女性は気にした様子もなかった。


「私の今の主は勇者・九図ヶ原戒能。名は、ユニコリア」


「僕は東京太郎だ」


「怪物さん、さようなら」


その言葉と共に奇跡が発現する。

それは焔の魔法。

一瞬の静寂の後、圧縮した蒼き光が暴発した。

それは覆っていた『暴食』を突き破り、天上にまで轟く業火の一撃であった。

大気の空気を瞬時に消費し、焔はより強く燃え上がる。


そんな天高くに舞い上がった焔の中から一人の影が炎の外へ飛び出した。

それは当然、太郎である。


僅かに服は焦げていたが、相も変わらず傷を負った様子もなく、地面に着地する。


そして燃え上がる炎を見てため息を吐く。


「これは嫌な流れだな……」

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