第58話帝国勇者_閑話2


人を人とも思わずに。

その命を感情の赴くままに奪い喰らう。

そんな勇者が一人いた。


民衆はその勇者に畏れを抱いた。

絶対的な死を与える圧倒的暴力の前にか弱き人はひれ伏さずにはいられなかった。

だが、彼の無差別で無慈悲な行いは留まることをしらなかった。

殺戮して食する。

肉食獣の本能のように只それを忠実に行い続けた。


そして、彼はいつからかこう呼ばれるようになった。


人を喰らう怪物と。





勇者の中では最も期待はずれとされている音ノ坂芽愛兎。

彼女よりも、強く、常識もある人物がかつて・・・帝国にはいた。

帝国勇者として召喚された者の一人として。


礼儀もあり、常識もあり、実力もあり、芽愛兎以外の他三人の帝国勇者とは似ても似ても似つかない唯一本来の意味で勇者と呼べるであろう帝国勇者。

喰真涯くまがい健也けんや


彼はいつからか変わってしまった。

その常識も。その実力も。その性格も。その振る舞いも。

彼という存在の在り方が歪み切ってしまった。



彼の持つ限外能力『偽りの偶像ローカスイーター』によって。



その限外能力は至極単純だ。

蠱毒の壺と言えば、分かりやすいだろう。


相手の存在を喰らい自らと一体となる。


吸収――――とは違う。


喰らった存在の力をその身に同化させ、競い合わせる能力だ。

現に、ある魔獣の肉を喰らえば、その魔物が固有で有している能力を使用する事が出来る。

その能力の根源は、吸収ではなく同化。


けれども、比較的善性な魔獣の肉を喰らい続ければ思考がおかしくなることもないと、過去に同様の限外能力を持った勇者の残した書記に記されていた事から、彼は善性の魔獣しか食べることは無かった……筈だ。


――――――――――――――――――――――――――――――――――


喰真涯健也は強かった。

それこそ、九図ヶ原戒能と並ぶほどの実力、そして何よりもその人格が遥かにまともだった。


人の命を屠ることに躊躇いの無い不動青雲。

人の死をショーと称して楽しむ快楽主義者の九図ヶ原戒能。

幼女に歪んだ愛をぶつける呂利根福寿。


言ってしまえば、喰真涯健也は普通だった。

強すぎる正義感があるわけでもなく、誠実さを持ち合わせている訳ではない。

理不尽を解こうと行動するわけでもないし、自ら進んでトラブルの解決に勤しんだりするわけでもない。

けれども、誰かに助けを必要とされれば助けるし、誰かに対して嫌がることをすることはない。


それこそ、力を得たからといって人格が歪んでしまうわけでもなかった。



だからこそ、何よりも普通の青年であり、実力を兼ね備えている勇者である彼に帝国上層部は期待を寄せていたし民の心も惹かれていた。



「喰真涯くん!!今日も作戦会議なのですよ!!」


「いや、だから音ノ坂さん。俺は何度も言ってるようにさ。特に行動を起こすつもりはないんだって」


「何を言っているのですか!!九図ヶ原や呂利根のような行いを許していいと思っているのですか!!勇者は民の為にあるべきなのですよ」


「だからこそそんな奴らに近づきたくないんだけどね。皇帝が勇者同士のいざこざはとりあえず禁止令出してくれたんだからさ。関わらずに行くっていう選択肢はないの?」


「ダメなのです!!勇者としてそれはダメなのです!!」


だからこそ、帝国勇者一の期待外れと呼ばれる、自らの使命感に翻弄され、自らの存在意義をそれに見出し、実力に似合わない立派な希望を掲げながら『勇者』でいようとする音ノ坂芽愛兎が彼に懐くのも無理はない。


音ノ坂芽愛兎が喰真涯の自室に出向くのは日課になっていた。

出向くたびにどこかしらを怪我している音ノ坂を見てその痛々しさに目を背けたくもなる喰真涯だが、訪ねられたら特に断る理由の無い彼は芽愛兎を入れてしまう。


そこからは、芽愛兎の現状の嘆き、現状を打破しようという誘い、など一方的に同じことを何度も何度も聞かされる。


「喰真涯くん!!聞いているのですか!!」


「聞いてる聞いてる。でも俺の答えは一つだよ。厄介なことには手を出さない性分なんだよね。なにせ、それで世渡りをしてきたもんだからさ」


召喚される前の元の世界。

彼は世間一般的に底辺と呼ばれる学校へと所属していた。


不良……というよりは、特に頭のおかしな集団があつまった母体が多かったとでもいうべきか。

犯罪は当たり前、流血沙汰は日常茶飯事、そんな毎日が地獄絵図な場所。


そんな中でも、無駄なトラブルが自らの身に降りかかることのないように喰真涯は行動していた。


危険な奴には関わらず、特に目立った行動も反応もせず、空気のように有象無象に溶け込みながら生活を送っていた。


そもそもそのような底辺学校に入学してしまったのも、彼の名前の似ている近隣との学校との願書提出ミスによるものであるのは余談だ。


入試会場にあからさまにヤバそうな雰囲気の方たちで埋め尽くされる中で、喰真涯は覚えている。

自分と同じように、願書の提出ミスをしたであろう兎のように震える音ノ坂芽愛兎の姿を。


最も、その後会話することも無く、こうやって会話するような仲になったのは召喚されてつい最近のことであるが。


「喰真涯くん……」


「そんな捨てられた兎みたいな目で見られても困るんだけど」


音ノ坂のうるうるとした紅い瞳に見つめられて喰真涯は困ったように頭を掻く。

彼自身、助けを求められればある程度はその手を掴むようにはしている。

それこそ、音ノ坂は世間一般で言えば顔も整っているし間違いなく美少女の部類ではある。

そんな少女に助けを求められれば、それに応えるのもやぶさかではないと普段なら思う喰真涯だ、が。


「流石にあいつ等に喧嘩を売るのはまずい。何度も言うようだけど事実上あいつらは頭がイッてんだから関わらない方が身のためなんだって」


「でも、でも……」


「不動はあんま知らないけど、呂利根は思想がヤバい一度日本でも人殺してるみたいだしな。それよりも九図ヶ原だ。アイツは更にも増してヤバいんだよ。音ノ坂さんは男子にはあんま関わってなかったから知らないだろうけど、あいつはほんとに頭がイかれてる。敵対したやつを何人も知ってるけど全員普通の生活を送れないような状態にされてんだよ」


「うぅ……でも、でもなのです。犠牲になってしまう人が……」


「それについては仕方ないよ。必要な犠牲だし、あいつらを呼び出した自業自得って……あぶなッ!?前々から思うんだけど、女子のいきなりの平手って痛くはないけどかなりびっくりするから止めてよね!?」


「……必要な犠牲なんて、ないのでずぅ……。ボク達は勇者なのですよ?ボク達が守るべき民を殺すなんてそんなのしてはいけないのでずぅ……うぇぇ……」


「あー。もしかして泣いちゃう感じ?」


平手を寸でで止められて、自分の想いを吐露しながらだんだんと瞳も潤み、涙声になっていく音ノ坂を見て喰真涯は苦い表情でつぶやく。

理不尽だ、と叫びたい気持ちではあるが、理由や過程はともかく女の子を泣かしてしまった、という罪悪感で思春期男子の胸は苦しめられ、どうにか無き止んでもらおうと音ノ坂に近づくが……。


「来るななのです!!出て行けなのでずぅぅぅぅう!!」


「ちょ、ここ俺の部屋なんですけど!?」


「出てけなのですぅぅぅぅう!!」


涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにさせながら手当たり次第に者を投げつけてくる音ノ坂の理不尽に反論しようとするが、彼女がどうやら聞く耳を持たない事を理解し、素直に彼女の指示に従って自分の部屋を後にする。


「あーびっくりした。音ノ坂さんも色々溜まってんのかな。もう少しオブラートに包むべきだったかな」


廊下を歩きながらに、喰真涯はボソボソと呟く。

音ノ坂芽愛兎の正義願望は今に始まったことではない。

召喚された初日、不動の機嫌を損ね手酷い目に合わされたとしてもその翌日には正義っぷりを発揮して九図ヶ原に殴られていた程に、彼女のメンタルは折れる事を知らない。


まぁ、もう二人に近づくことも無くこうして一番話の分かる喰真涯のところへと通い詰めているだけの日々になっているだけになっているが。


余談だが、呂利根のところに行かないのか?との喰真涯の質問には

生理的に無理なのです。との勇者としての側面だけではなく女子らしい選りすぐりの面も垣間見せた。


「それにしても……」


廊下を歩きながら喰真涯は辺りを見渡す。

転々と続く甲冑の置物。壁に架けられた複数の剣や盾は元の世界では見ることの出来ない光景だ。

窓から見下ろせる城下町も、遠く続く地平線も、所謂ファンタジーの世界観に溢れている。


帝国へと召喚されて一週間も経つが、まだこの世界に慣れることはない。

初日に食べた白兎ホワイトラビットのお陰で、白兎ホワイトラビット特有の耳の良さを『偽りの偶像』によって取り込み、かなり耳が良くなったのも新しい記憶だ。


「ん?なんだ?」


その良くなった耳で。続く廊下の奥にある右側の階段。そこを上った先にある城の中心にある試練場から複数の男の悲鳴が聞こえた。

本来ならかなりの距離があるこの場所からは聞こえる筈はない、だが、勇者の聴覚に合わさりホワイトラビットの聴覚を持つ喰真涯にははっきりと聞こえた。


廊下を蹴り、試練場へと急ぐ。

この悲鳴は、普段なら起こるはずもない断末魔。何か事故があったのではないかと思い、試練場に続く階段を駆け上がりその扉を開け放つ。


「何やってんだよ。不動」


その光景を見て、思わず声に出してしまった。


開け放った扉の先。試練場の中心では、茫然と立ちすくむ騎士と、中心部にいる複数の騎士は横たわり息を切らし、その地面に血を流していた。

少し切れたとか、そんなものではなく、それこそ腹を捌いたかのような出血量で血の海を生成していた。


名前を呼ばれ、倒れ込む騎士たちの中心にいた不動は、視線を動かし喰真涯を見た。

帝国勇者・不動青雲。

召喚されて一週間の短い期間で、帝国最強の勇者と呼ばれる程の実力を持ち、尚且つ、人格破綻者として帝国民からは恐れられている勇者の一人。


身に纏う服には返り血がべっとりと付着し、右手には歪に刀身が折れた刀。


「……喰真涯か」


不動は興味なさそうに、喰真涯の名を呟くと、彼の固有武装『ネームレス』の一つであるその刀を消した。


「いや、さ」


喰真涯は頭を掻きながら、不動に近づくために歩み寄る。

立ち尽くし茫然としていた騎士たちは、思わぬ勇者の、それも比較的マシとよばれている帝国勇者の登場により安堵の表情を浮かべ、我先にと試練場から逃げ出した。


その騎士に不動が一瞬視線を向けるが、興味の無いようにすぐに背け喰真涯へと向ける。


「俺としてはお前がなにやっても構わないし、関わんないようにしてるんだけどさ。流石に、騎士殺すのはまずい気がするんだけど……なーんて」


喰真涯としては話しかけるような形になってしまった以上、無理やりに機嫌を伺いながら言葉を選びながら呟く。

はっきりと言って、声が出てしまった事を後悔していた。

不動や九図ヶ原のような輩にはそもそも関わらないことをモットーとしている喰真涯は、普通ならこんな場面を見たところで回れ右するところなのだが……日々音ノ坂の正義談義を聞かされているせいで無意識下に身体が動いてしまった……と分析する。


「この世界は勇者信望者が多いと聞いたが、そうでもないみたいだ」


「?なんのこと?」


「この騎士共は俺の事を試すなどほざいていたからな。屑に相応の報いを与えただけだ。この屑共を殺した理由を聞きたかったのだろう?」


不動は、視線を倒れている騎士へと向け言葉を紡ぐ。

相も変わらず、会話が成立しているのかしていないのか分からない言葉を交わしながら、喰真涯はその言葉に苦笑いをする。

九図ヶ原は一応会話は成立するし機嫌の良し悪しや沸点もなんとなくわかる。

けれども、こと不動に至っては機嫌の良し悪しも何が沸点になるのかもまるでわからない。

それが、彼を知っている人間の共通認識だ。


「試したい事があってな。この屑共はちょうど良かった」


不動の表情を見ても、彼の機嫌はわからない。

状況と話の内容から、そこまで不機嫌じゃない事だけほんのわずかにわかるばかりで、とにもかくにも喰真涯は慎重に言葉を選ぼうと思考した、刹那。


「いや、ね?一応俺らって帝国所属だし俺としてはもっと穏便に……ちょっと待って、なんで顕現させたの」


会話を遮る様に、不動は再びその手に『ネームレス』を、歪に刀身の折れた刀を顕現させる。


「ちょうどいい、構えろ。貴様にも試してみよう」


ぽかーん、と不動のいきなりの言葉に面食らっていた喰真涯だが、徐々に我を取り戻し、考え得る限り最悪のケースに状況が動いたことを理解した。


「は?ちょ、俺にそんな気は」


「黙れ。貴様にあろうとなかろうと俺にはある」


話を聞く余地のない不動に、喰真涯は何故こうなったのか、と己の行動を後悔する。

彼としても、不動と戦うなど死んでも避けたい事柄なのだが、当の不動は何故かやる気満々になっている。


「まじですかー……」


「俺は九図ヶ原よりは貴様を評価しているぞ。精々足掻け……と言ったところで、無駄な足掻きだが」


不動が刀を構えた。

その瞬間を喰真涯は確かに見て、仕方なく、自らも戦闘態勢をとる。

今日までに喰らった魔獣の使えそうな能力を思い浮かべ、その全てを使って迎撃、最悪、殺されないようにと神経を張り巡らせる。


不動は、戦闘態勢になった喰真涯を見て、若干口角を歪めるとその場から動くことなく刀を振るった。

当然その刀身は喰真涯に届くはずもない。


けれども。

一瞬のノイズが喰真涯を襲い。


「……は?」


肩から斜めにかけて、自らの身体から血飛沫が噴き出したのを数瞬遅れて自覚し、思わず膝をつく。

不動はその場から動いていない。それは、喰真涯からも確認できた。

動いたことに気付いていない、ではなく、動いていないことを確信していた。


当然、その刀身から飛ぶ斬撃のようなものが襲ってきたとかではない。


けれども確かに、不動の持つ刀身には喰真涯の血がべっとりと付着していた。


言うなればこれは、『結果』だけが襲ってきたような。


「ぐ、あ……」


「死なないか。中々粘るようだな、貴様は。今の俺では、ここが限界か」


遅れてやってきた激痛で薄れゆく意識の中不動の声が響く。


不動は満足そうに呟き、『ネームレス』を消すと膝をつく喰真涯の横を通って試練場から消えた。

静まり返った試練場で、激痛で意識を朧げにしながら、喰真涯はついに倒れ伏す。


「ぐあ……めちゃくちゃ痛い……」


思ったより深く切られてしまったようで、勇者の治癒能力で死ぬことはないとは思うが、このまま放っておかれると万が一もある。

朧げば意識の中、なんとか医務室にいこうかと身体に力を入れようとするが、思う様に身体は動かない。


本格的にまずい、と喰真涯が思った直後、試練場入り口から見知った少女がするのに気づいて、安堵すると共に意識を完全に失った。


「さっき騎士の人たちがすごい形相で駆けて行ったのですが一体何があったのですか……?すれ違った不動もものすごい満足そうで怖かったのです……って、これはッ!?」


騎士と異様な形相と今までに見たことがない満足そうな不動を見かけてなんとなく嫌な予感を覚えた音ノ坂芽愛兎は彼らの出てきたと思われる試練場へと足を運び、凄惨な光景を目の当たりにする。


試練場の中心に倒れ込む、既に息絶えた複数の騎士たち……そして。


「喰真涯くん!?」


同じように、血を流しながら倒れ込んでいる喰真涯を発見した。



――――――――――――――――――――――――――――――――


「喰真涯くん!!喰真涯くん!!」


「……音ノ坂さん?」


「目覚めたのですね!!良かったのです」


掠れる視界。

見慣れぬ天井の下で目を覚まし、自分がベットに横たわってるのを自覚して、ここが医務室だと確信した。


「助かったよ音ノ坂さん、あのまま放置されてたら流石にやばかったし」


「血まみれの君を見た時ボクは心臓が止まりそうだったのですよ」


身を起こすが、切り裂かれた傷跡が酷く痛む。

喰真涯が苦痛に顔を歪めると、音ノ坂は心配する様にあわあわと肩を支える。

ある程度落ち着き、余裕を取り戻してきた喰真涯に対して、音ノ坂は口を開く。


「一体何が起きていたのです?騎士の人たちもいっぱい死んでいましたし……」


逃げるように駆けて来た屈強な騎士たち、その後に見たのが不動の満足したような佇まい。

その後に、試練場で切り裂かれ命を絶った大量の騎士と勇者の一人である喰真涯の姿。


その過程を肌で実感してきた音ノ坂なら、ある程度予測はついている。


「……いや、ね。ちょっと不動の地雷……?あれは地雷って言うのかな?よくわからないけど変なスイッチ踏んじゃったらしくてさ。この様だよ」


音ノ坂の問いに、若干乾いた笑いを浮かべながら喰真涯は答える。


廊下を歩いていたら悲鳴が聞こえた事、その先には殺されていた騎士が居た事。

不動と戦う事になって手も足も出なかった事。


それらの事を喰真涯が語っていく事で、徐々に音ノ坂の表情に曇りが生まれてくる。


「騎士の方もよりによって不動にちょっかい出しちゃったらしくてさ。不動はヤバいって噂流れてるのにちょっかい出すのは自業自得なんだろうけどさ……結局腕に少しでも自信があると自分に過信し過ぎて身をもって体験しないとわからないんだろうね」


喰真涯は倒れていた騎士と、逃げ出した騎士達の顔を思い出して見覚えがあったことに気づく。

帝国騎士団第5騎士団。

騎士団長と副師団長がその血だまりの中に存在していたことに思い出す。


1から10に連なる帝国騎士団はその数字によって各々の役割を指し示す。

1から2は皇帝直下の帝国最強戦力。

3から5は有事の際に帝都を守護する帝都防衛戦力。

6から10は同盟国の有事や進軍の際に主に主戦力となる進行戦力。


団長、副師団長クラスになると冒険者でいうところのSSランク、Sランク上位の実力の持ち主で構成されていることが良く知られ、英華を誇る帝国エルヴンガルドの絶対の象徴とされている。


尚、平常団員においても最低はAランク上位の実力を持つ戦力で構成されている。


「音ノ坂さん」


「な、なんなのですか!?」


ビクッと、喰真涯の強い声音に音ノ坂は震え、その反応から彼女が何を考え実行しようとしているのか何となくわかってしまった。

話を聞いていく内に曇ってく表情を見ながら、彼女の拳は強く握られていた。


「不動のところに行こうとしているでしょ」


「ッ!?なんのことなのですか!?」


「君はそういう子だからさ」


図星を突かれ、狼狽える音ノ坂に喰真涯は微笑みかける。


「元の世界じゃあんまり関わり無かったけどさ。音ノ坂さんって優し過ぎるし、それでいて頑固ってことがこの一週間で大体掴めたよ。それは悪いことじゃないし、俺も音ノ坂さんのそんなところは素直に好きだよ」


「え、好……え?」


好き、という単語に反応して音ノ坂の曇っていた表情が見る見る内に赤く染まっていく。

あわあわ、と狼狽えるながら顔を真っ赤に染める彼女を見て、怒らせてしまったかな?と言った勘違いした感情を抱きながらも喰真涯は言葉を繋げる。


「でも不動にだけはもう関わるな。アイツは本当にイカれてる。同じ勇者でも何のためらいも無く殺される」


先ほど不動と対峙した時。

彼は何の容赦もなく、慈悲も無く、本気で……いや、自然と殺しに来ていた。

人の生き死にに興味は無く、生かすことにも、死なすことにも興味を持たない。


「ですがっ……」


「頼むよ……音ノ坂さん」


「……はあ、わかったのですよ。喰真涯くんがそう言うなら、ボクも今回は行かないのです」


「良かったよわかってくれて。自業自得で散って行った騎士団のせいで音ノ坂さんが酷い目に会うのは避けたかったし」


「……騎士団の人たちへのその言い方は感心しないのですよ」


「うん。ちょっと言いすぎたかも知れない。ごめん」


「わかればいいのです。それに、ボクが行こうとしたのは……騎士団の為ではなく……くまがい……くんの……ために」


「うん?ごめん最後の方聞こえなかっ「な、なんでもないのですよ!!」」


顔を真っ赤にしてぶんぶんと首を振るう音ノ坂。

この時の彼女はまだ正義に盲目でもないし、固執してもいない。

正義に狂うわけでもなく、ただ正義を掲げているだけの正義感が強い女の子だ。


だからこそ、喰真涯の説得にも簡単に応じるし。何もかもをかなぐり捨てて正義を盲目に行使しようとするいつかの姿ではない。

乙女として、自分の話をちゃんと聞いてくれる唯一の存在、自分のわがままを許容し見捨てないでいてくれる存在、自分の事を心配してくれる存在への信頼がいつの間にか自覚の無い恋心に変わって行くのも自然なことだ。


加えて、彼女の勘違いではあるがその僅かに気にしていた存在からの告白は、この世界に来てから良いことの無かった彼女にとって何よりも幸せな事柄であったのは言うまでもない。


彼女は緩んだ口元と紅潮した頬を隠すかのように浮足立つ心を抑えるように立ち上がる。


「それじゃあボクは行くのですよ。そろそろ孤児院への食糧の差し入れの時間なのです」


「そっか。色々助かったよ音ノ坂さん」


「……芽愛兎でいいのですよ」


「いきなりどうしたの?」


「ッ!!それはッ!!キミがボクの事を……その……す……す……きって……。だから、これはボクなりの答えというか……喰真涯くんならッって……」


シューっと頬が更に紅潮し、臨界点を超えると涙目になり頬を膨らませて喰真涯を睨み付ける。


「??えっと……じゃあ、芽愛兎?」


その一連の行動に、肝心な部分が聞き取れない彼女の言葉に、一体彼女の心境にどんな変化があって何故こんなにも自分は頬を膨らまされて涙目で睨みつけられているのか分からない状況ではあるが、とりあえず彼女の要求通りに喰真涯は彼女の名を告げる。


「それでいいのです!!健也くん!!」


その言葉を聞いて、音ノ坂は満面の笑みを浮かべるとお返しとばかりに喰真涯の名を呼ぶ。

その満面の笑みを直視し、喰真涯は彼女の表情に見惚れてしまう。


「不束者なのですが、よろしくお願いしますなのですよ!!たとえ二人でも帝国を変えて行きましょうなのですよ!!ボクら二人ならきっと…………――――ッ!!もう行ってきますのです!!」


自分の言葉に恥ずかしくなったのか、音ノ坂は一方的に話を打ち切ると頬を紅潮させたまま急ぎ足で医務室を出て行ってしまった。

取り残された喰真涯はぽかーんと、数十秒の時を過ごすが、ふと、今までの会話を思い出し反芻し、気付いてしまい、思わず手のひらで顔を覆う。


「あー!!だから音ノ坂さんは……俺告白したみたいになってんじゃん!!……で、OKされてるし……」


自分の軽率な発言を悔やみながら、それでも悪い気はしないと心の中で思ってしまう自分に嫌気が刺す。

彼としても、もちろんそういった男女の付き合いには興味はあるし、そういう事に多感な年頃でもある。

……下手に誤解を解くべきじゃないだろう、誰も幸せになれないな、と自分に言い訳を上げる。


「ま、まぁ、音ノ坂さん可愛いし」


平和な日常、やりとり、瞬間。

この世界に飛ばされてきて、こんな歳相応のやりとりをしたのは久しぶりだ。

こんな瞬間が続けばいいと、喰真涯は思ってしまう。






―――――――――――――――――――――――――そんな、平和な日常は、『彼等』が近くにいる以上いつでも壊されてしまう事だと知っていたはずなのに。

――――もう、このような瞬間は、高まった気持ちになれるのは、両者で幸せを分かち合える瞬間が

――――来ることがないことを、二人はまだ知らない。





「かァ!!妬けんなァ?えェ?青春の一ページってか?ゲロ甘すぎて反吐が出るぜ、なァ?喰真涯くんよぉ」


音ノ坂が部屋から出て行って数十秒後、余韻に浸る喰真涯の耳に不快な声音が響く。


「何の用だ。少なくともお前には関係ないだろ、九図ヶ原」


「おぅおぅ、今日は強気だなァ?」


部屋にずかずかと足音を鳴らして入ってくるのは勇者の一人。

人の死に様を余興に楽しむ狂っている帝国勇者・九図ヶ原戒能。


「ひっでーなァ?オレは歓迎されてねェってか?音ノ坂とはあんなにいい雰囲気になってたのによォ、さすがのオレでも悲しむぜ?」


「お前が見舞いとか、そんなガラじゃないだろ」


「おーおー。オレ様でも友人ダチの見舞いには行ったりするんだけどなァ」


「俺はお前のダチになった覚えはないよ」


きっぱりと、九図ヶ原に言い切る。

不動は文字通り格が違う。勇者の力を持ってしても、おそらく他の勇者4人で不動に挑んだとしても傷を一つつけられるかられないか……そんなレベルである程にく不動の格は桁が外れている。


けれども、喰真涯にとって九図ヶ原は確かに関わらないと決めた相手ではあるが、不動程怖くは無い。

まだ、彼になら勝てる。一対一なら五分かそれ以上には勝算が見込めると喰真涯は考えている。


だからこそ、関わらないとは断言しておきながらも、呂利根と九図ヶ原には多少喰真涯は強気に出れる。


「で、何の用だよ九図ヶ原。あんまりお前には関わりたくないんだけどな」


嫌悪を示す視線で、ベットから身体を起こした状態で喰真涯は九図ヶ原に言い放つ。

内心の焦りを悟られないように、語気を強めにして、自分は弱ってないと虚勢を張るかのように。


「見てたぜェ、不動との一戦をな。ありゃァ、またえげつねェもん使う様になってやがんな、あの野郎」


「試合の感想でも言いに来たの?」


「あァ。それもあるが、本命が他にある。ちょいとツラ貸せや」


「断ってもいい?」


「あァいいぜェ。なら芽愛兎ちゃんでも誘うからよォ?どうするよ喰真涯?オレは、どっちでもいいんだぜ?」


「……わかったよ。俺が行く」


九図ヶ原の出した選択肢は、言わば脅迫だ。

それこそ、さっきの現場を九図ヶ原に見られるのは避けるべきだったろう。

守るものが出来るというのは、弱点を作る事と同義だ。

さっきの瞬間から、喰真涯にとって音ノ坂は守るべき存在になった。

その存在に何かするぞ、と言うだけで人は従ってしまうもの。


人質をとって抵抗できないようにする……それは、九図ヶ原が元の世界でいつもやっていた事だ。


まだ残る痛みを我慢しながら、喰真涯はベットから降りて立ち上がる。

それこそさっき切り裂かれたばかりの身体。万が一九図ヶ原との戦闘になれば勝ち目はない……とは言えないが劣勢なのには変わりがない。


けれども。


「芽愛兎に手を出すなよ、九図ヶ原」


誤解から、勘違いから生じたものでも、今は喰真涯にとって音ノ坂は守るべき存在だ。

彼はトラブルを嫌い避けて生きて来た。だが、それが事自分の身内に襲い掛かるものならば死に物狂いで守る男だ。


「ヒュー。かっけェなァ、喰真涯」


喰真涯の殺気を帯びた睨みに動じることもせず、九図ヶ原は嘲笑う様に呟いた。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


薄暗い地下を下る。

城の地下深く、長く続く階段を喰真涯と九図ヶ原の二人は下っていた。


「ここは、地下牢に続く階段だっけか」


「あァ、ご名答。帝国で罪を犯したクソ共の肥溜めだ」


お前もそこの肥溜めに入ってろ、とは口に出すことはせず目の前を下る九図ヶ原を睨む。

地下牢に何の用があるのかと。

何回か問いかけたが、着いたらなァ、と取り合っては貰えず今に至る。


そもそも、九図ヶ原に関係することに関しては嫌な予感しか喰真涯は持ち合わせてはいない。

けれども喰真涯がこうして付き合っているのは、一重に、断ったところで事態は良くならないからだ。


九図ヶ原は喰真涯が万全の状態ではないことを知っているし、この状態だからこそ、接触してきたのだろう。

普段、喰真涯も関わろうとしないし九図ヶ原も同様。

自分と同じ実力者。自分が優位に立てない相手に構うほど、九図ヶ原は馬鹿ではない。

自分が必ず優位に立てる弱者。それを力で制し、遊びつくす事が彼にとっての何よりの楽しみだ。


だからこそ。

こうして喰真涯が負傷している自分が優位に立てるこの時に接触してきた。


「着いたぜ。この突き当り、そこに目当てのモノがあるぜェ」


地下牢に到着し、いくつかの扉を進み随分と奥へと進んだ先。

蠢き、呻く、痩せ細った人として扱われていない犯罪者の牢獄を横目に、二人の勇者は歩く。


敵国のスパイ、要人暗殺……その他諸々の帝国に背く行為をした上級犯罪者はこの地下牢に捉えられ一生を終える。罪が許されることは無く、一生をこの薄暗い地下で過ごし息絶える事になる。

奴隷にされることも無く、ただ、食事も与えず飢餓で苦しませ殺す。自決できないように四肢を切り落とされた状態で放置される。


この世の地獄とも言える光景。

絶え絶えない汚物と腐臭から来る臭いに喰真涯は思わず鼻をつまむ。


「すげェよなァ。こんなもん日本あっちじゃ見れねェ光景だぜ。死の臭いが充満してやがる」


「一刻も早く地上に出たい。さっさとその用とやらを済ませて出よう」


「焦んなよ。ちったァ我慢しろや。……あァ着いたぜ、見ろよ、ついこの間捕まえたんだぜ、帝国内を歩きまわってやがったからなァ」


「……この子は」


突き当りの牢屋。そこには一人の魔族が居た。

他の犯罪者と違って四肢は切り落とされていない。ぐったりと項垂れながら虚空を見据えた薄いぼろ布をその身に身に着けた女性。

齢20代前半。少し大人びたその身体に喰真涯は思わず目を逸らす。


その魔族は、頭に一角の角を生やし、全身は薄蒼い炎のような揺らめきが存在している。

その特徴に思い当たる節があった喰真涯は思わず呟く。


以前、文献で見た種族の内の一人。

魔王を要する種族の一つ。


「幻想種……」


「あァ。4大魔王の内が一人。幻想種の魔王の配下の一人だぜ」


「どうして幻想種が帝都に……」


「なァに寝ぼけた事言ってンだよ。魔族なんて帝都にわんさか潜んでんだよ、バカ」


耳を穿りながら、呆れたように九図ヶ原は呟く。


「オレの限外能力はてめェも何となくは知ってんだろ」


「……あぁ。ある一定の空間の情報を得る事が出来るだったっけ?」


九図ヶ原の限外能力『感覚センス境界アンビット』。

一定空間における情報を、見るよりも聞くよりも早く取り込める戦闘向けではい限外能力。


確かに、と喰真涯は納得する。

九図ヶ原の限外能力であれば、隠れていたとしても姿をくらましていても無駄だと。

その一定範囲内であれば、どんなに隠れようとも見つかってしまう。


「基本見つけたモンは好きに遊んでオレの方で処理しちまうんだが、まァ、珍しいモンが手に入ったからなァ」


九図ヶ原は、それこそ友人に接するかのように、喰真涯の方へと手を添え、呟く。


「喰ってみねェか?こいつをよォ」


「食べ……る……?」


「てめェの限外能力忘れてんじゃねェよ。『偽りの偶像』。コイツを喰らってパワーアップしようや」


九図ヶ原の言葉を反芻する。

魔獣ではなく魔族を喰えと。その力を取り込めと。

この世界に来て魔獣の肉は喰らったが、魔族の肉を喰らった事は当然ない。

そもそも、魔族を喰らう対象に意識したことなんて一度たりとも無く。

これからも、喰真涯は魔族を喰らうなんて事を、する筈もない。。


「わからないな」


「あァ?」


動揺を隠しながら、喰真涯は口を開く。


「お前がそんなことをする意味がわからない」


「はァ?なんだってんだよ。オレ様のサプライズプレゼントだぜェ。いやァ、いつも迷惑掛けちまってるからなァ」


「そもそも。信用ならないんだよお前は。お前が、俺の力を高めさせることなんてやる筈がないんだよ」


九図ヶ原の手を払いのけ、振り返り、九図ヶ原に相対する。

喰真涯は確信している。九図ヶ原が人の利になる事をする筈がないと。


切り裂かれた傷がまだ痛むが、喰真涯は目の前の勇者への警戒を強める。


ここに自分を連れて来た意味。

それが分からなくなった以上九図ヶ原が何をするのかわからない、と。


「ひっでェなァ」


「何が目的だ?九図ヶ原」


手を広げ、悲しそうなわざとらしい声音で嘲笑う様に呟く九図ヶ原。

その態度が嘲笑が入り混じり、今現在、確かに彼が愉しんでいる事を喰真涯は確信する。


喰真涯は、自分がハンデを背負っている状態だから、いつもより必要以上に九図ヶ原に意識を集中させていた。

未だ、目的も意図もわからない不気味さも相まって、必要以上に意識を割き過ぎた。


「ひでェなァ。ひでェなァ」


だからだろう。

普段の喰真涯なら避けられた筈の一撃を。


「てめェは不味そうだってよ。ユニコリア」


――――背後から、喰らう。


「がッ!?」


刹那。

淡く灯る薄蒼い炎を纏った手が喰真涯の腹部を突き破る。


何が起きたのか?と自分の腹部を貫くモノを見た。

それは、つい数秒前に確認した魔族の手。

虚ろな目をしながら項垂れていた幻想種の魔族――九図ヶ原にユニコリアと呼ばれた魔族の手だった。

その手が引き抜かれると共に、喰真涯の口からは血が溢れ、その場に膝をつく。


「な、んで……九図ヶ原、お前。帝国を、裏切ったのか……!?」


「はァ?ンなわけねェだろ、バカかテメエは」


明らかに、魔族と結託して自分に重傷を負わせた仲間を睨みつけながら喰真涯は呟くが、九図ヶ原はそれを馬鹿にするかのように口角を上げる。


「この薄汚ねェ魔族は元・幻想種の魔王直下――『七色の幻想』の一翼・鎚のユニコリア」


そして、と言葉を繋げる。


「今はオレ様の奴隷だ」


いつの間にか。

鍵がかかっていたはずの牢屋から出ていたユニコリアはその女性的な肢体を媚びるように九図ヶ原へと纏わりつかせた。

そして、膝をつく喰真涯を視界に捉えると嘲笑う様に口元を歪めた。


「喰真涯くんよォ。てめェオレに注目し過ぎだぜェ?背後には気をつけねェとなァ。くはははは!!あァ!!愉快に最高にキマっちまって笑いが抑えらんねェよ。オレ様の作戦立案能力の優秀さが際立っちまったじゃねェの?えェ!?勇者さんよォ」


「ぐ……く、そ……」


徐々に身体に力は入らなくなり、喰真涯は倒れ伏した。

そもそも、不動との対戦の傷も治りきっていない。

それも相まってか、切り裂かれた傷口再び開き、腹部と肩口から斜めに切り裂かれた傷口から血は溢れるように流れ出し、血だまりを作る。


この傷はやばいと。この出血量はやばいと。そう直感的に感じるが、喰真涯はもはや身体を動かす事すらできない。


「あァ?もうこいつ死にそうだな。ユニコリア。さっさとアレ貸せ」


「……はい」


ユニコリアが胸元から取り出したのは小瓶に入った血液とその中に浮かぶ肉片。


それは――――。


「初代勇者……あァ今は幻想種の魔王だっけか」


失われた文献。無かった事にされた物語。

限外能力『偽りの偶像』の初代保有者。


世界の為に闘い、人の為にその血を流して――最後には化け物と罵られ助けた筈の存在達に迫害された勇者。

初代勇者の一人―――――現・幻想種の魔王の血液と肉片。


それは、初代から今代まで無数の修羅英傑を喰らってきた化け物の血と肉片。

多くを喰らい、その身体に取り込んだが故に、幻想種に成り果てた勇者の血と肉片。


「オレはなァ。喰真涯」


ほとんど意識を失いかけている喰真涯に九図ヶ原は語り掛ける。


「オレは退屈が嫌いだ。世界はつまんねェ。だがなァ、この世界は面白ェ。この世界には玩具が溢れてやがる」


手を広げ、叫ぶ九図ヶ原。

瞬間。喰真涯は勢いよく立ち上がりその拳を九図ヶ原へと放った。


しかし、その拳はユニコリアによって捕まれ、九図ヶ原には届かない。

九図ヶ原は血を流しながら、満身創痍になりながらも、自分に歯向かう存在に。


「くひゃ!!だから、面白ェ!!」


もう喰真涯の視界は徐々に暗く染まって行っていた。

既に命の終わりは近い。


九図ヶ原は手に持った小瓶を喰真涯の口内に差し込んで無理やり飲み込ませた。


「喰真涯。こいつはなァ。特注でなァ。こいつを取り込んだてめェをユニコリアが操れるように幻想種の魔王が手を加えたモンでなァ。本来ユニコリアはてめェにこれを飲ませ配下にするために帝都に侵入した。だがなァ。オレ様が居たことでミイラ取りがミイラになっちまったんだよォ!!ぎゃはは!!」


表情を歪め、既に意識の無い喰真涯に向けて言葉を放つ。

それは一種の勝利宣言でもあった。

実力が均衡していた九図ヶ原と喰真涯。

その事実は、九図ヶ原を不愉快にさせていたのは言うまでもなく。そんな存在を屈服させることが出来た喜びに九図ヶ原は歓喜していた。


「『偽りの偶像』で取り込んだコレがどんな影響を及ぼすのか。あァ、楽しみだ。精々俺を楽しませろよォ、玩具くまがい!!」


本来なら、その血を取り込んだものを暴走状態にさせる蠱毒の血を、取り込ませた者が操ることが出来るように調整されたモノを喰真涯は取り込ませられ。


吠えるような九図ヶ原の咆哮を朧げな意識の中で聞きながら、自分の内に入って来たモノに徐々に取り込まれる感覚に苛まれながら、勇者喰真涯の意識は奥深くへと、沈んでいった。



―――――――――――――――――――――――――――――――――


「あ、健也くん!!」


頭の後ろで一房に纏められた金髪に、口元をマフラーで覆った音ノ坂芽愛兎は廊下を歩く喰真涯を見つけると、名前を呼んでその右腕に抱き着いた。

照れ臭さを押し殺して、勇気を持って恋仲である青年に対して行った少女の高揚する心は。


「健也……くん?」


芽愛兎を見下ろす今までに感じた事の無いくらいの冷たい視線。


「……触るな餓鬼」


「ッ!?」


思いっきり振り払われ、音ノ坂は壁へと打ち付けられた。


「え……え?健也くん?ボク何か……怒らせること……?」


何故こんな事をされてしまったのか。

自分が無意識のうちに彼を怒らせるような何かをしてしまったのでなはいか。

疑問符で思考が埋め尽くされながらも、音ノ坂は問いかけるが。


「……」


それを喰真涯は一瞥すると、興味の無いように再び歩き始める。


「待って、待ってなのです!!健也くん!!」


「煩わしいな」


「ひぐッ!!」


尚追いすがる芽愛兎に、喰真涯は表情を怒気で歪め、その拳を彼女の顔面に叩き付けた。

その衝撃で吹き飛ばされ、廊下を転がり、衝撃で鼻血を吹き出し切った唇からは血が流れ、顔面を血で染めた。


「よォ」


その芽愛兎の背後。

彼女がその声に振り向くよりも先に、九図ヶ原戒能は芽愛兎を蹴飛ばした。


再びごろごろとその小さな体を転がらせて痛みで横たわる芽愛兎を、喰真涯と九図ヶ原は見下すように見下ろす。


「悪ィなァ。喰真涯はオレの玩具になったんだわ。彼氏奪っちまって悪ィなァ、芽愛兎ちゃァん」


不愉快でそれでいて、絶望的な言葉を聞く。

それと同時に、喰真涯の異常の現況を知る。


「健也……くん」


涙で揺れる視界の中で、好きになった人に対して手を伸ばすが、その手が取られることは無い。


喰真涯は無言で。九図ヶ原は不愉快な笑い声を上げながら芽愛兎の前から消えた。


ただ一人、ボロ雑巾のように取り残された芽愛兎は、ただ瞳から涙を流し続けた。









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