第38話暗躍

 

それは少女にとっての一種の奇跡だった。


一人の女冒険者が目覚めさせた少女の人としての心の切なる願い。

根底にあった自覚の無い救いを望む心は、確かにそれを奇跡と認識し。

ただ、生きたいと願った心は救われた。


「ゆ、勇者、様……?」


感動にも似た何か、感嘆にも似た何か。

心が浮き立つとはこのようなことなのか。

目の前で、その手でいつか世界を救い人類を救う救世主は今。

自分という存在一人を救うためにその力を奮っている。


所長の合図とともに鎌瀬山に襲い掛かったAランク冒険者相当の実力を持つ強化兵達は既にその姿を半分に減らしていた。

死んでいるわけではなく、首をその鎌の柄で撃たれ気を失わされたその半数の強化兵達は床に横たわり動かない。


「手加減ってのもめんどくさいもんだ」


鎌を振るい、的確に傷つけぬよう気を失わせる戦闘スタイルを維持しながら鎌瀬山は吐き捨てるように呟く。

数が多すぎる。

Aランク相当の冒険者等、本来鎌瀬山の敵ではない。

が、魔法を駆使し体術を駆使しながら確実に息の根を止めようと。

殺意に溢れながら四方八方から襲ってくる強化兵達に、元々近接向きではない鎌瀬山は苦戦する。

殺す気でかかってくる敵を極力傷つけぬよう捌く。その難易度は言うまでもなく高い。


それでも尚、その半数に数を減らし連撃の波も和らいできた。


強化兵達も半数が減ったことにより、鎌瀬山を警戒し迂闊に攻撃を仕掛けようとはせず距離を取る。


「くそッ!!くそッ!!何をしている!!さっさとそこの冒険者を殺せ!!」


「おいおい、だから言ってんだろ。俺は冒険者じゃ……」


「黙れ!!私は認めない!!貴様のような奴が勇者など……」


「……お前に認められるために勇者やってるわけじゃねーんだよ」


「黙れ!!くそッ、もういい貴様ら!!死んででもその冒険者を足止めしていろ!!」


所長は鎌瀬山を睨み言葉を吐き捨て、強化兵達に命令を告げ実験室から出ようと歩き出す。

その動きと共に鎌瀬山は所長を捉えようと一歩踏み出すが、瞬間、眼前に刃が飛来し『ジャポニカ』でそれを吹き飛ばす。


強化兵達はその所長の命令を完遂しようと、無味な瞳で鎌瀬山へと向かう。

防衛機能を捨て、目の前の敵を殺すためだけの殺戮機械と成り果て。


同時に、先ほど気を失わせていたはずの強化兵達もが所長の言葉に反応するかの如く起き上がる。そして、再び鎌瀬山にその刃を向ける。


猛攻は激しさを増していった。

鎌瀬山に刃を打ち付けている強化兵が居るにも関わらず、後衛に位置する強化兵は鎌瀬山ごと焼き尽くすように火炎を放つ。


広いとは言っても室内だ。これまで同士討ちの危険性を孕んでいたために広範囲による魔法攻撃を避けていた彼らがそれを瞬く間に使いだす。


「ふっざけんなてめぇら!!」


その火炎を皮切りに四方八方から矢継ぎ早に飛ぶ様々な魔法。

火炎も、水流も、雷撃も、それらが互いにぶつかり爆発を起こせばこの実験室など吹き飛ばすエネルギーを持つ魔法が鎌瀬山に迫る。


鍔迫り合いをしていた目の前の強化兵を止む負えず蹴り飛ばし、鎌瀬山は限外能力を使う。


『空間移動』


その魔法の進路に空間の歪みを出現させそれらすべてをここではない他の場所へと転移させる。


歪みに吸い込まれた魔法はその姿を消した。

魔法が消えるというその初めての現象に、ぽかん、と強化兵達は意識の及ばぬそれに一瞬茫然となり。


「こんなとこでやりあうの危険すぎんだよ」


その隙を鎌瀬山は見逃さない。


鎌瀬山は『ジャポニカ』を振るい、その鎌の穂先は消失した。

起点から終点へ。


鎌瀬山の頭上の高く。

そこに次元の歪みは生じ現れるは巨大な『ジャポニカ』の刃。


不可視、伸縮、大きさの調整、その全てが自由自在の『ジャポニカ』による巨大な刃は天井を穿つ。

そして再び上空に『空間移動』を用いた歪みを出現させ。

轟音と共に落下する砕けた天井の破片は、天上を覆う歪んだ空間に吸い込まれ消える。


伽藍洞がらんどうになった上空には蒼い空と太陽の輝き。


「クル子、ニーナ、捕まってろ!!」


「へっ? えあっ!?」


クルムンフェコニとニーナ。

その二人の小さな体をその両脇に抱えて鎌瀬山は天上の無くなった空へと飛翔する。


「わ、わぁ!!」


ニーナは声を上げる。

それは初めて見る景色だった。

研究所内から出ることを許されなかったニーナ達。

物心ついた時から研究所が世界の全てだった。


窓から、空は見たことはあった。


けれども。視界に広がる世界を見たことは無かった。

それは、味気ない森の広がるこの世界ではごく普通に見る景色だ。

首都のようなきらびやかな装飾も無いし、豪華な城があったりするものでもない。


それでも今見る視界に映るその景色すべてが、地平線に、水平線に、壁のなく途切れることのないこの景色はニーナに感動を与えていた。


隣の建物の屋根へと着地し、二人を下す。


同時に、鎌瀬山を追って飛び出してくる強化兵達はその景色を見て、ニーナと同じようにその景色に見惚れていた。


「どうだ?ちっぽけな世界で生きてきた感想は。俺が言える事じゃねえけどよ、世界はこんなにも広いんだぜ」


「すごい!!えっとえっと、すごいよカナリさん!!」


「だろ?なぁ……お前等もそう思うよな」


鎌瀬山は、初めて見た景色に見惚れたままの強化兵達へと告げる。


そもそも。


ククラマセスがニーナに心を持たせられたように。

この研究所の洗脳はそこまで強いものではない。


彼等はニーナと同じように只知らなかったのだ。

ただ、あるがままに自分の境遇を受け入れそれを享受していただけ。


なら、その常識を崩せばいい。


そして、選択させればいい。


彼等はニーナの変わりようをその目の前で見てきた筈だ。

自らと同じだった存在が、違う存在として変わっていく様を。

見る景色が変わっていく様を。


それは、変化するには十分な起因になる筈だ。


一種の見せしめとして。

変われば処分が待っているという見せしめでニーナを処分するはずだった所長の考えは鎌瀬山によって破綻する。


「お前等みてぇな子供はこんなことに利用されていいわけがねぇ。強さを求めるための犠牲なんざ、くだらねぇ。何のために俺等が呼ばれたと思ってんだ」


勇者として。

それは今までに鎌瀬山には欠如していた心だ。

どこか上の空だった。実感の沸かなかった勇者としての身分。


勇者としての意識。

誰かを救うための心。憧れをその眼前に追い求め、それでもそこには辿り着けないからと、妥協点を決め自らの価値を置いた。


正義を追い求め、それでも大衆の正義にはなれずに。

ならば、自らの正義を打ち建てそれを全うすると。


これは鎌瀬山の中に勇者としての自覚を覚えさせるには丁度いい、経験だった。


「それでも、ニーナみたいに変わるのに納得が行かねぇんならかかってこいよ。その空っぽの中身に俺が意味を与えてやるからよ」


だからこそ、鎌瀬山は眼前の彼等を無理やりにでも救うと決める。

気に入らないこの研究所で生まれた、悲しき心なき人形達。

朽ち果て、使い潰される筈だった生まれながらにして人としての権利を持てなかった実験動物たち。


「勇者として、手始めにお前等を救ってやる」


鎌瀬山は『ジャポニカ』を構え、呟いた。



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研究所の一室。


そこは様々な種類の薬品が保管された一室。

奇妙な色をした薬品から透き通るような青の薬品。


「あぁ、そうだ。これは考えれば良いサンプルが取れる。勇者に対して現時点で我々の研究がどれほどの成果をもたらしているか。その確認ができる!!」


所長はその手に赤色の薬品の詰まった注射器を持ちながら、ぼそぼそと呟く。


「あれは王国勇者だ。帝国の意向を無視し内政干渉を行う罪人に違いない!!あんなものを野放しにしては帝国にとって良くはないな。処分してもいいだろう」


自分を納得させるように呟きながら、注射器を二本、三本と持ち出し不気味に笑う。

これは明らかに皇帝の意向ではない。


そもそもこの研究を終わらせたいのなら皇帝が一声命令すればいいだけ。それを行わないのであればこれは王国勇者の独断……ひいては最近になりその姿が噂されてきた革命軍の意向とも言える。

革命軍にその身をおとした王国勇者を捌くことは、帝国内では反乱分子に裁きを与えただけで罪ではない。


ガイ・ウラモという裏切り者が見つかったことにより帝国支部の冒険者ギルドは大掃除が成されるだろう。


「くはは……帝国勇者『喰真涯«くまがい»健也«けんや»』の血液から創成した強化薬……これを試してみたかったんだ」


五人目の帝国勇者――喰真涯«くまがい»健也«けんや»。

その血液から採取されそれを媒介として創成されたその薬品は試験段階では絶大な力を誇った。

投与した奴隷実験体の暴走によるここより少し東に位置する魔族研究所別棟の半壊。


ただ一つ投与するだけで、その奴隷は圧倒的な力を保持し当時護衛任務に就いていたククラマセスがギリギリで押し留めた事件。ただし、殺すことは出来ずククラマセスにより氷漬けにされその研究所の別棟の地下室へと保管されている化け物。


「ククラマセスでは押し留めることは出来たがそれは彼女の二つ名に関する能力あってのもの。さぁ、あの勇者はどう対応するのか、それとも負けるのか……最高のサンプルがとれる!!」


その声は興奮し、熱を帯びていた。

鎌瀬山の出現当時の苛々はもう無い。考えてみれば、自由に扱っていい勇者«実験体»が降って湧いてきたようなもの。

人類の救いの手である勇者を使い自由に実験が出来る……研究者の彼にとってこれほどまでに心躍ることはかつて無かった。





















「面白そうな物持ってるね」






突如、誰もいなかった筈の背後に研究員の一人が現れた。

所長は余裕が無いように片手を横に振りながら後にしてくれと伝えようとする。


「ん?何だねきみは。悪いけど今は君の相手をしてるほど暇じゃないんだ。後に___へっ?」



所長から気の抜けた声が漏れた。

自分の視界で起きた出来事が信じられなかった。

己の腕が本来ならあり得ない方向に捻曲がっているという事態に。


「貰うね」


その言葉と同時に一回転した自分の腕と胴体が二つに別れた。

血飛沫が舞い、鮮血に染まる視界。

所長は突然の事態に痛みの感覚すら失っていた。


肩を抑え振り向いた先にいるのは自分の部下であるはずの研究員。

しかし、その男は無造作に千切られた自分の腕を持ち、不敵に不気味に笑っていた。







理解が及ばなかった。







突如起きた想定外の事態。

それにより思考は停止し、身体は麻痺したかのように一歩も動かない。


「は……えっ……なんだと、いうのだ?これは?……貴様こんな……」


「ねえ、これを一つ打つ度に強くなれるんでしょ?所長さん」


その言葉で己が良く知る研究員ではない別の何かだとようやく気付き、怒り声をあげる。


「ッ!?……貴様は……誰だっ!?」


「……元々ここには興味があったんだ。僕の知らないことが色々あるみたいだったから。けど、気付かれない内にこっそりいなくなるつもりだったんだ。やらなきゃいけないこともあるしね。でもまさか鎌瀬山が来るとは思ってもいなかったよ……まあ、おかげで面白い事になった」



「おい貴様何をいっ!」


所長は息を呑んだ。

男に近寄ろうとしたはずなのに身体から指先までピクリとも動かなかった。

いやそれどころか自分の身体の感覚が無いのだ。


赤く染まった視界には黒色の何かが空中に浮かんでいるのを捉えた。


「な、なな……」


男は所長の言葉など意に介すことも無く、手の中にある注射器を持て遊びながら面白そうに言葉を呟く。


「もしこれを、幾つも同じ人に打ったらどうなっちゃうと思う?所長である貴方なら分かるでしょ?」


感覚を失い身動きも取れない中、目の前に立つ男が自分に何をしようとしているのか理解してしまう。


「や、止めろっ!……この私にっ……」


恐怖に震えた唇が紡ぎ出す言葉。

それに対し、男が優しく呟く。


「大丈夫だよ」


歪な笑顔を浮かべたその男を化物を見るかのように視線を向ける。

眼球は揺れ動き赤い涙が頬を伝う。


「や、やめ」


一本目が射される。


身体がびくんと大きく1度跳び跳ねる。

そして小刻みに震えたかと思うと身体中の血管が浮きだち始め、筋肉が膨張する。


二本目。


膨張した筋肉が千切れる音が響く。

血管は強く脈動し、心臓があり得ない程早く強く鼓動する。


三本目。


全ての注射器が男によって所長に打たれた。


膨張仕切った身体が一度びくんと震え、白目を向く。


瞬間。


限界を迎えた身体は爆発するかのように勢いよく破裂し臓物をぶちまけた。

室内は赤一色に染め上がり、所長であった男の頭が床に転がっていた。


限界を超えた投与による人体の容量超え《キャパオーバー》。


帝国勇者の血液を媒介にした強化薬は人の身に何本も扱うには荷が重すぎた。

ただ、それだけの話だ。


床に転がっているモノに男は話しかける。


「ね。大丈夫だったでしょ?痛覚を失ってたおかげで痛みも感じず楽に逝けた。感謝して欲しいもんだ」


男の周りに漂う黒点も嘲笑うかのように蠢いた。


「でもやっぱ駄目だったか。もしこいつが耐えたなら鎌瀬山に当ててみるのも一興だったんだけどな」


残念そうに呟く男の腕の中に漂っていた黒点が戻る。

そして、此処での後処理をどうするか考える。


「さてと、他の研究員達は全て暴食が喰らって処理したし欲しい情報も得たし残りは、実験体に使われてた魔族か。鎌瀬山にはどうしようもないだろうし僕が後片付けしておくか」



研究員、否、王国勇者――東京タロウは僅かに口角を上げながら歩き出す。








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