第65話迷い


 帝国勇者・音ノ坂芽愛兎。


 勇者でありながら、およそ戦闘向きではない能力と身体能力。

 それらは帝国では知れ渡り、同じく戦闘向きではない概念能力の呂利根福寿よりも遥かに弱いことが帝国内では知れ渡った事実だった。


 確かに、革命軍の一般兵からすれば手の届かない実力ではあるが、勇者としてのカテゴリーで見れば落ちこぼれである芽愛兎に、本心ではない心の奥底、僅かな見下した感情があるとしても、仕方のないことだ。


 それは、Sランク冒険者であるアムルス・シェリアも同様だった。


 魔術を学び自らを鍛え限外能力を会得した彼女は努力でこの地位まで上り詰めた。

 齢20代前半でSランクになった彼女は、自他ともに認める天才だ。


 だからこそ、音ノ坂芽愛兎に自分から話しかけたり、それこそ妹と重なる彼女の世話を焼いた。

 彼女の中にあったのは見下した感情ではない、否、それは芽愛兎が頼りないからこそ、その不安を払拭する様に彼女に接した。


 芽愛兎に触れて、背中を預ける彼女の事を知りたかったのもあるし、安心したかったのもある。


 けれど、彼女と話した印象は、まだ年端の行っていない少女だった。


 自らの理想の正義の元革命軍に協力し、けれども、来た道が正しかったのか迷うような素振りを見せる。

 確かに、言葉に彼女はそれを出すことはしなかった。


 けれども、アムルスは感じ取ってしまっていた。

 音ノ坂芽愛兎という勇者は良い意味でも悪い意味でも純粋で、それでいて被害者なのだと。


 現在帝国を牛耳る悪鬼羅刹の帝国勇者。

 そんな存在と共に召喚された彼女が変に歪んでしまうのは当然の事、歪んだ結果、彼女が選んだ道は離別なのだから、アムルスはそれが哀れで仕方なかった。


 最も険しい道を、彼女は選んだのだ。


 戦闘は得意ではなく、たまたま召喚されてしまい環境で歪んでしまった可哀想な少女。


 アムルスの印象は、それでしかなく。

 だからこそアムルスは彼女を守ろうと、妹に重ねてしまう芽愛兎が頭から離れずに。

 そう心に密かに決めていた……筈だった。



 現実を見れば、どうか。



 自分は吐瀉物をまき散らし、体の震えは収まらず立つ事すら出来ない。


 帝国勇者。


 敵対して初めてわかった。


 あれは化け物だ。とても、人が敵う事など想定もつかない、ただの化物だ。

 天才と呼ばれた、だから何だというのか。

 アレは、おおよそ桁が違う、同じ種族でありながら確実に全てが違う。


 味方ならば、頼もしい存在だが。

 敵に回ると、それほどに恐ろしい存在か。


 一歩間違えば、自ら命を絶ってしまう。

 彼等に敵対しているくらいならいっそ死んで楽になった方がマシだ。

 彼等に敵対する自分という存在に、後悔の限りを尽くしながら。



「安心するのです。君たちにはボクがついているのですよ」



 声が聞こえた。

 優しい、それでいて包み込んでくれる暖かさを持ち。

 頼りになる声が。


 気が付けば、吐き気も無くなり体の震えも無くなっていた。


 目の前には、自分が守らなければいけないと、勝手に思っていた少女が立っていた。

 自分よりも小さい、この場の誰よりも小さい身体で。


 その場の誰もが、彼女の背を見ていた。その背を見て、力を貰っていた。


 震えはとうに消え、立ち上がる。


「あぁ……」


 これが。


 自分が、どれだけ愚かな思考を持っていたのかにやっと気づかされた。

 何が、守らないといけない、だ。

 何が、頼りない、だ。

 何が、歪んでいる、だ。

 何が、被害者、だ。


 違う。


 彼女は迷いながらでも自らの意思で選択し、自分たちの味方になってくれたのだと。

 その小さな背に、自分たちを背をいながら立ち上がってくれた勇者なのだと。


 どうしてこんな簡単なことが、今まで理解できなかったのか。


 自分たちが恐れた喰真涯健也に、音ノ坂芽愛兎は立ち向かい、駆けだした。

 手にした刀で、打ち付け合い、渡り合う。


「何を、ぼさっとしているんです……」


 アムルス・シェリアは呟く。


 周りの、喰真涯健也と音ノ坂芽愛兎の闘いを見入っていた兵士達に、叫ぶ。


「まだ、襲撃してきた化け物の駆除は済んでいません!!私達は、勇者・音ノ坂を信じ、自らに出来る事を果たしましょう!!」


 その言葉に、精神汚染から気を取り戻した兵士は一度落とした武器を再び手に取り戦前に復帰する。


 音ノ坂芽愛兎を援護するほどの実力は自分たちにはない。

 ならば、彼女を信じ、自らに出来る事をこなすだけ。


 音ノ坂芽愛兎という少女は、この時初めて、『勇者』として信頼され、自らの命を託された。


 それに呼応するかのように、芽愛兎の持つ刀は淡い光を段々と濃くしていく。



 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 音ノ坂芽愛兎は弱い。


 それは周囲が持つ認識であり、事実だった。


 勇者としての彼女はおそらく、最弱だ。


 身体能力、限外能力、そのすべてが他の勇者よりも低く。

 回復主体の王国勇者・幼女華代の身体能力よりもそれは低い。


 全体的に、スペックは低いのだ。

 それこそ、帝国騎士団長の中には芽愛兎に勝っている者も何人かいる。

 勇者として有り得ることのない、この世界の人間に負けてしまう程彼女は弱いのだ。


 ならば、何故。


「貴様……」


「うぁぁぁぁぁあ!!」


 刃を打ち付け合う音が反響する。

 帝国勇者・喰真涯健也とこうして相対し、まだ生き残っていられるのか。


 芽愛兎の振るう剣筋は稚拙だ。

 剣術を学んでいる者ならば、そのあまりの稚拙さに笑ってしまう。


 彼女は、ただ刀をガムシャラに振るっているだけなのだから。


 それでも。


「ボクは君を止めるのです!!」


 芽愛兎の一閃が、喰真涯の腕を斬りつける。

 鮮血が舞うが、傷は浅く、ただ薄く切られただけ。


 喰真涯は咄嗟に芽愛兎の腹に蹴りを放ち、芽愛兎を吹き飛ばす。


「うぐぇ……」


 腹の中心に蹴りを喰らった芽愛兎はそのまま吹き飛ばされ、地面に打ち付けられる。

 けれども、すぐに立ち上がり再び刀を構えた。


「なンだ、こレは」


 喰真涯健也は、己が手を視界に入れる。

 ふるふる、と抵抗をするかのように小刻みに震えていた。


 芽愛兎の稚拙な剣筋は隙だらけであったのは確かであり、命を奪い去る機会などいくらでもあった。

 しかし、それが出来なかった。


 放とうとした斬撃は寸でで止まり、使用する筈だった魔獣の力も使えない。


 思い返してみれば、何故、自分はわざわざ音ノ坂芽愛兎のいるこのキャンプ地へと足を運んだのか。


「なンだ。一体……俺ハ……」


 喰真涯健也は既に、以前の、召喚された頃の喰真涯健也ではない。

 初代勇者である現幻想種の魔王の血肉によって人格は再構築され、ユニコリアの支配下のもと生まれ変わったと言ってもいい。

 その再誕を果たし喰真涯健也の中に、元の喰真涯健也などとうに消え失せている筈なのに。


「忌々シい。まダ、残ッテいたか」


 元の喰真涯健也の残った意思。

 きっとそれが、この場へと彼を誘った。


 自分の最愛の人物・音ノ坂芽愛兎に自分を止めてもらうために、意識の深く、深層から抵抗しこの場へと誘い戦闘を妨害している。


「健也君は……まだ、いるのですね」


「何ヲ、言っテイる。貴様ノ知る喰真涯健也はとウに消エ失せた。今ハ、俺が喰真涯健也ダ」


「そうなのです。だから、ボクが君を止めなくちゃいけないのです。君の名を、身体を使ってこれ以上好き勝手させないために」


 音ノ坂芽愛兎の持つ刀。

 それは確かに、喰真涯健也の固有武装である『死屍刀装』を模倣したもの。

 けれど、その刀身に彼の持つ『死屍刀装』の禍々しさはない。

 その代わりに、すべてを癒やすような、淡い発光を発していた。


 その刀を視界に抑えながら、喰真涯は顔をしかめる。

 自分の持つ『死屍刀装』。

 それと全く同じ効力を持つそれに、確かに、この刀の呪いが吸われていると。


 同じ武器の性質上、それは呪いや怨嗟を吸収し武器の性能を上げる。

 しかし、どうやら芽愛兎の持つ『死屍刀装』は吸い上げた呪いや怨嗟を何故か浄化し、その淡い光を力として吸収している。


 ただ、芽愛兎の限外能力の性質から考えて、固有武装も単純な模倣と勝手に推測していたが、それが過ちだったことに気づく。

 まだ詳細がわからない相性の悪い固有武装。

 邪魔をしてくる、内なる元の人格。


 この場、この時において、音ノ坂芽愛兎は喰真涯健也にとって最も相性の悪い相手だ。


 魔獣の力も上手く使えず、もう数百は命を奪う一撃を妨害されている。


 もしこの場にいた勇者が芽愛兎以外の勇者ならば、例えば鎌瀬山ならば既に勝負はついている筈だった。

 余りの忌々しさに、喰真涯の表情は不快の色に染まる。


「うぁぁぁぁぁぁあ!!」


 咆哮しながら、出鱈目な剣筋で刀を振るってくる芽愛兎の刀を受ける度に呪いは吸われていく。

 打ち合う刃の先に居る芽愛兎の顔が憎たらしい。


 思い通りに、圧倒的な力でねじ伏せることが出来ないのが煩わしい。

 必死にむかってくるこの女の顔が煩わしい。

 いつまでも、とうに消え失せた人格を愛しているこの哀れな女が憎たらしい。


 憎く、憎く、憎い。


「こレは、俺の怨嗟ダ、貴様ヲ、恨ム」


 喰真涯が呟き。


 鮮血と共に、芽愛兎の刀は根本から折れていた。


「え……?」


 芽愛兎の身体は血に濡れていた。

 けれどもそれは、自分の血ではない。


 喰真涯健也の『死屍刀装』。

 その刃を彼は自らに突き刺し、刀を持っていない右腕は、大きく黒い竜の顎へと変形し芽愛兎の刀を喰らう。


 同時に、芽愛兎にはわかってしまった。

 喰真涯が自らに刺したその一撃、それで、自分を後押ししていたかつての喰真涯の気配が消えた事を。


 模倣した固有武装は破壊され、絶望的な状況の中、芽愛兎は喰真涯と目が合ってしまった。

 その瞳にもう、躊躇いはない。


「ぐぅッ」


 そのまま竜の顎は元の手へと戻り、芽愛兎は首を掴まれる。


「あァ。忌々しいヤツは消シた。やっと。消エたか」


 掴んだその手を徐々にきつくし、その度に芽愛兎は苦し気に声を漏らす。

 喰真涯の手を必死に解こうと、自らの手で首に掴まれた手を引き離そうとするが、芽愛兎の力では微動だにしない。


「貴様二は、地獄を見てもラおう。そうして、俺の中ノ死に損なイも跡形モ無く消えルダろう」


 喰真涯の左手から『死屍刀装』は消えた。

 それは、情けからではない。それは、最も芽愛兎を苦しめるために、一撃では終わらせないために。


 左手は変色する。

 そのまま、毒気のある紫色に変色した左手を芽愛兎の口の中に無理やり突っ込んだ。


「えぐッ」


 芽愛兎はその手を嚙み砕こうとしても、力が足りずに口を動かすだけ。

 強められていく右手は芽愛兎の意識を徐々に奪い取り、口に押し込まれた左手からは何か液体の様な物が分泌されているのを口内で感じた。


 それが、飲んではいけないもの、身体に取り入れてはいけないものと知りながらも、圧倒的な力で芽愛兎には抵抗すら許されない。


 何も可笑しいことでない。


 そもそも、ついさっきまで芽愛兎が喰真涯に拮抗出来た事自体が可笑しかった、ただそれだけの事だ。


 蓋を開けてみれば、芽愛兎如きの実力では同じ勇者同士であってもこうして蹂躙されるのが現実だ。


 芽愛兎の意識が消えそうになった瞬間に、喰真涯は芽愛兎から手を離し、口に入れていた左手も引っこ抜いた。


「ぷはッ……はぁはぁ……おえ」


 解放された芽愛兎はそのままその場に蹲って、まずは欠乏した空気をその身体いっぱいに取り込み、そして体に取り込まさせられた何かを吐き出すように、嗚咽を上げる。


「あ……ぇ」


 そして、そのまま倒れこんでしまった。

 そして、瞬間的に襲われる浮遊感。

 そして、瞬間的に襲われる落下する感。


 めぐるましく変わる感覚に、身体の自由が利かない。


「魔獣パイアグラスの毒素……そノ特性は、平衡感覚ノ喪失ダ」


「パイアグラス……なんてものを、飲ませてくれたのですうぐッ……」


 それでも、芽愛兎はなんとか立ち上がる。

 平衡感覚を壊されてもなお、勇者としての力をフルに使い、毒素を薄めた。


 けれども、その状態は当然無防備だ。

 とてもじゃないが、戦闘できる状態ではなく、それこそ一般人に小突かれただけで倒れてしまう状態。


 その状態で、喰真涯の前に立つ事がどれほど愚かな事か。


「ひぐッ」


 喰真涯は人差し指を芽愛兎の脇腹に差し込んだ。

 そのあまりの激痛に芽愛兎は悲鳴を上げる。


「魔獣エクリプスの毒素……触感ノ喪失」


「魔獣カイエンストロイの毒素……全身ノ自由の喪失」


「魔獣ルカリウスの毒素……痛覚ノ増大」


「魔獣ケリウスの毒素……幻覚症状」


「魔獣アルターゼの毒素……全身へ巡ル激痛」


「魔獣メルカリウスの毒素……意識ノ覚醒」


 あらゆる毒素を。あらゆる痛みを。芽愛兎はそのわき腹から混入される。

 無理やり意識を覚醒され気を失う事も出来ずに、全身を巡る増大な痛みを、苦しみを、味わう。


 それは、到底人が一生では味わう事の出来ない痛み。この世で最も酷い拷問。

 精神が崩壊し、廃人になってもおかしくない。


 喰真涯が人差し指をそのわき腹から抜くと、芽愛兎は崩れ落ちた。

 その身体はぴくぴくと痙攣し、虚ろな瞳で、口からは力なく涎が垂れる。


 もはや、意識は現実に無い。

 幻覚と意識の狭間、全身を巡る激痛が現実へと引き起こし瞬間幻覚作用でまた幻想へと誘われる。


「こレらの魔獣ハ、獲物を殺ス為デハナク、生かシ、捕食すルために、毒ヲ流す……ガ、如何二勇者ト言えどそロそろ限界カ」


「ひぇ……ぁ……えへ……」


 痙攣を引き起こしながら、もはや対話の成立しない足元の芽愛兎を見て喰真涯は呟く。

 言葉にならない言葉を漏らし、もはやそれはただ口から漏れるただの空気に過ぎない。


「俺ガこの手デ、殺ス。ソウスレバ、俺ノ中に燻ル死に損ナいも消エる」


「ひぇ……ぁ……け、ん……やく……ん」


「ッ!!ぐ、あぁぁ……」


 芽愛兎の無意識に漏れた言葉。それは最愛の人への助けを求めた、ただの言葉だ。

 最早彼女の意識はこの場に無く、現実と幻想を行き来し崩壊している。

 だから、これは無意識下に助けを求めた潜在意識。彼女が最も信頼している人へと、助けを求めた。

 ただそれだけだ。


 自分には既に関係ない。この女が知る喰真涯健也は既に消えた。

 だが、その声に胸が痛む。苦しむ。内側から張り裂けそうな痛みが自分を襲う。


「やハり、貴様ハ、コこで殺ス。貴様ハ、俺二とって、最モ危険ダ」


 喰真涯は再び『死屍刀装』を顕現させ、その切っ先を足元へ。転がっている芽愛兎へ。

 振り下ろそうとした瞬間。


「させません!!」


 無数の水の龍が喰真涯の周囲を囲い、その中の一匹が芽愛兎を加えて術者の傍へと連れて行く。


「煩わシいな、虫メ」


 苛立たし気に喰真涯はその術者……アムルス・シェリアを視界に捉え、『死屍刀装』を振るう。

 それだけで、周囲を囲っていた水の龍は跡形も無く消し飛んだ。


「ッ……」


 アムルス・シェリアの限外能力『水龍の加護』により顕現する水の龍。

 アムルス・シェリアの『水衣』の由来ともなるその龍たちは、攻撃にも防御にも特化した性能を誇ることで有名だ。それを衣の様に周囲に展開し、攻防一体で相手を追い詰める戦闘スタイル。

 一度だけ、騎士団副団長クラスと模擬戦をしたこともあるが、それでも、一匹もこうやって消し飛ばされた事は無かった。


 それを、僅か一撃で。


「さ、させません。……勇者・音ノ坂を殺させません!!」


「貴様如き二、出来るとデモ?」


「……させません!!」


 その視線は、全身を震え上がらせた。

 その殺気は、自ら命を断ってしまいそうだった。


 それでも、恐怖を押し殺して、絶望の前にアムルスは立った。


 最後の水の龍は喰真涯へと特攻をするが、『死屍刀装』の一振りで跡形も無く消し飛んだ。

『死屍刀装』を携えた喰真涯はそのまま、アムルスの元へと歩を進める。


 アムルスは自分の持ってる魔術を全て起動し、喰真涯へと喰らわせた。

 それでも、彼は無傷だった。


 こんなにも実力差が離れているのか、と。

 倒せないまでも、少しは傷をつけられるのではないかと思っていたが、そもそもの次元が違うと。


 絶望に打ちひしがれながらも、その手に杖を持ってアムルスは背後の芽愛兎を守るように立ちはだかる。


「終りダ」


 眼前まで近づいた喰真涯は、その声音に何の感情も持たせずに、虫を叩くかのように『死屍刀装』を振りかぶり、アムルスは目を瞑った。


 数瞬後には、自分は絶命しているのだと、そう思いながら。


 それでも。


「ッ。貴様……」


 一瞬の暴風。

 鈍い音が響いたかと思えば、苛立ちを含んだ喰真涯の声音が遠くから聞こえる。


「邪魔をするよ」


 アムルスはその聞き覚えの無い声につられて目を開ける。


「あ……ぁ……」


 その眼前、それはアムルスの身体の緊張が解けその場にへたり込んでしまう。

 恐怖ではなく安堵。絶体絶命の危機に現れた希望。


 消えていたはずの命の蝋燭に再び火が灯った感覚だった。

 その希望を叫ぶ。


「勇者・東京様ッ!!」


 革命軍が有する勇者の一人・王国勇者東京太郎。

 その彼が、アムルスの目の前にいる。

 その感動に、助かった安堵に、アムルスは感嘆の声を上げる。


「君は……誰だっけ?まぁ、いいや、とりあえずお疲れ様」


 自分の名前を呼んだ服装からして冒険者っぽい女性に適当に労いの言葉を掛けて太郎は蹴り飛ばした喰真涯を視界に捉える。


「東京太郎……貴様……」


「会うのは初めてだね、喰真涯君」


 両者、お互いに初対面。

 それでも、絶対的な敵として、両者の瞳にはお互いが映る。


「思った以上に嫌な目をしているね……君は。そんなに消されたいのなら僕が楽にしてあげるよ」


「何ヲ言ってイル? 消サレるのは、貴様ダ」


「……既に認識すら出来てない……そうか、まあ仕方ないか……せめてもの優しさだ。一撃で終わらせてあげよう」


「ホザけっ!……チッ……」


 身から溢れ出る魔素が大気を震わす。

 一足即発かに思われたその状況。

 しかし、何かに気づいたかのように喰真涯が動きを止めた。

 そして、『死屍刀装』を消し、構えを解いた。


「時間切レだ。命拾イをしたな」


 気が付けば、後方軍の各キャンプ地で起こっていた騒動も徐々に収まりを見せ、地中から現れた人ならざる化け物……実験体として扱われた喰真涯の血を取り込んだ強化兵は既にその数を大分減らしていた。


「意外だね……もう退くのかい?」


「勘違いヲスルな。今回ハコイツラの調整ヲしていたダケダ。貴様らなドいつでも殺セル。精々その残リ少なイ余生を噛ミ締めテイロ」


 喰真涯はそう呟くと、森の闇に溶け込み姿を消す。


「ふーん、面白い能力を使うもんだ……」


 太郎は瞬時に気配が離れていく喰真涯を認識しつつも追いかける事はしなかった。


「嫌な感じだ……」


 裏に何かいる。太郎はそんな感覚を感じ取り、深追いすべきではないと判断したのだ。


 太郎は喰真涯が消えた森の闇に背を向けて芽愛兎の元へ向かう。


 アムルスにより抱き寄せられながらも、その瞳は虚ろ。話しかけても何の反応も戻ってこない廃人と化していた。

 複数の毒素により現実と幻想を行き来し、その精神は平常にない。


「喰らえ、『暴食』」


 太郎の手からあふれ出た黒点。近づいて来るそれにアムルスは一瞬警戒心を覚えたが、自分に出来る事は何もない、と芽愛兎を差し出した。

 黒点は、芽愛兎を覆いつくし毒素を喰らう。


 その最中、太郎は、辺りの惨状を見て考える。

 人でない化け物。体が異様に変質した元人間。


「強化兵の実用まであと少しってところかな」


 魔族研究所での資料を見たが、書かれていたのはククラマセスが凍りつけにしたという実験体、そして、罪人に対する投薬実験の結果。


 資料から見るに、もう少し実践投入は先かと思われていたが、こうして出来損ないながらも戦場では活躍した……が、中には強化兵同士で殺し合っている個体もいた事から敵味方の区別はつかないらしい。


 けれど、おそらく実践投入段階まで、少なくとも敵味方の区別をつけさせるまでは後少しと言ったところだろう。


 帝国騎士団に加えて、強化兵達。


「やはり、彼等だけでは厳しいか……」


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